命吹き込む者たち

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~スライムを入手されたお客様へ~  スライムのお取り扱いについて 万が一、贈答などでスライムを入手されご不要の場合、もしくは飼育途中でご不要になった場合、大き目のたらい等に水を張り、スライムを両手で水中に沈めながら〈フィーニス〉と唱えてください。これは人工生命体としての命を終わらせる呪文で、スライム職人組合の定めにより、すべての人工スライムはこの呪文によりその命を終えるよう製造されております。この呪文の効果は、持ち主様の魔力の有無にかかわらず発動いたします。 この呪文により、その個体に宿りし魂は天へと還ります。残った身体は呪文により固体化し、製造時の配合によりさまざまな色のクリスタルとしてお手元に残ります。クリスタルは護符としての効果を発揮いたします。等級の高いスライムのクリスタルほど、護符としての効果も高まりますので、ぜひお近くの宝石工房等にお持ちになり、ペンダントや腕輪に加工してご活用ください。 (※加工しない状態でも護符としての効果は発揮されますが、宝石職人の手で加工することによって、その効果はより高まります。尚、護符としてどのような効果が得られるのかは、別添の個体品質証明書をご参照くださいませ。) クリスタルとせず、生命体として愛玩くださる場合も、スライムはあなた様のご家庭やお側に置くかぎり、あなた様を守る護符としての効果を発揮いたします。餌は基本的に不要ですが、ベリー類やレモン、ブドウなどその季節の果実、もしくは香りのよい花を少量与えますと、身体からよく芳香を発します。 また、スライムは身体の水分が減ると、みずみずしさと弾力が減り、歌声が弱くなり、やがて干からびて動けなくなります。三日に一度程度、深皿またはい大き目の盃等に水を張り、スライムを水浴びさせてください。自然の川や湖でも可能ですが、まだあなた様になついていない状態のスライムを自然の川や湖で水浴びをさせると、興奮して逃走してしまう場合がありますので十分にご注意ください。 (※尚、海水には塩分が含まれていますので海水浴は絶対にさせないでください。スライムの身体の構成要素が急激に変化し、ショック死する恐れがあります。) スライムにはあらかじめ当工房にて歌を数曲教え込んだ状態で出荷しておりますが、お客様により新たに歌を教え込んでレパートリーを増やすことも可能です。根気よく同じ歌を繰り返し聞かせてください。難しい場合、当工房でお預かりし有料にて調教することも可能ですのでお気軽にご相談ください。 万が一、歌わない、わがままやいたずらをする、懐かずすぐに逃げようとする等の不具合がございましたら、お手数ですが当工房までお持ちください。個体をお預かりし再調教、もしくは素行の良い同等級のスライムと交換させていただきます。                スライム工房 ロッセフィアンカ                      工房長 フィアンカ・カルミネ    注意書きのびっしり書かれたその紙片を箱の一番上に置いて、包装紙をかける。中に眠っているスライムと同じ、水色のリボンを手際よくかける―青金石の粉末を配合した水色スライムはこの工房では一番人気の色だ。レイアスの手つきは、すっかり慣れたものだ。それもそのはず、フィアンカの工房に入門して二年半、レイアスは毎日、お使いや材料採集に、お使いに、完成したスライムの包装と配達ばかりを任されていたのだから。  スライム職人をめざして、郊外の村から、はるばるこのアティス城下町のスライム工房、ロッセフィアンカにやってきたのは、いま十二歳のレイアスがまだ十歳のころ、たんぽぽの花咲く春のことだった。  