第三話 異国の花

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第三話 異国の花

 あの花が咲くと思いだす。  今も忘れない。  あの人のことを。  *  窓の外が、いちめん白い。  女侯爵ジョスリーヌの郊外の別荘だ。こぢんまりとした邸宅の周囲はクルスミ畑。花の盛りだ。  この花を見ると、ワレスは思いだす。  ワレスは一時期、この屋敷で暮らしていたことがあった。  まだ十代の後半で、大ケガをして、ジョスリーヌにひろわれたばかりのころ。ケガの療養のためにつれてこられた。  あのときも、クルスミの花の季節だった。  クルスミは木の実をひいて粉にし、パンにする。近ごろでは麦も北方の国から入ってきたが、クルスミのほうが舌ざわりがなめらかで、ほのかに甘い。  ユイラ人好みなのだ。  だから、いまだに郊外では、広大なクルスミ畑が広がっている。  毎日、ケンカをして、すさんでいた、あのころ。  とても大切な人を失い、その喪失感に、もがき苦しんでいた。  だが、心とは裏腹に、体は生命力にあふれていた。いやになるほど順調に回復していった。  歩けるようになると、ワレスは一人で庭を散策した。庭から続くクルスミ畑へもよく行った。  おれは、また死ねなかったのか。  どうしても、おまえのところへは行けないんだな。  思うのは、いつも、逝ってしまった人のことばかり。  花は満開なのに、涙が止まらない。  そんなときだった。  ワレスがその娘に出会ったのは。  どこからか罵声が聞こえてきた。 「このグズ! 何度、言えばわかるんだい? おまえは何やらせても不器用だね!」  畑の小作人のようだ。  数人の女にかこまれて、娘が一人、うなだれている。  それは異国の娘だった。  港あたりでは、外国船の船乗りを見たこともある。南の六海州の男や、砂漠の国ブラゴールの男。  だが、その娘は、六海州やブラゴール人とも、どこか違う。きゃしゃだし、顔立ちがまったく異なるのだ。  しばらく見ていると、女たちは罵るのにも飽きたのか、散り散りに去っていった。  あとに一人残った娘は、何事もなかったかのように、クルスミの花の剪定(せんてい)を始める。  なんだか、こたえたようすがない。あるいは言葉が通じていないのかもしれないなと、そのときは思った。  夜になって、ワレスは骨折したところの痛みで目がさめた。骨はすでにつながったが、ときおり、まだ痛む。  いやに月光が明るい。  ワレスは窓をあけて、テラスへ出てみた。クルスミ畑が月光に青白く輝き、怖いくらいキレイだ。  ワレスの生まれた地方は、大理石の石切場が近かったため、町の男のほとんどは石切場で働いていた。こんなに広いクルスミ畑を見るのは初めてだ。  誘われるように、白い花の森のなかへと入っていった。すると、花盛りのクルスミ畑のなかでも、ひときわ美しい花を咲かせる巨木のもとに、人が立っていた。  長い黒髪の女。  あの娘だ。昼間、見た、異国の娘。  幹に手をあて、なにごとか、ささやいている。  月光のなかで、その姿は人とは思えないような空気をまとっていた。  瞬間、目をうばわれた。  ワレスが話しかけようとしたときには、娘は風のように逃げだしていた。あまりにすばやいので、じつは娘はこの世の人ではなく、死者の霊なのではないかと、あやぶんだ。  あんなところで、何をしていたのだろう?  ワレスは気になって、その巨木のもとに歩みよった。ぐるりと一周すると、うろを見つけた。  手を入れてみると、封筒が一つ入っていた。  恋文だろうか?  誰かとの秘密のやりとりをしているのか。  悪いとは思ったが、ワレスはなかをのぞいてみた。  封はされていなかった。  異国の文字がならんでいる。アルファベットではない。皇都の騎士学校で第三外国語まで学んだワレスでも、これは読めなかった。  読めないことがシャクで、手紙をふところに失敬した。読めるようになるまで拝借しておくつもりだった。暗号解読のような気分だ。  翌日から、ワレスは書斎にひきこもった。どこかに、あの手紙を読むための手がかりになるような書物がないかと考えた。  辞書があれば一番だったのだが、よほど辺境の異国の言語に違いない。辞書は書斎じゅう探しまわっても見つけることができなかった。それに似た言語の本すら見あたらなかった。  ワレスは負けず嫌いなので、こうなると意地でも解読したくなる。  屋敷のなかをむやみやたらに歩きまわっていたとき、厨房の勝手口の近くで、変な本を見つけた。  