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薄汚い、暗い路地を、ごみをはね散らかしながら駆ける。この路地を抜ければ、人通りの多い通りに出られる。そこまでたどり着けば、きみにもまだ望みはある。
だがあと数メートルというところで右膝が砕け、きみは転倒した。追手に撃たれたのだ。
きみは痛みをこらえて振り返り、両手で銃を構えた。周囲に撃ちこんだ榴弾が破裂してブロック塀を崩し、辺りに土ぼこりが舞い上がる。それを目隠しに、きみは必死で立ち上がった。きみの脳裏に、ポッドの中の男の姿が浮かぶ。男はきみにそっくりだ。きみのバックアップ、きみの後がま。
――死んでたまるか!
きみは叫んだかもしれない。バックアップに対する理不尽な怒りが、きみの足を進めさせる。だが土ぼこりを引き裂く銃弾が、今度は肩に当たった。きみは、苦鳴を上げて倒れる。
崩れた塀の向こうから、四つ足の怪物が姿を現す。テロリストの追跡用ロボット。上空にはドローンも飛んでいる。きみはまだ諦めない。明るい方に向かって、がむしゃらに這い進む。
――ちくしょう。俺の人生だったのに。俺が死に、お前が全てを取るというのか。そんなの許さない。戻るのは俺だ、俺であるべきなんだ……
次の瞬間、きみの頭は鋼鉄の脚に押さえつけられる。口の中に、砂の味。後頭部に熱をもった銃口が押し付けられた。
ロジー。アグネス……
振り回された腕がサイドテーブルをかすめ、空のマグカップと充電中の端末が床に落ちて鈍い音を立てた。背中に衝撃を感じ、ぼくはさらに身もだえた。実際はソファから落ちただけだとわかっても、手足の動きを抑えられなかった。
「どうしたの?」
暗がりの中、アグネスの声が聞こえる。体を起こそうとしたが、足が震えて立たなかった。全身がぐっしょり汗で濡れている。
カーペットにうずくまるぼくを見て、アグネスが近づいてきた。
「うなされてたわね。悪い夢を?」
彼の妻。彼の家族。ぼくが奪った。
「ごめんよ……」
バックアップを取ったあの瞬間に、ティム・ゴッガーという人間は二つの存在に別れ、永遠に交わることはなくなったのだ。ティムは楽観的過ぎて、それに気づかなかった。そして今のぼくには謝罪以外、できることはないのだった。
「帰って来たのが『ぼく』で、ごめん。オリジナルのままで、必ず帰ると約束したのに、約束を破ってしまった。アグネス。本当にごめん……」
ぼくの前でアグネスが立ち止まる。すぐに呆れるか怒るかして、立ち去るだろうと思った。だがアグネスはしゃがみこみ、その指先がぼくの肩に触れた。彼女の声も震えていた。
「もう、わからない。あなたは、指輪を置いていった『彼』じゃない。……でも、あなたは、ティムなのね……?」
彼女の腕がぼくの肩にまわる。その腕にすがり付いた。
ぼくたちは、逝ってしまったティム・ゴッガーのために泣いた。
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