両親の持たせてくれた手紙と革袋に入れた銅貨三十枚とを渡すと、親方のフィアンカ・カルミネは、ずる賢いきつねを思わせるこがね色の両目を歪ませて、高慢ちきにレイアスを笑い飛ばしたものだ。 「はっはっは。恐れ入ったな、レイアス君とやら。これっぽっちの金額で、なんの縁もない、どこの馬の骨ともわからない羊飼いの子が、わが工房に入門できると思っているのかね?スライム工房はそこいらの工房とは格が違う。己の魔力によって、作品に文字通り生命を吹き込む、生命体を創る唯一無二の職業なのだから。せめて少なくとも、この十倍は持ってきてもらわないとなあ。スライム職人はそこいらのパン職人や鍛冶職人とは格がちがうのだよ。私たちは、生きる宝石ともいわれるスライムを生み出す、特別な存在なのだからね。」  銅貨三十枚は、スライム工房への弟子入り費用として、羊飼いの両親が無理をして用意してくれたものなのだ。その十倍といったら、両親とレイアスの三人家族が三年も遊んで暮らせる金額だ。そんなもの、羊を追い小さな畑を耕してくらす自分たちに用意できるわけがなかった。悔しさと恥ずかしさで赤くなってうつむくレイアスに、フィアンカ・カルミネは言葉をつづけた。 「きみ、そもそも魔力は持っているのかね?―あるのか。そうか。田舎の百姓にしては珍しいじゃないか。なるほどね、すこしばかり魔力があるからと、君の両親は勘違いして、君をここに送り込んできたというわけか。」  油できれいに撫でつけたつやのある黒髪に、口元には黒いひげを蓄えた端正な顔立ちのフィアンカ・カルミネの、人を見下すような侮蔑的な笑い顔と向き合いながら、レアイスは、村の大人たちの言葉を思い出していた。 「魔法使いんなって、冒険者のパーティーさ入って、世界中を旅したらいいさ。」 「いやいや、一流のスライム職人になって、高級スライムをたんと作って、王様や貴族様に献上するとええ。一生、楽に暮らせるぞ。」 「武器防具職人もいいぞ。魔力のこもった武器防具は冒険者に高く売れっからなあ。」 「いんや、レイアスは心根が優しいから、医者だ、医者がいい。魔力で人様の病気をじゃんじゃん治して、モセ婆さんみたいに、みんなから尊敬される立派な医者になれ。」  たしかに、村で魔力らしいものを持っているのは、自分だけだったのでとても珍しがられた。嵐の翌朝に羽の千切れて死にかけた蝶をレイアスがてのひらにのせて、優しくひと撫ですると、羽は蘇り、蝶はひらひらと太陽に向かって飛んでいくのだった。レイアスの生まれる少し前まで、村はずれのモセという名前の独り身の婆さんがいて、やはり魔法を使えて、痛みをとるのが上手くて村の医者のような存在だったらしい。  魔力の有無で人を判断し、他の職業を下に見て自分を職人の中でも特別だなどと思い込んでいるような男の弟子になるのはごめんだなと、レイアスはすでにフィアンカ・カルミネという男の高慢さに嫌気がさし始めていたが、このあたりにスライム工房といったら、ここアティスの城下町の、フィアンカ・カルミネを親方とするロッセフィアンカ工房しなかく、ロッセフィアンカのスライムはわざわざ遠方からやってきて買い求める金持ちや冒険者も多いくらい品質の高さで有名だということも、レイアスは人から聞いて知っていた。 「―では、入門金相当の下働きをさせてください。何年かかっても、入門金の不足分が清算されるまで、どんな仕事でもします。それまではいっさい、技術の習得を望みません。どうか、入門させてください。」  たとえ下働きでも、なんとか入り込みたい一心だった。ここで引き下がったら、もう入れないかもしれない。銅貨が足りなかったからと村に戻ったら村の恥になるし、両親をひどく落胆させてしまうだろう。それだけは避けたかった。なにより、「生きる宝石」と呼ばれるその生命体を自分の手で創る職人になりたいという、レイアス自身の気持ちが強かった。