日記のようだ。パラパラとめくって、がくぜんとする。あの手紙と同じ文字がならんでいるのだ。しかも、二種類の違う言語で書かれている。  つまり、解読不能のあの文字と、ユイラ語がならんでいるのだ。  家計簿といっしょに置かれていたその日記を、ワレスは拝借した。  手癖が悪いのは育ちのせいだ。盗るわけじゃない。あとで返しておけばいい。  というわけで、謎の日記を見つけたワレスは、暗号解読に夢中だ。  日記じたいは、船乗りの航海日誌だった。何年何月何日にユイラの港を出て、南へ向かう——といったような内容が記されている。  内容にも興味があったが、とりあえず暗号の法則を見つけ、単語の意味するものを解読していく。  それによると、こうだ。 “火の月末日、闇四刻までに(たる)二。返しに麦二袋。小屋にて待つ。”  意味不明だ。  しかし、どうも犯罪の匂いがする。 (小屋にて待つ? つまり、誰かとの待ちあわせの約束だな。火の月の末日だって?)  マズイ。今日だ。  ワレスはあわてて、朝のうちに、手紙をもとどおり木のうろに入れておいた。  そして、その日はさりげなく、書斎の窓から、クルスミ畑を見張っていた。書斎は屋敷の三階にあり、クルスミ畑が一望できる。見張りをするには最適だ。  一日、見張っていても、怪しい人物は出入りしなかった。畑で働く女たちが入っていき、夕方にまた出ていっただけだ。  そのなかには、あの異国の娘もいる。  やはり、あの娘が書いた手紙なのだろうか?  だとすると、誰にあてて?  どうも気になる。とくに、樽二、返しに麦二袋というあたりだ。これは何かを渡すかわりに代償をくれという意味ではないのか?  ワレスは一階へおり、庭へ出た。散歩のふりをして、娘のようすをさぐってみようと思った。  畑の出入り口から、女たちが、ぞろぞろと出てくる。しかし、娘はまた農婦頭の女に罵られていた。 「なんだい。これだけ? 一日かけて、これだけしかできなかったのかい? このグズ!」 「でも、それは、途中で肥料を運べって言われたから……」  おどろいた。  娘はちゃんとユイラ語をしゃべっている。  農婦頭は口答えされて、なおさらカッとなったようだ。平手をふりあげようとする。  ワレスはその手をつかんでひきとめた。 「仕事が終わったなら、さっさと帰ってはどうだ?」  ワレスは屋敷の女主人の大切な客だ。女たちはバツの悪そうな顔になって、そそくさと去っていった。 「ユイラ人ってやつは、世界で自分たちが一番すぐれた民族だと思ってるからな。異国人には、あたりがキツイ。おまえ、名前は?」 「……ハナです」  航海日誌をひたすら思いだし、意味を解する。 「(らーな)か。女神の名だな」  ユイラでは春の女神の名前だ。  娘は、しかし、警戒したように頭をさげて逃げていった。ワレスは肩をすくめる。  そういえば、あの航海日誌に、“ハナ”の記述があったような?  ワレスは自室に帰り、航海日誌を読んだ。やっぱり、そうだ。  船乗りはユイラでは冒険家として知られた貴族だったらしい。航海途中で遭難船に出会い、女の子を助けている。その女の子の名前が、ハナだ。  じゃあ、あの娘は遭難者だったんだな。  しかし、その子は船乗りにひきとられ、育てられることになったはずだ。なぜ、今になって小作人なんてしてるのだろうか?  それ以上は航海日誌には書かれていない。あとはちょくせつ娘から聞いてみるしかない。  だが、その夜、ジョスリーヌが皇都からやってきて、ワレスはそれどころではなくなった。  急に女主人が来たので、家令のユングルトも、奥女中たちも大わらわだ。いやにアタフタしている。  ジョスリーヌはワレスを見たとたん、変な歓声をあげた。 「まあっ! おどろいた。すっかり治ったのね!」 「…………」  どうせ、死ぬと思っていたのだろう。それはひどいケガだったから。哀れんでみたものの、生きるとわかると、やっかいになったのかもしれない。 「礼は言わない。おれを助けたのは、あんたの勝手だ」  すると、さらにおどろいた顔をしてから、ジョスリーヌは笑いだした。 「おもしろい子。気に入ったわ。ステキな青い目じゃない」  ワレスは瞬時にジョスリーヌの意図をくみとった。  まあ、それならそれでいい。  行くあてはないのだから、しばらく、貴婦人の退屈しのぎの相手になってやろう。  そうして、ワレスはジゴロになった。
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