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 厨房に戻った探偵は、階段室の扉を閉めてからそちらに体を向けた。 「さあ、今日のメインディッシュといこうか」  もちろん、それが何かを聞いても答えてくれないとわかっている田切は、黙って事の成り行きを見つめていた。  探偵は階段室の扉に手をかけ、力を込めて横へとずらすようにした。階段室の床下から金属の重くきしむ音が鳴り響いてくる。まるで、獲物を逃した悲しい狼の咆哮......  ドア枠はやがて、階段室の湾曲した側壁で満たされた。さらに探偵はそれを直接手で手繰(たぐ)るようにして、右へ右へと回していった。  田切は目の前で起きる光景に、ただ唖然とするばかりでいた。  軽い足音が聞こえ、田切は肩越しに首を後ろへ振り向けた。手ぶらのウェイトレスが、一仕事終えた満足感を発散させながら、こちらに近づいてきていた。 「あの二人はもう大丈夫です。逃げ場はどこにもありませんよ」  ウェイトレスが言うと、若月は白い歯を見せて、また「ありがとう」と言った。  既に探偵が収まるドア枠から、先ほどと同じような階段室の内部が観察された。しかし、事情を薄々知りながら見ると、同じ木の材質の中に、傷の様子や形状など若干の差異が見られるような気がした。 「さて」若月は二人の方を向いた。「ドロシーが何者かに首をつかまれそうになり、慌てて逃げてきたときミカエルは、彼女がおかみさんのそばへ寄っていく隙に、今のように階段室を回転させたんだ。  きっと、階段室を『通常』に戻すのを忘れていたのかな。もしそのままだったら、他の人たちもあの『部屋』へ押しかけてしまうからね」  さらに探偵が「そうだったね」とウェイトレスに問いかけると、女性は「ふふ」と含みのある笑みをしてみせた。  当然、三人は新たに出現した階段を上っていった。一階と二階の間の踊り場にさっきの写真は、やはり、ない。  そして、そこから上へと伸びる階段を「二つ」上ると、問題の「部屋」の扉が現れた。  探偵は田切の予想に反し、かなり注意深く扉を開けた。若月は取り出したスマートフォンで、中の暗闇に光を当てた。 「君は大学生だね。大丈夫か」  田切は中を覗き込んだ途端、「ひ」と声を上げそうになった。中に、膝を折り曲げてうずくまる若い男性の姿があった。 「脈はしっかりしている」と若月。「もう人の首根っこをつかむ元気もないようだが、見たところ外傷もないし、救急隊に預ければきっと助かるだろう。まったく、調理されなくて幸運だったよ」 「アドルフ」田切はぼつりと一言だけ言った。そして何気に反対側に目をやると、今度は驚きで「うわ」と声を出した。そこに、男性同様かがみ込む和装の女性が目に入ったのである。  女将、野神京子の両手首は、まとめて結束バンドで縛られていた。恐れる田切の横をすり抜けて、ウェイトレスが中へ入り、ハサミで女将の拘束を解いてやった。 「もう、何事かしら」  狭い空間で立ち上がる女将は、気丈な様子でそう言った。長時間拘束されていたはずだが、恰幅の良い女性の生気は十分で、もしその瞬間田切と相撲でも取れば、悠々と相手を寄り切れそうであった。 「今ここへ来るとき」探偵が特に田切へ言った。「二階の扉を通り過ぎたわけだけどね。その鍵は本当に馬鹿になっているらしい。女将さんは、仕事に従事する中で階段室の二重構造に勘づいてしまったんだろう。それから彼女がこうして拘束されてしまった理由は……これも後で君自身で考えてみたまえ」  探偵は言いながら、今度は空間に手を伸ばし、その先へ徐々に体重をかけていった。  重量のある物が床と擦れる音。  相変わらず、暗闇ばかりであったが、狭い空間の脇に亀裂が生じたのを、田切は視界の隅で確認した。  探偵がそこへ体をねじ込むようにして進んでいった。田切も真似てそうすると、部屋の電気が点けられ、視界が一気に明瞭になった。 「物置き小屋」かび臭い部屋の中で、田切は思わずそうつぶやいた。 「ご覧」探偵は田切の後方を示した。  大学生と女将が拘束されていたのは「タンス」ではなく、錆びた金属製のロッカーであった。そしてその上には、真っ赤な「蓄音機」ではなく、公衆電話が埃をかぶったまま放置されていた。  それが写真で見た物と同一であると理解するのに、もはや説明はいらなかった。
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