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「邪魔するぞ」
一頻り泣きじゃくって、ぼんやりした頭で座り込んでいた俺と表情も変えずにそんな俺を眺めていた彼との空間に第三者の声が響いた。
高いような、低いような、澄んだような、籠ったような不思議な声だと感じた。
ゆっくりと彼が顔を声のした方へ向ける。
「ちはる」
声の主はチハルと呼ばれた。
チハルは少年って言っても構わないような体躯で、前髪が長くて表情が全く読み取れない。
遠慮の欠片も見せない動きで部屋に入ってきて俺の隣に腰を下ろすと、細い手をぬっと伸ばして俺の背中を擦った。
「成長すると中々目一杯泣くなんて出来んようになるわな」
長い前髪から透けて見えた瞳は造形こそ鋭かったけれど、なんでか優しく感じた。
全く似てないはずなのに、もう二度と会うことが叶わなくなった兄ちゃんに似ているような気がして俺の決壊した涙腺は氾濫してまた涙をぼたぼた溢す。
「おわっ!なんで泣く」
「わか、ら……」
「わかったわかった。泣け泣け」
俺の頭を抱えるようにして肩に押し付けて、背中をこすこすと不器用に撫でる。
誰かに抱きしめられて泣いたことなんてなかった。
煙草と香水の混じった独特の香りが鼻を掠めて、この人は俺の知らない人なんだって頭の隅で当たり前のことを再認識してしまった。
俺が泣いている間、彼は何一つ言わず、動かず、ただそこに居た。
ただ、そこで待ってた。
「……すみません。もう、平気です」
「ん」
身を離した俺の顔をなるべく見ないようにしながら、チハルは着ていた臙脂色の薄手のカーディガンの袖で俺の頬を拭ってくれた。
それがサマーカーディガンだったもんだから七分袖で、チハルは頑張って頑張って延ばして俺の頬を優しく拭ってれるから少し笑えてきた。
なんで見ず知らずのガキにこんな風にしてくれるんだろう?
「親族はミツが話つけたぞ」
「わかった」
何の話をしているのか分かっていない俺に、彼はやっぱりあまり表情の無い顔をして言い放った。
ついでに言うなら声の抑揚もあまり無い。
「耀、お前は今日から俺の息子になった」
急に言われた言葉に驚いて心臓が飛び出すかと思ったわ。
「むす、こ?」
彼はやっぱり黙ったまま頷いた。
事態が飲み込めずにチハルを見つめれば、やはりこちらも表情が読めない。
静かに頷いてまた俺の隣に戻ってしまった。
どうしたものかと呆けていたら、親戚のおばちゃんと見知らぬ男の人が部屋に入ってきた。
「耀君あのね……」
おばちゃんの言葉は柔らかなオブラートに包まれてはいたけれど、要するに俺の面倒を見る余裕のある家は無くて、東京にある彼等の暮らすシェアハウスで面倒を見てもらえる運びになったことを示していた。
もしそれを拒んだとしても、彼が養子縁組して親として俺のサポートをしてくれること。一人で生きていっても構わないけれど、親戚一同からの援助は期待できないこと。
そういうことをとても歯切れ悪く説明された。
「わかった」
「耀君?」
「おばちゃん、ありがとなぁ。俺、東京行くわ」
おばちゃんは心底ほっとした顔をした。
こういう時に遺児を引き取れる人間て本当に凄い人なんやって、そう思った。
彼はおばちゃんの隣に立ってる男の人にスっと視線をやる。
「ミツ。悪いけど諸々任していいか?」
「おー、ええで」
「そうしたら、ちはるも後は頼んだ」
「おぅ」
ミツと呼ばれた人の良さそうな兄さんは俺の前にしゃがんで目線を合わせてきた。
ニカッ!て笑うと八重歯が見える。
少し垂れ気味の眦と笑った時にチラチラ見える八重歯がやたらと人懐こそうで、俺はちょっとだけ警戒を解いた。
「そしたら今日から耀はうちの子やからな。変な遠慮とかはいらんからなぁ」
「え?うちの子て?」
「俺は日南充であっちは四谷千春。お前の親父になった幸村圭の腐れ縁ってやつや」
なるほど。
俺が世話になるシェアハウスの住人か。
ミツは愛称だってカラカラ笑って、俺に向かって一人でよく頑張ったなって言いながら目一杯撫でた。
チハルは俺の隣に黙ってちょこんって控えてる。
二人に色々説明を受けて、親類と話をして、俺は身の振り方を考えた。
学校の友達と離れるのは寂しい気がしたけど、この家や街には家族の気配が強過ぎる。
「一人でこの家で暮らすのは俺にはしんどい」
俺がそう言うと、知らずに握りしめてた手をとってチハルがそっと上から包んでくれた。
ちょっと下にある瞳が、辛いことは言わなくて言いと見上げて首を横に振る。
「けー君と東京行く。そんでいったんリセットしたい」
「ほんまにそれでええんやな?」
ミツ君は人の良い優しい目をして俺を見つめる。
一人では生きられない。
俺はそんなに強くない。
だから、今はけー君の厚意に甘えることにした。
「おん」
頷いた俺をミツ君は笑って抱き締めてくれた。
なんでやろ?
もう二度と会えへんおかんを思い出した。
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