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2.大福はレジカウンターにいる
開店十分前、今日も客注品や雑誌を満載にしたブックトラックをレジカウンター横につける。僕が大急ぎでレジ入金をするすぐそばで、岡内さんがどっさどさとコミックが入ったビニール梱包を下ろし始めた。
「おそろしい冊数ですね……」
「まーこの量なら週末に完売かな?」
「そのコミックだけで六百冊くらいありませんか?」
「前の巻は四百ちょいだったからがんばったよねー」
口調はのんびりしているが手元の動きはとらえられないくらい早い。岡内さんがシュリンクの準備をしているのは大人気の少年コミック『物怪の牙、大竜の尾』の最新刊だ。
アニメが大当たりして既刊は完売御礼、どれだけ重版しても在庫が追いつかず、ひとつ前の巻が店にないまま新刊の発売日になった。流行りにうとい僕でもアニメの映像を見たことがある。
正確には刀の切っ先を狙う大福にじゃまされて音しか聞こえなかったんだけど。
岡内さんがこんな猛スピードでシュリンク袋にコミックを入れるなんて、お客さんは何時にくるのだろう。
「大福、ちょっと早めにスタンバイを……」
有線放送のスイッチを押しながら見渡したけれど、大福の姿が見えない。目をこらしているとコミックを大量に抱えた岡内さんが叫んだ。
「大福ちゃん、そこどいて!」
大福はシュリンカーの上で香箱座りをしていた。先日、あずきさんが「シュリンカーをつけてもらいましょう」と言ってたけれど、それは暖房器具じゃない。
僕が抱き上げようとすると大福は後ろ足で蹴り上げてきた。
「大福、ここを開けて!」
「寒いからいやにゃー」
「だからこれはヒーターじゃ……」
「コミックごとシュリンクしちゃうよ!」
殺気立った岡内さんの一喝で大福はシュリンカーからとび降りた。彼女は大福が座っていた天板に袋入りのコミックを積み上げ、目にも止まらぬ早さでベルトコンベアに流していく。
お客さんが来る前にコミック雑誌の紐かけは終わらせようとビニール紐を手にすると、大福はすぐそばで必死に顔を洗っていた。
「オカアサン怖いにゃ」
「お母さんじゃなくて岡内さんだよ」
「タイヨウがオカアサンって言ってたにゃ」
「う……確かにこないだ間違えたけど……」
中学生男子と高校生男子を育てる岡内さんは肝っ玉母さんのお手本みたいな人だ。アルバイトの学生が連絡なしに遅刻して注意するのは店長じゃなくて岡内さんだし、ジュース片手に騒ぐ女子高生や、ポテトをつまみながらコミック売り場に入る男子高校生に一声かけるのも彼女だ。
「お母さん」と呼んだのは僕だけでないらしく、「いいわよ、お母さんで」と明るく笑いとばしてくれた。
母さんは物静かな人だった。父さんは陽気な人で、いつも母さんを笑わせようとしていたっけ。
「大福はお母さんっておぼえてるの?」
「オカアサン、そこにいるにゃ」
「岡内さんじゃなくて、大福を生んだお母さんねこのこと」
「オカアサンネコってなんにゃ?」
僕は紐かけする手を止めた。お母さんねこをおぼえていないのか。僕と出会う前の大福はどうやって生活していたんだろう。
「お母さんねこっていうのは……」
説明しようとした矢先に開店時間となり、レジにお客さんが殺到した。誰もが例のコミックを手にしている。
「いらっしゃいませ、おはようございま……」
言い切らないうちに最初のお客さんは「コリオスペイで」と携帯電話のQRコードをかざした。あの、先にコミック本体のバーコードをスキャンさせて下さいませんか。
「いらっしゃいませにゃ。ポイントカードはお持ち……」
次のお客さんも大福の悠長な接客を待つことなく会計を終えてしまった。
気づけば店の敷地の外まで列ができていた。大福の「またお越し下さいませにゃ」も待たずに、次々とお客さんが流れ込んでくる。
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