スライムはその輝きと歌声で場を和ませるだけでなく、孤独な人にとっては人生の友ともなり、家に一体のスライムがあれば、その歌声と護符の効果でいさかいのない円満な家庭になるという。だが、とても高価であり、贅沢品の域を出ない品物でもあった。レイアスの夢は、一人前のスライム職人になり、材料を工夫して、貴族や金持ちやお金に余裕のある熟練の冒険者たちでなくとも、誰もが買えるような値段のスライムを発明することなのだ―それというのも、幼いころ、父親に手を引かれて村から町へと続く細い道を行く道すがら、桜色をした一体のスライムを助けたことがあるからなのだ―まだ幼かったレイアスの小さな両手のひらにちょうど収まるほどの、その小さなスライムは、どこからか脱走してさまよううちに水分が抜けてしまったらしく、道端の枯れ果てた菩提樹の、草に覆われた古い幹の隙間に、身を隠すようにへばりついていたのだった。 「ぱぱ、あれ、スライムだよね。」  そのときまだ幼かったレイアスも、スライムなら、村の収穫祭りでいちど見たことがあった。旅の吟遊詩人が、その右肩にのせていたのだ。見事な演奏を奏でた褒美としてある国の王から授かったというそのスライムは、明るい緑色をしていて、星の光に似た、何とも言えないかすかな光を帯びていた。そのとき草に埋もれるようにして幹にへばりついていた、ふしぎな桜色の物体も、干からびてはいるものの、それと同じ、星に似たかすかな桜色の光を放っていたのだった。 「ああ、そう、だな……こんなところに、めずらしい。でも、触るんじゃないぞ、噛みつかれるかもしれんから……あっ、こら、レイアス!」  父親の言葉を聞き終わらないうちに、レイアスは干からびたはぐれスライムのいる木の根もとへと、走りだしていた。 「すらいむさん、だいじょうぶ?」  レイアスは夢中で腰の革袋の口を開き、中の水をスライムの桜色の身体にどぼどぼと注いだ―すると、どうだろう。煎餅菓子か堅パンのように平らだったその身体はみるみる膨らんで弾力を取りもどし、赤紫色の二つの瞳が突如ぱちりと見開かれ、陽光に反射してきらりと輝いたではないか! 「ありがとう、少年!」  高らかに響くスライムの感謝の声が聞こえた。スライムは、その弾力のある瑞々しい身体を上下左右に伸び縮みさせることで、そのような声を出しているのだった。その声はさらに続いて、水中で鈴を鳴らしたかのような甲高い歌声となってあたりに響き渡り、赤紫の二つの瞳が太陽のようにまぶしく光りだしたので、レイアスは思わず目を閉じた。 「われを助けし幼な子に祝福あれ!」  最後の瞬間、閃光の中で、祝福の旋律がそう歌っているのが聞こえた。そして、歌と閃光が消え、目を開けると、もうそこにスライムはいなかった。桜色の美しい大粒のしずくと、陽光を浴びた葡萄のように美しい瞳、そして鈴の音のごとき美しい歌声。菩提樹の枯れ枝の下に、しりもちをついたまま呆然とするレイアスのうしろから、父親が慌てて駆け寄ってきたのを覚えている。なぜ、スライムがたった一体であんなところに干からびていたのか、そして、なぜレイアスの目の前で突然消えてしまったのか。今となっても、わからない。「転移の魔法で何者かに飛ばされてきて、レイアスのおかげで生き返った後、今度はスライムみずから転移魔法の呪文を唱えて、どこかに飛び去ったのではないかな。」と、父は首をかしげながら言ったものだった。「おまえも、あやうく一緒に転移してしまうところだったのかもしれんぞ。今度からは、行き倒れたスライムがいても決して、助けようなどと思って近寄るんじゃないぞ。」と、心配性の父らしく、レイアスに小言を言うのも忘れなかったが……そのふしぎなできごと以来、レイアスの心は、スライムの美しさに、ずっととらわれて続けているのだった。  だから、持参した銅貨が足りず、親のことまで田舎者呼ばわりされたとき、レイアスは悔しさをすぐに飲み込んで、下働きだけでも置いてほしいと懇願した。