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第3章
末期の子宮癌に侵され、余命もわずかになってようやく母は、父の兄弟たちへ病状を伝えることを許可した。すぐに近隣に住む伯父や伯母たちが見舞いにきてくれた。オレに詩集を託した《カミカゼトッコウタイ》で戦死した二男のお嫁さんである伯母さんも、真っ青な顔をして駆けつけてくれた。 ──母の名前はタカコ、仙台市中心部にある東北公済病院の個室の病室で抗がん剤治療を受けていた──
──タカちゃん!
こんなに痩せてしまって。
タカちゃんしっかりしてな!
都会の喧騒が洩れ聞こえ照明だけが明るい病室で、伯母さんは、顔色がすっかりわるくなった母の小枝のような細い手をしっかりと両手で握りしめ話しかけてくれた。母は伯母さんに気づくと何度も小さく頷きながら生気の失った目から涙を流した。それから伯母さんは父とオレに、なんでもっと早く教えてくれなかった、と悔しそうにくちびるを噛んで苦言を呈した。 ──母は若くして癌に侵された自分の姿を見られるのを嫌がり、連絡することを最後の最後まで許さなかったのだ──
申し訳ありませんとオレは、顔にシワがみられるようになった伯母さんに頭を下げると、伯母さんも切長の美しい目に涙をためて、オレにというよりも何かもっと大きなものに向かって訴えかけた。まだオレが小学生の頃、桃の果樹園で昇りはじめた太陽を見つめていたあのときと同じ清冽なひとみで……
──お母さんは何かいっていたか?
タカちゃんは何かいっていたか?
なんもいわないでしょう。
ユウちゃんのお母さんはとってもえらいから
なんも弱音を吐いたりしないんだ!
タカちゃんはむかしからそうだった。
でもなんでこんなことに。
まだ若いのに。
なんでこんなことに。
他の伯父や伯母たちが帰っても、二男のお嫁さんである伯母さんは帰らなかった。
──ワタシがお母さんをみているから。
ユウちゃんは早く晩ご飯を食べてらっしゃい
お腹空いたでしょう!
すいません、お言葉に甘えて、と伯母さんにお礼をいって病室を出るとき、ふたたび伯母さんは都会の喧騒というよりも世界刻から切り離された母の、小枝のような細い手をしっかりと両手で握りしめた。 ──もう伯母さんの顔には以前のような深淵な寂寥感は感じられなかった── その後、母と伯母さんがどんな話しをしたのかわからない。だけどオレはなんだか泣きそうになりながら久しぶりに、あの『世界の中心の樹』の詩を思い出した。
《カミカゼトッコウタイ》の一員として若くして戦死した伯父の魂が、蔵王連峰を望む果樹園の桃の樹に帰ってくるようだ、といった伯母さんの言葉とともに……
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