第2章

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第2章

 布団に入ってもなかなか眠れなかった。もうどのくらい時間が()ったであろう。漆黒の肖像額縁の兵隊姿の若い青年の写真が、ほのかな灯りに照らされていた。その二男のお嫁さんの伯母さんから渡された詩集のタイトルは『世界の中心の樹』だったけれど、この兵隊姿の凛々しい顔をした伯父は、どんな思いを込めて書いたのであろう。『世界の中心の樹』って、世界の真ん中に(そび)えているとても高い樹なのだろうか?  すると同じ仏間で寝ていた二男のお嫁さんの伯母さんが、まわりに気づかれないようそっと部屋から出ていくのが見えた。なんだかとても気になって、オレもとなりで寝ている母に気づかれないようにそっと布団から抜けだした。  東の空はすでに色づきはじめていた。地球の底辺が燃えるように赤みを帯びて空に反映している。光の帯があちこちの地上の景色にまで派生し、太陽の恩恵を感じた。  伯母さんが、庭を横切り桃の果樹園の方へ向かう姿が見えた。すぐにオレもあとを追った。  暁光(ぎょうこう)が果樹園全体を包んでいた。等間隔でならぶ桃の樹のいっぽんいっぽんが、朝陽と会話をしているように楽しげに乱反射して(まぶ)しかった。果樹園に入るとすぐに果実の甘美な匂いが漂い、オレは特別なエリアへ足を踏み入れたことを自覚した。  伯母さんは、果樹園の真ん中あたりのいっぽんの桃の樹の前で(ひざまず)き、底辺から赤く色づいた東の空を見つめていた。  オレが近づくと、一瞬、伯母さんは笑顔で振りかえり小さく頷くと、ふたたび東の空を見つめたが、やはりその笑顔は深淵な寂寥感を湛えていた。オレも伯母さんの(かたわ)らに立ったまま、しばらく底辺から赤みを帯びた東の空を見つめつづけた。  しばらくすると伯母さんは、昇りはじめた太陽に正面から向かうように口をひらいた。  ──あのひとは、桃の樹が好きだった!  出征する前は、よくふたりでここから日の出を眺めたものです。  あのひとはもう帰ってきませんが、ここから朝陽を眺めるとあのひとを感じるのです。  あのひとと話しができるのです。  あのひとが詩に書いた《世界の中心の樹》とは、この桃の樹のような気もするのです。  もしかしたら魂だけでも、あのひとはこの桃の樹に帰ってきているのかもしれません!
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