2×××年―― アヤとテツヤ

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 「お父さん、どうしてそんな急に……」  アヤはテーブル上の錠剤と父の横顔を見比べながら訊く。いつの間にか、涙がこぼれていた。  錠剤を飲めば、眠るように死んでいくことができる。ノア計画不参加と決めた者に無条件で与えられた権利の象徴だ。  今後10年で地球は加速度的に蝕まれていき、汚染によりどれほど厳しい環境になっていくかわからない。健康状態が急激に悪化したり、食料が一気に不足することもあり得る。  また、そんな中で、残された人々がどう変わっていくかも不明だ。  中には、自暴自棄になって破壊的な行動をとる者もいるだろう。どうせ死ぬのだから、と重大な犯罪を繰り返す者も出てくるかもしれない。治安がとてつもなく悪化し、冷静に生活しようとする者が犠牲にされることが増える世界……そうなる可能性もある。  とても生きているのがつらい状況になったときに備え、与えられたのが安楽死用の錠剤だった。  「ずっと考えていたんだ。アヤの未来を自分のために閉ざさせてはいけない、とね。お母さんもきっとそう言うだろう」  お父さん……。  父は今年還暦を迎えた。また、数年前脳梗塞で倒れ、その後遺症で両足にマヒが残っている。そのため、ノア計画には自ら参加しないことを表明していたし、希望してもおそらく却下されただろう。  「やだよ、お父さんっ! 私も一緒に、お母さんのところに行く。また3人家族に戻ろう」  泣きながら父にしがみつくアヤ。  「アヤは、テツヤ君と一緒に、新しい地球で新しい家族を築いていくんだ」  父は、優しく、そしてその奥に強い意志を込めた瞳でアヤを見つめた。  「でも、でも、そんなに急になんて、いやだよぅ……」  アヤはずっと泣き続けることしかできなかった。  しばらくそんなアヤの頭を撫でていた父が「それなら」と口を開いた。  え? アヤが顔を上げる。  「すぐにこれを飲むのはやめよう。アヤが明日までにノア計画参加を申し出るのを確認する。それから、できれば、アヤとテツヤ君の結婚式を見たいな」  「お父さん……」  「なに、ささやかなものでいいんだよ。なあ、母さん?」  父の目が、母のホログラムに向けられた。母も満面の笑みを見せたように感じられた。
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