悪魔公子は監禁された令嬢を寵愛する

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悪魔公子は監禁された令嬢を寵愛する

 白の国の東の外れには、異教の館と呼ばれる宿がある。  一つの神の元、厳格な教義で統一された白の国において、そのような不遜な名の館は当然罰せられる。現に異教の館は何度も取り締まられ、破壊されたはずだが、どうしてか東の外れのどこかに蘇る。  ある夜の遅くに、異教の館に一人の騎士が訪れた。 「ここで人と会う約束をしています」  白銀の兜で鼻から上は覆われているが、歩き方といい話し方といい、貴族的な仕草の騎士だった。わずかにのぞく口元は桜色の唇に綺麗な白い歯が見えていた。 「申し訳ありませんが、この時間は満室でございまして。食堂ならばいつも空いておりますが」 「待たせていただければそれで結構です。食堂に通してくださいませんか」 「かしこまりました」  受付から上が個室のようで、騎士が通されたのは少し弧を描く廊下を抜けた先の一室だった。  食堂と受付が呼んだ一室は、一見すると食事をする場所ではなかった。カーテンで仕切られた巣のような空間がいくつも並び、湿った空気がどこにも逃げられずにいる中の一つに、長いすが置かれていた。  騎士はその長いすに掛けて、受付が去った後に一息ついた。白銀の兜を取り長い金髪を下ろすと、腰で固く締めた鎧を外して胸のふくらみを自由にする。  飴色をした波打つ金髪と青い瞳を持つ女騎士は、騎士というにはあまりに華奢で、天使を堕落させる女精のような色香をまとっていた。  彼女はカーテンの向こうにうごめく人々の気配を聞いていた。  ここは娼館と言うのだという。男たちが金を払って女を抱くためのところなのだと。  対価を払ってくれるなんて、素敵で上品な人たち。彼女はそう思って小さな灯を吹き消して、少しのつもりで目を閉じる。  三日間、ほとんど眠ることなく馬を駆ってきた。見知らぬ場所で無防備な姿をさらすのは危険と知っているが、体はひどく疲れている。  夢なのか現実なのか、人の肌の檻に囲まれていた。彼女の女性のしるしをいたぶる指や、彼女の髪や口を物のように扱って嘲る声が聞こえた。 「……ここから出して」  彼女に背徳の種を注ぎ込むときの獣のようなうめき声を思い出して、彼女は眉を寄せていた。 「よく来た」  ふいに耳元で声が聞こえて、彼女ははっと我に返る。  暗闇で自分を組み敷く誰かの輪郭だけが見えていた。彼女の足と足、腕と腕、豊かなふくらみが形を変えるほど胸も密着していた。そして首に添えられた手が、抵抗を見せればすぐに命を絶てると告げているようだった。  疲れていたとはいえ、不覚も度が過ぎている状況に至っていた。けれど彼女は女精のようだと恐れられるほどの純真さで問う。 「あなたが手紙をくれた方?」 「そうだ」  彼女は花咲くように無邪気に笑って言う。 「会えてうれしい。私をここで働かせて」  父は教義で生涯独身が定められている聖職者だった。甥として後継者に指名された兄と違い、彼女は今でも生まれた事実さえ認められていない。  父と兄にとって彼女は人ではなかったのだろう。長い間、部屋に閉じ込められ、聖職者たちの野蛮な遊び相手にさせられていた。 「背徳の子どもたちの母になりたいの。お父様たちの館では、子どもは生まれてくることもできないの」  彼女は狂ったような甘くとろける青い瞳で言う。 「そのために私は何をすればいいかしら?」  美しい瞳で笑った彼女に、彼は闇の中で笑みを刻んだようだった。  大きな手が彼女の頬を包み、額を合わせられる。そこから熱と共に流れ込んできたのは、炎の光景だった。  打ち壊され、燃やされていく白の国。その中には彼女の閉じ込められていた聖職者たちの居館もあった。逃げ惑う白の国の人々を追うのは黒い鎧の騎士たちで、血が流れて戦車のわだちに溜まっていく。  その血と引き換えにするようにして、彼女は自らのお腹に宿っては産声を上げる子どもたちの声を聞いていた。黒髪と青い瞳を持つ子どもたちが彼女の袖を引き、次の弟妹が宿ったお腹に愛おしげにほおずりをする。  もう少しだけ時間は戻る。誰かの上に乗って重いお腹を抱えながら腰を振っている自分、ひどく苦しそうで甘い声。誰かの顔を覗き込もうとしたとき、目が覚めた。 「誰かと未来を共有するのは初めてだ」  額を離したそこに、黒髪で銀色に光る瞳をした青年の姿を見て、今しがた繰り返し目にした子どもたちとそっくりだと思う。  隣国の黒公子は、半分悪魔の血を引いているという。逃れられない未来をその目に映し、血に濡れた道を築くと予言されて生まれてきた。 「お前のために作った檻だ。いつまででもここで腰を振って、背徳の種を育てるがいい」  異教の館を信じてやって来た自分は、すでに狂っていると思う。けれど生まれてから自分を包んでいた世界のどこに、正常な理があっただろう。 「お前は私専属の娼婦だから」  黒絹のような手に引かれて、彼女は自ら彼にまたがって彼を受け入れた。  悪魔公子はどこからか生まれるたくさんの子どもたちを引き連れ、まもなく人々を異教に導く。  異教の館に集う人々は悪魔がもたらした遊戯に熱狂していて、誰もそのはじまりに気づくことはなかった。
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