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3週間後、同じカフェに東山田を呼び出したのは石野の方だった。
「東山田先生。大変申し上げにくいのですが……」
石野はプリントアウトした例の新作原稿をテーブルの中央に置いた。数日前に印刷したばかりのそれは、1月以上使い込んだかのようにシワや手汗の跡があった。
「こちらの作品では出版会議を通らないでしょう。それどころか……」
「何だ?」
作家の目が険悪に光った。しかし、この日の石野は負けなかった。
「……温泉が舞台なのはいいですが、やたらと温泉で改心しすぎですよ。1章、3章、4章、ある意味ラストもですか? あと脱衣所に重要アイテムを忘れる率の高さ!」
「登場人物も多すぎます。作者も区別できてないじゃないですか。しかも、何でみんな『ニコッと笑う』んです? この町にはそういう条例でもあるんですか?」
「誤字脱字その他もろもろ……正直、これは小説とは呼べません! 覗き見した他の社員の感想も散々でした。一体どういうスランプに陥ったらこうなるんですか!?」
バンッ、と石野は右手で原稿を叩いた。周りの客の視線が刺さっている気がしたが、これは会社の、いや国家の一大事だ。
東山田は眉を寄せてしばらくの間押し黙っていた。
「いいのが見つかったと思ったが、また別のを探すか」
「先生。これはアイディアの問題ではなく――」
「そもそも、前のが急に辞めさえしなければよかったんだ。恥知らずめが」
「あの? 何の話をしていらっしゃるんですか?」
東山田は鬼瓦のような渋い表情のまま、ぼそっと言った。
「ゴーストライターだ。俺には小説は書けないからな」
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