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滑らかな白い寝台に横たわるきみは、玄関先で妻と交わした会話を思い出していた。
『ティム、大丈夫なの? 体に害があったりしないのね?』
『大丈夫だよ。そもそもバックアップの目的は、ぼくを存続させることなんだから』
『でも……』
「ゴッガーさん。開始します」きみの回想は、技師の声かけによって中断した。
「バックアップ取得中は頭皮にムズムズするような感覚があるかもしれません。ニューロンネットワークのスキャンをするためですので、問題ありませんよ」
技師は装置を稼働させた。寝台が動きだし、きみを載せてトンネルのような装置の中に滑り込んでいく。
生体バックアップを取るのは、きみにとっても初めての試みだった。
政治的な戦闘行為(つまり、戦争)は、AIとロボットがやってくれる。一方で対テロ作戦のように、どうしても人間の介入が必要な仕事も残っている。バックアップは、万が一に備えた保証だ。作戦中にきみが死んだ場合、事前に取得したバックアップが起動するのだ。
もちろん、死んだきみと起動するバックアップとの間に完全な連続性は無い。つまりこれは、究極の死亡保険なのだ。残される家族のため、アグネスとロジーのための。
きみは、全てを承知してこの作戦を受け入れた。きみは肝の座った男で、状況を楽しむ余裕がある。全身が装置の中におさまると、きみは笑った。
「ほんとだ、頭がムズムズしてきたよ」
そこできみの意識は途切れ……
……ぼくが目を覚ました。
口もとにまだ微笑が残っている気がする。触って確かめようと引き上げた腕には点滴の針が刺さっていて、ちりちりと皮膚を引っ張った。
「復活おめでとう」
ベッドのすぐそばに、中年の男が座っていた。バックアップ取得時に同席していた女性医師の姿はない。ぼく自身、すでに装置の上ではなかった。小さな個室のベッドに寝かされている。起き上がろうとすると、めまいがした。
「私はドクター・ルイス・パーマー。君の担当医だ」
男は抑揚の無い声で話す。……待て。この男、さっき「復活」と言ったのか。
「どうなってる? ぼくは、このぼくは」
全身に寒気がして、視界がぐらぐら揺れている。パーマー医師は、眼鏡越しに灰色の目でぼくを見た。そしてゆっくりと言った。
「君は、ティム・ゴッガー。……ただし二か月前にバックアップした方のだ」
ぼくは気絶した。
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