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彼女と始めて出会ったのも紅梅の下だった。
祖母の家に来る前に暮らしていたのは東京でも西のほう、駅で言うと拝島の辺りだったんじゃないかと思う。
自然が豊かだった場所に住んでいただけに、緑も乏しい二十三区内にある祖母の家で過ごす日々は息が詰まりがちだった。
母さんと一緒に日々散歩していた多摩川上水沿いの道。
そこで耳にしていた囁くような川のせせらぎが懐かしかったし、そこで目にしていた木漏れ日が眩く射す緑のトンネルのような新緑の桜並木も恋しかった。
取り巻く環境がすっかり変わってしまい、塞ぎがちだった僕のことを気にしてか、その日、母さんは少し歩いた場所にある天満神社へと連れて行ってくれた。
まだ幼稚園の頃のことだったけど、その日のことはハッキリと憶えている。
その春も、紅梅が白梅に先んじて早く咲いていた。
控えめで柔らかな紅に満たされた天満神社の境内は、意外なほどに人影もまばらだった。
垂れ下がる枝々をポツポツと紅い花が飾っていた。
桜のように押しつけがましくもないその花のことを、僕はすぐに好きになった。
別にはしゃぎ回るとかって訳でもなく、ただニコニコしながらその紅い花を見上げ、そして境内に満ちるその花を見渡していたんだと思う。
その時だった。
境内に満ちる紅い花のその向こうに、何やら白い影がピョコピョコと動いているのが僕の目に飛び込んできた。
僕は驚きに声を弾ませながら、デジカメで紅い花を撮っていた母さんに聞いたんだと思う。
「ねぇ、あの白いのって何?」と。
母さんは白い影のほうに視線を向けた後、こう教えてくれた。
「あら、蒼介くんと同じくらいの女の子だよ」と。
そして、それに続けてこう言った。
「ほら、『こんにちわ』ってご挨拶してきてごらん」と。
その時の僕は、祖母の家に引っ越してきたばかりで友達もいなかった。
拝島で暮らしていた頃は同じ幼稚園に通っている友達が近所に何人か居たこともあって、お互いの家を行き来して一緒に遊ぶこともしょっちゅうだった。
それだけに、友達が居ない暮らしというのも、その時の僕にとって気詰まりだったんだと思う。
母さんに背中を押されるようにして、僕はピョコピョコ動く白い影のほうへと駆け寄って行った。
久々に同じくらいの子供と関われるとの思いは僕の心をパッと明るくしていたし、その時の足取りを弾むようなものにしていたんだと思う。
紅い梅の花の下にいたのは、猫耳のついた白いパーカーを着た女の子だった。
母さんが言っていた通り、その年は僕とくらいに見えた。
石畳の上にしゃがみ込んで何かをしていた女の子は、僕が駆け寄ってきたことに気が付いたのか、その顔を上げて僕の方へと向けた。
そして。
黒く艶やかな瞳が僕を射貫いた。
「こんにちは」と、僕はその女の子にあいさつをした。
胸がドキドキしていたのは、そこまで駆けてきたからだと思った。
その女の子は小さくお辞儀をして、「こんにちは」と返してきた。
鈴を転がすような可愛らしい声だった。
僕もその女の子につられるようにしてお辞儀をする。
頭を上げた僕は女の子に問い掛ける。
「なにしてるの?」と。
女の子はその左手を僕の方に差し出してこう言った。
「あかいはなびらをあつめてるんだよ」と。
その左の手のひらの上には、紅い花びらがこんもりと載せられていた。
「あかいはなびらをたくさん集めるとね、およめさんになれるんだよ」と、その女の子は答えた。
その時の僕には「およめさん」の意味なんて分からなかったけど、その女の子にとって大切なことなんだろうなって思った。
だから、僕は、「そうなんだ。てつだおうか?」とその女の子に言ってみる
パッと笑顔になった女の子は、弾むような声で「うん!」と答えた。
それから僕は、その女の子と一緒に落ちている紅い花びらを拾い集めることに熱中した。
石畳の上に落ちている花びらは簡単に拾うことができたけど、黒い土の上に落ちた花びらはしっとりと湿った地面に貼り付いているようで、拾うのには中々手こずった。
そうして集めた紅の花びらが左の手のひらの上に一杯になったところで、僕は、「はい、あつめたよ」と言いながら女の子へと差し出した。
女の子はほころぶような笑みを見せながら、「ありがとう!」と言葉と返し、そして、脇に置いてあった透明のビニール袋を右手で取り上げた。
彼女の左手にこんもりと載せてあった紅い花びらをビニール袋の中に入れた後、彼女はその口を両手で拡げながら、「このなかにいれて」と言いながら僕のほうへと差し出した。
僕は集めた花びらが袋のふちから零れ落ちないように、袋の口の上で左のてのひらを慎重に傾ける。
湿り気を含んだ花びらは一時には左手から離れず、パラパラと散発的に袋の中へと落ちて行った。
不意に、一陣の風が吹き抜ける。
一陣の風は、僕の左のてのひらの上に半分ほど残されていた紅い花びらを一気に巻き上げる。
吹き寄せた風は渦を巻き、紅い花びらを僕たちの上にて舞い上がらせる。
そして、宙を舞う紅の花びらは、女の子のパーカーのフードの上へとフワリフワリと降り注いだ。
その有り様は、まるで花びらのシャワーのように思えてしまった。
咄嗟の出来事にキョトンとする女の子。
「あらら、まるで結婚式のお嫁さんみたいね」
いつの間にか僕らの傍に近寄って来ていた母さんが女の子へと語り掛ける。
「わたし、およめさんみたいなの?」
母さんを見上げた女の子は、不思議そうな表情をその顔に浮かべてそう問い掛ける。
「ええ、そうよ。
お嫁さんみたいですごく綺麗だよ」
母さんはニッコリと微笑んでそう答える。
その母さんの言葉を耳にした女の子は、ニッコリと満面の笑みを浮かべた
それが、僕と彼女との出会いだった。
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