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3.身の上話
「僕の話聞いてくれる?」
僕と滉一さんは湖畔の木の根元に座って話し始めた。
僕は柾木バレエスタジオの代表者である柾木典子の長男だ。
ちなみに創設者は祖母。
幼い頃からバレエが身近にあり、当然のようにプロのダンサーになるのが夢で……なんて思ってるわけではなかった。
僕の場合1つ上の姉がいて、男の僕より姉の方が力を入れて指導されていた。
姉は才能もあって優秀なダンサーになると誰もが思っていたんだ。その陰で僕は姉の補欠のような役割をさせられていた。
そもそも物心つくまで自分は姉と同じ女だと思っていた。姉のお下がりをずっと着せられていたし、姉と同じようにバレエのレッスンを受けていたから。
髪の毛も小学校2年生になって僕が泣き喚いて拒否するまで、シニヨンが結える長さより短くさせてもらえなかった。
僕は姉みたいな才能あるダンサーでは無いけど、他の人を真似るのが得意だった。なので姉の癖まで完全にコピーして踊れた。常に姉の補欠として控えていて、姉が発表会当日に体調を崩した時などは僕が代わりに踊った。
母も別に僕には期待もしていなかった。とりあえず姉と同じことをさせているというだけだ。他の生徒さんたちも構ってくれるし、僕的には幼少期はお姉ちゃんがたくさんいるってかんじで楽しかったと記憶している。
ただ、小学校に上がるとバレエをやってる男子なんて周りにいないので揶揄われるようになった。髪の毛も長かったから余計に目立って、2年生の時に耐えきれなくて泣きながら自分で髪を短く切ったのだ。
母もさすがにこれを見て可哀想だと思ったのか、女の子の格好で踊らされる事はほとんど無くなった。
それでも依然としてレッスンには参加していた。他に出来ることもないし、気が弱かった僕は乱暴な男子に混じってサッカーや野球やゲームをするよりお姉ちゃん達とレッスンしている方が気楽だったんだ。
姉は益々実力を付けてコンクールなどでも結果を出していたが、中学生になる頃には僕に本当はバレエを辞めたいんだとこぼすようになっていた。
僕は相変わらず、男物の服は着るようになったものの姉のコピーダンスばかりしていた。なので、姉がバレエをやめたがってるのも何となく気付いてはいた。
そんなある日、教室の発表会の直前にレッスン中姉が足を挫いてしまった。発表会の主演はもちろん姉の予定だった。
それで当然教室ナンバー2の花織ちゃんが代役に立つと思っていたが、姉は僕に代役を務めるように強く勧めた。
母も困惑したが、実力で決めろと言って聞かない姉によって花織ちゃんと2人で同じバリエーションを踊って比べてみることになった。
僕は姉のコピーしか出来ないからそのまま踊った。
花織ちゃんは泣いて悔しがっていたが、誰もが僕の勝ちを認めたため、僕が主演をやることになってしまった。
演目はくるみ割り人形で、クララ役だ。
教室の発表会といってもうちのスタジオだけでやるわけではなかった。母のスタジオは高杉バレエカンパニーの公認を受けた支部のような教室で、もっと大きなスタジオの大人のダンサーと一緒に踊る。
くるみ割り人形をやる時は母のスタジオから子役を出すというのが恒例だった。
僕はその時中学1年だったけど身体が小さく華奢で、顔は姉そっくりだったから女の子役もやれた。
髪の毛はショートだったのでウィッグを被ることになった。
そしてその公演で王子役をやったのが5歳年上の滉一さんだった。
滉一さんは当時ベルギーのアントワープ王立バレエ学校に留学しており、クリスマス休暇で帰国したタイミングでゲスト出演したのだった。
滉一さんは高杉バレエカンパニーの創設者の孫だった。
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