さらに侮辱されて追い出されるかもな、とレイアスは覚悟したが、その返事は意外にも親切で、あっさりとしたものだった。フィアンカ・カルミネは、こう言ったのだ。 「……きみの決意は、よくわかった。では、今日からきっかり、三年間だ。その間は、雑用に必要な知識以外、なにも教えない。三年の下働きを終えたら、職人見習いとしての期間に入る。それで良いかな、ポルタ村のレイアス・エストリンド君。」  父がたどたどしい文字でしたためた工房宛ての手紙を広げながら、言葉の最後にフィアンカ・カルミネはレイアスの名を慎重に読み上げた。 ―それからようやく、二年半が経つ。水色のリボンをもてあそびながら、レイアスは思わずため息が出る。贈答用スライムのラッピングが済んだら、こんどは町の外に出て野山で原料となる花と薬草を集める。これらはスライムに命を吹き込むときの魔力の核となるものだ。花と薬草とを工房内の職人たちのもとに届けたら、今度は町の中の宝石職人の工房まで走り、宝石を削ったときに出る切端を仕入れ、また自分の工房に戻る。緑玉や青金石や紅玉といった宝石の切端は、スライムに配合することで色や輝きを出す、大切な原料なのだ。仕入れたあとには、それらの切端を鉄や瑪瑙の乳鉢に入れて粉砕し瓶詰めにする仕事も、レイアスを待っていた。夜明けから晩まで、休める暇は一刻たりともない。    工房の看板娘ならぬ看板スライムのプニラが、レイアスのいる狭くて薄暗い作業場にぷるぷると入りこんできて、気づかわし気に様子を見ていた。 「プニラ、ぼくを心配してくれてるのか?それならなにか、一曲歌ってほしいな。」  蛋白石の屑を配合した虹色スライムのプニラは、大きく息を吸い込むと、近ごろ大陸で流行している恋の歌を、澄んだ歌声で歌い始めた。楽し気な旋律に、レイアスの重たい気分も晴れて行く。  歌う大粒のしずく、とも呼ばれるスライムは、犬、猫と並んで古くから人間の友である。犬や猫と違うのは、スライムは野生の動物を家畜化したものではなく、人の手によって作られた美術品であるという点だ―太古の昔、とある国の王の宝物庫の翡翠の大壺の中から、「星の欠片」を盗もうとして失敗した愚かな魔術師がいたという。彼は宮廷魔術師としての才覚と地位があり、宮廷に出入りする学者や吟遊詩人や貴婦人らを友として語り合った。ある日、大きな宴の席で他国の王族らの前で素晴らしい魔術を披露した褒美として、男は一片の星の欠片を、自らの仕える王から授かった。王は男に言った、「余の宝物庫の中には、余の背丈ほどの大きな翡翠の壺があり、壺の中は一万もの星の欠片で満たされておる。」と。男は光るもの美しいものを愛していた。それらへの愛が、男にとって魔力の源でもあった。王族貴族に自らの魔術を披露しては金銀宝石や錦を褒美として賜り、己の所有物として愛で、眺めることを、なによりの喜びとしていた。はじめて見る星の欠片は、薄暗い王の間で金色に虹色に何とも言えぬやさしい光を放ち、鈴のようなころころとした音色を帯びて男の手のひらの中でゆっくりと回転していた。男はすぐに、一つでは物足りなくなった。こぼれんばかりの一万の星の欠片を満々とたたえた翡翠の大壺を、その目でどうしても見てみたいという欲望が湧いた。もっと欲を言えば、褒美として賜った一つでは足りぬ、と思った。壺から溢れ出た星の欠片がもしあれば、懐に隠して持ち帰ってしまおうとも考えた。男は新月の夜に、王以外は足を踏み入れることを禁じられたその宝物庫に忍び入ろうとして失敗し、宮廷のすぐそばの自宅と、ため込んだ宝とを没収され、たちまち都を追われた。きらびやかな王宮を追われ、家と財産と名誉と友を失い、孤独な放浪の魔術師となり果てた男は、あるとき人のよりつかぬ山の中で、塩の花の咲く湖と出会った。