プラスチックのペグ

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プラスチックのペグ

 大学生の葛西(かさい)さん(二十代男性)がキャンプで体験したお話。 「大学の先輩と、その彼女と。三人で河原にキャンプしに行ったんです」  一見してお邪魔虫にしか見えない葛西さんにお声がかかったのは、実家が立派なランドクルーザーを所有していたから。要は「足」である。  当日。ランドクルーザーにキャンプ用具と食材、大量の缶ビール、二つのテントを載せた一行は意気揚々と出発した。目的地は地元でも有名なキャンプ場である。  しかし現地に着いてみると、ちょうど夏休みのシーズンということもあって、キャンプ場は家族連れのテントで満員状態だった。 「どうせだし、もっと空いてる場所探そうぜ」  という先輩の提案によって、三人はキャンプ場の指定エリアを外れた、河原にテントを設営することにした。違反行為であることは葛西さんたちもわかっていたが、それほど深刻に捉えてはいなかったという。 「川が増水したら、みたいなことも一瞬考えましたけど、天気も良かったですし。それに河原と言っても、テントを張ったのは川べりからは結構離れた位置だったんで、まあ大丈夫だろうと」  その河原はちょっとした穴場で、葛西さんたちは他のキャンプ客に煩わされることもなく魚釣りやバーベキューを堪能することができた。たらふく肉を食べ、持ち込んだ酒をあらかた飲み干してしまうとすっかり眠くなり、一行は十二時ごろにはそれぞれのテントに引っこむことになった。 「先輩と彼女は、今日のために買ったっていう新品のテントで一緒に寝てました。俺は親父から借りたテントでひとり寝ですね。一応、気を遣って、先輩たちのテントからは結構距離を離してました」  明け方近く。葛西さんはテントを叩く雨音に目を覚ました。 (雨か……)  寝入りばなに感じた蒸し暑さは嘘のように消え失せている。  葛西さんは二日酔いで痛む頭を振り振り、寝袋にもぐりこみ直した。地面からは、ひんやりと冷たい空気が立ちのぼってきている。今頃先輩は彼女と温めあっているのだろうなと思うとなんだか面白くなく、悶々としてすぐには寝つけなかった。  しばらく寝袋の中でもぞもぞしていると、雨音に混じって、濡れた砂利を踏む音が近づいてくるのに気づいた。  最初は先輩か、その彼女が自分に用事があって来たのかと思った。たとえばテントが雨漏りして寝つけないので、ランドクルーザーの鍵を開けてほしいとか。  だが、足音の主は葛西さんのテントのすぐそばにまで来ても、声ひとつかけてはこなかった。そして無言のまま、じゃりじゃりと音を立てながらテントの周囲を回りはじめた。  楽天家の葛西さんも、さすがにおかしいと気づいた。足音の主に気づかれないようそっと移動し、テントの入り口を少しだけめくって、外の様子を覗く。とはいえこのときはまだ、先輩のイタズラではないかと疑う気持ちが残っていた。  はじめは真っ暗で何も見えなかった。だが目が慣れるにつれ、なにか(なま)(ちろ)いものが暗闇の中にぼんやりと浮かび上がってくる。視界の右から左へ現れては消えるそれが、どうやら足音の主であるらしかった。  葛西さんはさらに目を凝らし、その正体を見極めようとする。するとふいに、小学校低学年くらいの子供の裸身が、脳裏に像を結んだ。  未明の山中、それも雨の降る中に……裸の子供?  葛西さんは思わずぞっとして後ずさり、その拍子に衣擦れの音を立ててしまった。  じゃりじゃりという足音が、ぴたりと止まった。  息の詰まるような沈黙の後、テントの布地が突然、内側に向かって盛り上がった。外にいる子供が、両手を押しつけてきたのだ。  紅葉の様に小さな掌は葛西さんの足首に触れると、とても子供とは思えない力で握りしめてきた。氷のように冷たい手だったという。  葛西さんは悲鳴をあげてその手を振りほどくと、裸足のままテントの外へ飛び出し、ランドクルーザーを停めた場所まで全力で走った。  追ってくる気配はなかったが、それでも後ろを振り向く勇気はなかった。  ランドクルーザーにたどり着いた葛西さんは運転席で膝を抱え、ブランケットにくるまって朝を待った。雨足は一気に強さを増して土砂降りになった後、徐々に勢いを弱めていった。  外が明るくなり、完全に雨があがったところでようやく、先輩たちを心配する余裕が芽生えた。  サンダルをつっかけ、ぬかるみに難儀しながら、先輩たちのテントへ向かう。途中、自分のテントの前を通ったが、これといって変わったところは見受けられなかった。あの裸の子供が足跡を残していたとしても、雨であらかた流れてしまっていた。  昨日バーベキューを楽しんだ川辺が見えたところで、葛西さんは絶句した。  穏やかな清流は一転、渦巻く茶色の濁流と化していた。川幅は三倍ほどに広がり、河原をほぼ飲み込んでしまっている。後から知ったことだが、上流にあるダムが満水になり、未明から大規模な放水を行っていたのだった。  川は、なおも増水を続けているようだった。そうなれば、自分のテントも危なかっただろう。あのまま眠っていたら、気づかぬうちに濁流に流されてしまっていたかもしれない。 (もしかしてあいつ、これを教えるために……?)  昨夜の怪しい子供は、自分に警告してくれていたのだ。ここにいては危ないと。  葛西さんは心の中で感謝しながら、先輩たちがテントを張った場所へ急いだ。先ほどの不思議な体験について、早く話したくてしかたがなかった。  しかし、目的の場所にたどり着いた葛西さんは、ふたたび絶句した。  先輩たちがテントを設営したのは大きな木の下で、周囲に比べると、地面は比較的きれいな状態だった。増水した川からも、充分な距離がある。  だが、そこにあるべきテントはなかった。  代わりに遺されているのは四本のペグ――テントを地面に固定するための杭と、なにか大きな物体を引きずった跡であった。その跡はまっすぐに川の方向へ伸び、泥の海の中へと消えていた。  葛西さんの脳裏に浮かんだのは、中で寝ているふたりごと、テントを凄まじい力で引きずっていく裸の子供の姿だった。ふたりは、自分たちがどうなっているのか理解する暇もなかっただろう。そして今頃はテントもろとも、濁流の中に……。  葛西さんはその場で腰を抜かしてしまい、川の様子を見に来たキャンプ場の管理人に保護されるまで、ずっとそうしていた。  先輩たちのテントは後日、はるか下流で見つかったが、ふたりはいまだに行方不明のままだという。 「テントごと引きずられてたら、俺もたぶん、抵抗できないまま死んでたと思うんです。なんで、俺のときはそうされなかったのか……今でもよくわかりません。使ってたテントも、ほとんど同じ型のやつでしたし。違いといえば」  テントを固定するのに、葛西さんは父親に借りたアルミのペグを使っていた。対して、先輩たちが使っていたペグは、蛍光色のプラスチック製だったという。 「でも、関係ありますかね。あんなふうにテントを引きずっていけるほどの怪力でしょ。まさかアルミのペグを抜けなかったなんてことはないと思うんですけど」 ===== 河童(かっぱ) 日本各地に伝承される、水辺の妖怪。子供ほどの体格だが非常に力が強く、ときに人間を水中に引き込んで殺害するという。 刃物など、光り輝く金属製の品物を嫌うといわれる。水中に沈んだ刃物を取り除きたいが自分では触ることもできないため、人間に頼んで取ってもらう……といった伝説が各地に残されている。 =====
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