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11.黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ
湖に戻ると辺りは既に暗く、月明かりが湖面を照らしていた。
僕は水面に映った自分の姿を見て息を呑んだ。白鳥だったはずが、羽が黒くなっている。
ロットバルトの力を受け取って淫紋が黒くなったせいなのか……?
急いで岸に上がり、月光を浴びて人間の姿に戻った。
人間に戻った後も、今まで白い服だったのに全身黒い服に変わっていた。
「オディールと呼んだほうが良い」ってそういうことか。
なるほど僕はロットバルトの娘の黒鳥に変身したわけだ。
バレエの白鳥の湖ではジークフリート王子はオデット姫に愛を誓って助けるつもりだったのに、オデットそっくりの黒鳥オディールに誘惑され間違えてオディールに愛を誓ってしまう。
僕もこれから滉一さんを騙すことになる。彼は僕を助けるつもりで抱いてくれるが、実際はそうならない。
そんな僕におあつらえ向きの黒い衣装だ。
そのときパキっと小枝を踏む音が聞こえた。ジークフリート王子の到着だ。
「直也、いるか?」
「滉一さん」
「ああ、よかった。あれ?今日はなんだか雰囲気が違うね」
「そう?ちょっと着替えただけだよ。滉一さんも毎日違う衣装でしょ?」
「そうだな。今日のは一昨年着た白い王子様だな」
「似合ってる」
僕は滉一さんの胸元に手を触れた。
鍛えられた肉体だということが衣装越しにもわかった。
彼がいかに努力してこの体型をつくり上げ、技術を磨いてきたか僕は思い出していた。
それをこんな所で失うわけにはいかない。もっともっと素晴らしい舞台が彼を待っている。
「そうだ、今日は珍しいチョコレートが手に入ったから持ってきたよ」
「ありがとう。でも、早くしたいんだ……」
「そうか。セックスさえすればもうお前は生き返れるんだよな。食料なんていらなかったか」
違う、生き返るんじゃない。ロットバルトの物になってしまうんだ……
と思ったが言えるはずもなかった。
とにかく早くしないと、現世の滉一さんが死んでしまう。
花織ちゃんはアパートの部屋でガス自殺を図ったので、部屋全体にガスが充満するにはしばらく時間がかかるはずだ。
僕は背伸びして滉一さんの顔を自分の方に引き寄せた。
「お願い、早く来て……」
「なんだ?記憶が戻ったみたいだな。そうやってよく俺を誘ってくれていたよ」
「うん。思い出したんだ、全部」
「そうなのか!良かった。これでお前も助かってめでたしだな」
滉一さんが僕の半開きの唇から舌を差し入れ、中をくすぐった。
そのまま草の上に押し倒される。
「ん……ふぅ……」
「こうやってまたお前を抱ける日が来るとは」
滉一さんが僕の服を脱がして露わになった肌を舐めた。
「あっ……」
「早く夢の中じゃなくて本物のお前を抱きたいよ。話もできなくて……眠ってるお前を見るのはすごく辛かった」
「ごめんね……あんっ……あ……下も触って……」
このまま抱かれたら、もう僕が現世で目覚めることはない。
滉一さんとも話せなくなってしまう。
そう思うと目頭が熱くなってきた。
「どうした?泣いてるのか?」
「あ……その、嬉しくて。また滉一さんとこうして抱き合えて嬉しいんだ」
「そうか。俺も嬉しいよ。毎晩お前に会う夢を見て……最初は朝目覚めるのがキツかった。お前と話せたのが嬉しいって気持ちと、夢だったという絶望でね」
「滉一さん……」
「でもようやくお前を取り戻せるんだな」
「滉一さん……ごめんなさい。愛してる……愛してる……」
僕は泣きながら彼の背中にしがみついた。
騙してごめん。目が覚めて僕が死んだって知ったらまた滉一さんを悲しませちゃうよね。
本当にごめん……
「どうしたんだよ、子どもみたいに泣いて」
滉一さんが笑いながら僕の涙を舐め取った。
「ほら、泣いてちゃできないだろ?最後までしないとだめなんだよな」
「うん……ごめんなさい。ゴメンね……こういちさん……好き」
「可愛い奴だな。ほら、泣き止んで。すぐにまた会えるんだろ?」
「うん……そうだね、うん……」
泣いてる場合じゃない。早くしないと滉一さんの身体が窒息死してしまう。
そこから僕は黒鳥になったつもりで滉一さんを誘惑し、淫らに喘いで彼を喜ばせた。
「ああ……っもう挿れて滉一さん」
「じゃあ挿れるよ」
「あ……はぁ……ぁ……」
ーーー最後にこうして抱き合えたこと、覚えててね。僕も忘れない。
滉一さんの胸の厚さも、汗の匂いも、気持ちよさそうに眉を顰める顔も、筋張ったふくらはぎの感触も……
なるべくゆっくり味わいたいけど、そんな時間がない。