男が来た時、湖面は男の最も愛する日長石と同じ色に輝いていたので、男はそこにあばら家を建てて住み始めた。その輝く湖面を、ずっと見ていたいと思ったからだった。やがて、男は友を失った孤独をまぎらわすために、塩の花と水とを配合して透明で粘性のある物質をつくり、湖面に写る満月の力借りて魔力を注ぎ、生命を宿した。そして、その弾力のある瑞々しいの身体と星のような二つの瞳をもつ生命体に言葉と歌を教え、睦み語り合い、追放の孤独を癒す生涯の友とし、そのさびしい湖のほとりで一生を終えたと伝えられている。数百年ののち、男が製造方法を記した書物を別の魔術師が旅の途中に発見し、さらに数百年が経った今では職人技として各地の工房で受け継がれ、高級な愛玩生命体として広まっている。飼い主のもとから逃げて野生化し、自然の中で繁殖した野生の個体も現在ではいるが、起源をたどると、どのスライムももとは人工生命体なのである。  砂と水との混合物に生命を吹き込むことから、たいていのスライム職人は魔力を有する。(まれに魔力を持たず、工程のうち魔力を吹き込む部分だけを外注依頼する職人も存在したが。)レイアスの親方であるフィアンカ・カルミネは魔術師としても有名で、出来上がるスライムの色つやも歌声も「星の光のように」素晴らしいと評され、護符としての効果も高く、注文の予約が三年先まで埋まっているほど、ロッセフィアンカ工房のスライムは大人気だった。家庭に置いて歌声を楽しみたい良家の子女から、護符としての加護が目当ての旅の戦士まで、欲しがるものといえばロッセフィアンカのスライムとまで言われている。 「さあ、今日の分のラッピングが済んだ。今度はアトラ山のふもとまで、花を摘みに行こうか。それと、宝石職人のマルタさんのところへお使いか。着色用の青金石と鶏冠石の切端をもらってくるんだったな。プニラ、それまで待っててね。」  レイアスは椅子から立ち上がり、作業台の上のリボンと包装紙を片付けながら、卓上のプニラに話しかけた。流行歌を歌い終わったプニラはぷるんとうなずくと、「まって、らしゃい、きーを、つけて!」と、なかなか覚えない言葉で一生懸命にレイアスを送り出してくれた。   ***  その日の正午前。山のふもとでの花摘みを終えて、アティスの町へと戻る道を、レイアスは急ぎ足で進んでいた。大きな背負子には、矢車菊に、かすみ草、ラベンダーにカモミール、それから紫と薄紅の千日紅にすすきといった、秋の草花が満載だ。それとは別に、イチジクの実が二十粒ほど、これはいつもなにかとレイアスを心配して声をかけてくれる、町の入り口の門番へのお土産だった。 「スキエ、ただいま!」  イチジクの入った布の包みを渡しながら門をくぐろうとすると、門番のスキエは話し相手を待っていたと言わんばかりに、レイアスの袖をつかんで引き留めた。 「なあ、レイアス、さっき珍しい旅人が来たんだよ。なんでも、ずっと南の国から旅してきた吟遊詩人とかで、ここらではちょっと見たことのないような、葡萄酒色のきれいな目と、淡い桜色の髪の若い男だったぞ。あれじゃあ町の女どもは大騒ぎだな。なんでも、昨夜はポルタ村に人を訪ねたが会えなくて、今夜はこの町に泊まるらしい。ポルタといったら、レイアス、お前の実家がある地味な村じゃないか。そんな辺鄙なところに知り合いだなんて、何の用があるってんだ、なあ?」  スキエはとんまな男だと、レイアスはいつも思う。今日は今日とて、ポルタ村と聞いて、実家のあるレイアスならなにか知っているかもしれないと踏んで、謎の吟遊詩人の事情を聞き出そうとしているらしかった。そんな目の色をした吟遊詩人など見たこともないし、知るわけもないではないか。 「スキエさん、なにかと思えば、そんな話?桜色の髪に葡萄酒色の目の吟遊詩人なんて、見たことも聞いたこともないね。ほんと、門番ってひまな仕事なんだなあ。ぼくには、かわいいプニラとおいしい昼食が待ってるんだ。