「およめさん」

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「およめさん」

結局、僕はそれから三年の間、長期出張先のウィーンから日本へと戻ることが出来なかった。 何ら意味のある会話を彼女と交すことができないまま、僕は二月中旬のその日のうちに日本を離れ、オーストリアのウィーンへと飛び立ったのだった。 現地の駐在員としての任期は三年間だった。 本来だったら半年に1度の割合で日本への一時帰国が出来るはずだった。 けれども、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行のせいで渡航が制限されてしまい、結局、三年の駐在期間を通じて日本に戻ることは叶わなかった。 *********************** 彼女と僕とは、いわゆる「幼馴染み」だった。 それこそ小学校に進学する前からの「幼馴染み」だった。 ただ、「幼馴染み」とは言っても、幼い頃から今に至るまでの期間をずっと一緒に過ごしてきたという訳じゃなかった。 彼女の家は代々、菓子屋を商っていた。 梅の名所として名高い天満神社の門前に住居を兼ねた店を構えていて、何でもその場所で江戸の昔から商いを続けてきたとのことだった。 そんな彼女の家に対し、僕の父は普通の勤め人で、これまた結構なペースで転勤を繰り返していた。 北は宮城県、そして南は福岡県といった感じで、それこそ1~2年の周期で転勤を繰り返していたと思う。 そんなこともあり、僕がまだ小さくて、そして弟がさらに小さかった数年の間は、その天満神社の近くにある母さんの実家にて、母さん共々お世話になっていた。 彼女と巡り会ったのはその頃だった。
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