僕は滉一さんが早く達することができるようにいやらしく腰を振って興奮を煽った。
「いいっ、もっと……もっと激しくして……」
「積極的だな。綺麗だよ直也……愛してる」
「僕も……僕も愛してる。滉一さん……気持ちいい……ああっあ……!」
僕は泣きながら絶頂を迎えた。滉一さんも僕の中で果て、温かいものが下腹部内に注がれるのを感じた。
これでいい……これで滉一さんは助かる……
2人で下着姿のまま地面に寝そべっていた。滉一さんが僕の頭を撫でて額にキスする。
「良かったよ」
「僕も気持ちよかった。ねえ……久しぶりに滉一さんの踊ってるところが見たいな」
「え?今か?目が覚めてからでいいだろう」
「お願い、その身体を見たらどうしても踊ってほしくなったんだ」
最後に滉一さんが踊るところを目に焼き付けておきたい。
彼は満更でもなさそうに笑って言う。
「仕方ないな。俺がお前の頼みを断れないのを知ってるな?」
「うん」
「何がいい?どうせなら一緒に踊ろう」
「じゃあ……3幕がいい」
この身体で白鳥は踊れない。
「黒鳥のグランパドドゥのアダージョを」
「いいよ」
アダージョの部分は物憂げなヴァイオリンソロから始まる曲に合わせて2人がゆったりと踊る。
黒鳥オディールは王子を誘惑しようとしているので、ダンサーによっては挑発的に踊られることもある。
でも美しいオディールに魅せられて近寄ろうとする王子を引き寄せては突き放すという振り付けが、今の自分と滉一さんの間柄のようで切なくなる。
まるで僕を求めてくれる滉一さんと、その胸に飛び込みたくてもこの後別れる運命と知っていて身を預けきれない僕の姿そのものだ。
最後のパドドゥを丁寧に踊る。
これまで僕は、誰かのコピーで振り付けを真似して踊るばかりだった。だけど今初めて自分の解釈で自分の気持ちの表現としてバレエを踊っていた。
滉一さんの凄いところは、彼自身の技術の高さだけでなく一緒に踊る相手の実力を遺憾無く発揮させるということだ。
彼と踊るとまるで、自分がものすごく上手くなったように感じるのだ。
最後は後ろから支えられながらピルエットで5回転しアチチュードで踊り終えた。足を下ろし背後からお腹に回された滉一さんの手をギュッと握って頭を彼の肩に預けた。
「滉一さん。ずっとずっと踊り続けてね。何があっても舞台に立って」
「なんだよ?変なこと言うなぁ。当然だろ。俺は踊るしか能がないからな」
「それじゃあ……もう行って。早くしないと目が覚めなくなっちゃう」
「そうなのか?じゃあ、またあとでな」
「うん、愛してる」
「俺も愛してるよ」
離れたくない。本当はまたあとでなんて会えない。これでお別れなんだ。
でももう行ってもらわないと……
無理矢理身体を引き剥がして振り向き、彼の顔を見た僕は恐怖で凍りついた。
滉一さんの背後にロットバルトが音もなく静かに立っていたのだ。
「涙ぐましい自己犠牲の精神だな。素晴らしい愛の物語を見せてくれてありがとう」
悪魔はわざとらしく涙を拭うふりをしてみせる。それに驚いた滉一さんが声を上げた。
「うわっ誰だ?!」
「なんで……あんたがここに……」
驚く僕達を見て悪魔は大笑いした。
「ハハハハ!騙されたな、ジークフリート王子。お前が抱いたのはオデットではなくオディールだ」
「何?どういう意味だ?直也、この人は……?」
「私はロットバルト、悪魔だよ」
「え……悪魔って、白鳥の湖の?」
「滉一さん、早く戻って!こんな奴の言うことは聞かなくていいから」
ロットバルトが余計なことを言う前に帰らせないと。
「おお、おお。可愛いオディールや。そんなことを私に言って良いのかな?お前は私のものになったというのに」
「やめてよ……」
「何?どういうことなんだ直也」
状況の飲み込めない滉一さんに対して悪魔が半笑いで言う。
「この可愛い直也くんは、お前の命と引き換えに私のものになったのさ」
その言葉を聞いて滉一さんが僕の肩を掴んだ。
「なんだって?おい、話が違うじゃないか!直也、どういうことか説明してくれ!」
「滉一さん……ごめんなさい。滉一さんが……花織ちゃんに殺されかけていたから仕方がなかったんだ。もう僕はここから出られない。だからこれでお別れなんだ。早く行って。もうここにいちゃだめだ」
「直也!そんなこと俺が納得できると思うのか?」
すごい剣幕で言われたけどもうどうしようもない。
「間抜けな王子様よ。せいぜい後悔しながら泣いて暮らすことだ!行くぞオディール」
「ごめんなさい!滉一さん……」
ロットバルトのマントに包まれて滉一さんの顔は見えなくなった。
これでいいんだ。これで、滉一さんは助かる。
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