そんじゃね。」  レイアスはスキエの腕を振り払うと、行き交う人々を野ネズミの素早さですり抜けながら、工房の近道になる中央広場へと大急ぎで駆け抜けた。工房のまかないとして出される昼食は、堅焼きのパンに、りんごのミルク煮込みを浸して食べるだけの質素なものだったが、薄暗いうちから起き出して働いている腹ぺこのレイアスにとっては、なによりも楽しみな食事だった。少なくとも、朝と夕に出る魚の塩漬けと渋い木の実よりはいくらかおいしい、と言えた。その唯一のごちそうも、早く戻らないと、ほかの職人たちがレイアスの分まで平らげてしまって、ありつけないこともあるのだ。 (桜色の髪に、葡萄酒色の目…?)  レイアスは走りながら考えた。なにか、引っかかる。一体何だろうと思いながら中央広場を横切っていると、不意に目の前の人影とぶつかり、レイアスは背負子をしょったまま中央広場の石畳にあおむけにひっくり返った。 「す、すみません。」  慌てて起き上がりながらレイアスは謝った。相手は頭に布を巻いた、恰幅のいい商人風の男で、レイアスをひとにらみすると、舌打ちをして聖堂の方へと歩いて行ってしまった。 レイアスは急いで背負子を背から下ろすと、散らばってしまった秋の草花を、通りの人に踏まれる前にと、必死に拾い集めて籠の中に戻し始めた―と、そのとき。 「大丈夫かい、きみ。」  物腰柔らかな声が上から降ってきて見上げると、大きな羽飾りのある帽子をかぶった、赤紫色の瞳の男が心配そうにレイアスの顔を覗き込んでいた。散らばった青い矢車菊を拾い集めて胸元で握りしめた男の髪は、珊瑚石を思わせる淡い桜色をしていた。 「ありがとう。」  矢車菊を受け取って礼を言うと、男は羽帽子を取って髪をかき上げながら、レイアスにほほ笑みかけた。男は、その背に小型の竪琴を背負っていた。スキエの言っていた旅の吟遊詩人だろう。 「きみ、この町の子かい?おつかい、大変だね。」  男はすぐに立ち去るかと思ったが、なかなかレイアスのそばを離れない。レイアスも、その男の髪と瞳が陽光にきらめく様子に半ば見とれてしまい、思わず口が軽くなった。 「うん。この町のスライム工房の下働きなんだ。実家は、この近くの村にある。」  見知らぬ相手に、よけいなことを言い過ぎたかなと思ったが、男はさらにたずねてきた。 「どうして、君はスライム工房に?スライム職人になりたいのかい?」 「うん。小さいころに、助けたんだ、桜色のスライム。父さんとこの町から村に帰る途中、古い木の幹にへばりついて死にかけてた。水を注いであげたら、すぐに元気を取り戻してくれて……、なんか、呪文みたいなのを唱えて、すぐにどこかに消えちゃったんだけどね、とてもきれいだったんだ。自分の手でも、いつかあんな生き物を作ってみたいと思って、それで十になったときに、この町の工房に入ったんだ。今は下働き、だけ、ど…、」  問われるままに答えながら、レイアスははっと気が付いた。桜色の身体に、赤紫色の瞳をしたスライム。目の前の男の髪と目の色あいと、同じなのだ。 「あなたは、もしかして、そのときのスライム……?」  さっきから感じていた懐かしさの正体が、レアイスにはやっと分かった。遠い遠い南の海に囲まれた小さな島に、頂上まで達した者の願いをひとつだけ叶えると言われる塔があると、昔、母が夜に眠れないレイアスに聞かせてくれた物語があった。なんでもというわけではなく、叶えられる願いには何種類かがあるが、鳥獣や魔物が人間に生まれ変わるという願いもその一つだった。「おとぎ話ではない、これは本当のことよ。私とあなたのご先祖様も、もとは空飛ぶ鳥だった。でも、塔のてっぺんで願い事をして、人に生まれ変わって、だから今の私やあなたがこうしていま、居るのよ。」と母はいつも真顔で言っていた。息をのむレイアスに、羽根帽子の男はにこりと笑ってうなずいた。 ***  レイアスが名乗ると、羽根帽子の吟遊詩人はカント、と名前を教えてくれた。レイアスの父親の考えていたとおり、カントは転移魔法で飛んできて、村はずれの道ばたで行き倒れていたのだった。魔物退治や洞窟探検で生計を立てる四人組の冒険者一行のお供スライムとして、いつも戦士の兜の上に載り、〈円満〉と〈身の守り〉の加護を与えて治癒魔法や転移魔法を使うことで旅の四人を補助していたのだが、野宿中の真夜中、盗賊の不意打ちに遭い、カントは盗賊一味にさらわれてしまったのだ。盗賊がスライムを盗んだらやることは一つ、スライムが逃げる前にむりやり水に沈めて〈フィーニス〉の呪文を唱え、さっさとクリスタルに変えて売り払ってしまうことだった。盗賊の腕の中で暴れながら、カントは無我夢中で転移魔法を唱えて盗賊一味から逃れた。その結果、レイアスの村のある見知らぬ土地へと転移してしまい、水を求めてさまよううちに干からびているところを、レイアスが発見して水をかけたのだ。すぐに活力を取り戻したカントは、またすぐに転移の魔法を唱えて、今度は無事、もといた冒険者一行のもとへ戻ることができたという。 「そのあと一行は、もう僕がさらわれて危険な目に遭うのはいやだからと、僕を南の海の〈願いの塔〉につれて行ってくれた。僕自身も、ずっと前から人間に強く憧れていたんだ。強い魔物が多くて何度も諦めそうだったけれど、なんとか頂上にたどり着いて、それで、願いが叶ってこの姿になったんだ。だから、いちど、命の恩人である君にひと目、会ってお礼がしたくて、すこしだけ暇をもらって、転移魔法でまたこの土地にやってきたんだ。ぼくは人探しの魔法は使えないから、こうして会えて、本当に運が良いな。そうそう、昨日はポルタ村できみのご両親に会ったよ。この町のスライム工房で修行してるって聞いたから、今から訪ねようと思ってたんだ、でも、もうその必要もないね。」  そう言ってカントは、レイアスに紐つきの小さなガラス瓶を差し出した。星の欠片に似た白い砂粒がひとつまみほど入っている。 「〈願いの塔〉のある島の砂浜の、珊瑚砂が入っている。これでも、島にたどり着くのにもだいぶ苦労したんだよ。持ち主の願いを叶えるといわれている。お守りにしてほしい。きっと、きみがりっぱなスライム職人となれるように。ありがとう、レイアス。」  言い終わるか終わらないうちに、カントの姿は忽然と消えてしまった。転移魔法で、旅の仲間たちのところへと戻ったのだろう。あっという間のできごとだった。 ***  それから半年、ふたたびたんぽぽの季節が巡るころ、レイアスは念願かなって、晴れてロッセフィアンカ工房の「職人見習い」となった。見習いとしての仕事にも慣れたころ、レイアスは親方のフィアンカ・カルミネに聞いてみたことがある―なせ、はじめて自分が工房の門をたたいたときに、あんなに自分や両親を見下すようなことを言ったのかと。 「じっさい、持参した銅貨もまったく足りてなかったが、君は変にプライドの高そうな目つきをしていたから心配だったのだよ。一流のスライム工房ともなれば、たとえ下働きでも、ときに嫌味を言ってくる高慢ちきな貴族や富豪様のお相手も失礼なくこなさなければならないだろう。そこでいちいちかっとなったり、反抗的な表情を隠しきれずに見せてしまったりするような若者は、私ははじめから工房には入れないことにしている。そういうことだよ、ポルタ村のレイアス・エストリンド君。」  なあんだ、そういうことでしたか、とレイアスは頭をかきながら高らかに笑った。看板スライムのプニラもレイアスを真似してぷるぷると笑っている。レイアスの首から下げた小瓶の中の珊瑚砂も、春のうららかな陽光を浴び、さらさらと音を立てて笑っていた。
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