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ウメと嵐
乱堂さん(二十代男性)の祖父と、と一匹のハクビシンにまつわるお話。
彼が高校生のときまで、乱堂さんの家族は木造の大きな一軒家に暮らしていた。庭には立派な梅の木があり、冬の終わりには美しい花を咲かせたものだった。
ところが、ある嵐の夜。なんとその梅に落雷があり、木が真っ二つに折れてしまったのである。
さらに翌朝、梅の様子を見に庭へ出た家族は、思いがけないものを発見することになる。
真っ黒焦げになった梅の幹――その洞の中に、小動物が一匹、もぐりこんでいたのだ。
イタチに似て、細長くしなやかな体つき。鼻筋に通った特徴的な白いラインから、それはハクビシンではないかと思われた。ただ、背中の毛に縞模様があるところが、普通のハクビシンと少し違っていた。
ひどく衰弱していたその獣を、家族は保護することにした。会社やパート、学校のある他の家族に代わって、一手にその世話を引き受けたのは、乱堂さんの祖父だった。二年ほど前に足を悪くして以来、引きこもりがちだった彼にとって、ペットの世話は気晴らしにうってつけであった。はじめは警戒するそぶりを見せていたハクビシンだったが、二、三ヶ月もする頃には、祖父の手から直に野菜クズを食べるほどに懐いていた。
祖父は、ハクビシンにウメと名づけた。梅の木で見つけたからウメである。「おばーちゃんみたい」と、乱堂さんや彼の弟は反対したが、一番世話をしている祖父の希望とあっては、彼らも折れざるを得なかった。
ウメはおとなしい性格で、ほとんどの時間を縁側でごろごろするか、祖父の部屋にしつらえた猫用ベッドで丸くなって過ごした。好物はビーフジャーキーと缶詰のツナ。芸をおぼえるわけでも、番犬代わりになるわけでもなく、天気のいい日にはよく、祖父の膝に抱かれて縁側で昼寝をしていた。
そんなウメだが、ひとつだけ困った癖があった。嵐の日になるとひどく興奮し、家じゅうを駆け回るのである。
こればかりは乱堂さんの祖父にもどうすることもできず、結局、強風や大雨の日には、ウメをペット用のケージに閉じ込めるのがお決まりになった。暴れるウメを取り押さえてケージに押し込むのはなかなかの重労働で、乱堂さんは手に引っかき傷をつけられたことが何度もあったという。
そんなトラブルがありつつも、ウメはすっかり、家族の一員として受け入れられていた。
思いがけぬ別れがやって来たのは、ウメを飼いはじめて三年目の晩夏のことだ。
その日、乱堂さんの住んでいた地域を、超大型の台風が襲った。乱堂家の付近を流れる川でも堤防が決壊し、濁流が、市街地へと押し寄せた。
避難勧告を聞きつつも、足の悪い祖父を気遣い自宅に残っていた乱堂さんの家族は、突然、床下から吹き上げてきた泥水に度肝を抜かれることとなった。
慌てて二階へ逃げるも、水かさはみるみる増してくる。乱堂さんの父は、家族全員で屋根にのぼることを決断した。
激しい雨風の中、足の悪い祖父を屋根に引っぱり上げるのには、大変な労力を要した。そうこうする間に、水位はみるみる上がってゆく。家族全員が屋根に避難し終えたときには、もはや二階も泥の海と化していた。
そのときだ。祖父が悲痛な声をあげたのは。
「ウメはどうした!?」
例によって嵐に興奮するウメは、乱堂さんの手でケージに閉じ込められていた。二階に上がるまでは一緒だったが、屋根に避難する際の大騒ぎによって忘れられ、ケージごと、二階の部屋に放置されていた。
このままではケージもろとも、泥水に呑まれてしまう。
父母の制止を振り切って、乱堂さんは二階へ戻った。すでに、脛の高さにまで水が来ている。
泥水を蹴り分けながら進む乱堂さんは、突如、視界がぐらりと傾くのを感じた。同時に、ミシミシと木材のきしむ音。濁流の勢いによって、古くなったこの家自体が崩壊しかかっているのだった。
もし家が倒壊して、濁流の中に投げ出されたら……祖父はもちろん、自分達も命がないかもしれない。
人生最大の恐怖に襲われつつも、乱堂さんは必死にウメの元へ向かった。
ケージの中で、ウメは狂ったように暴れていた。
乱堂さんは大急ぎで鍵を開け、ウメを抱きかかえようとする。だが、ウメは俊敏な動きでその手をすり抜けると、廊下に張り巡らせてあった介護用の手すりの上を駆け抜け、あっという間に外へ飛び出していってしまった。
「ウメ!」
乱堂さんが叫ぶ間が早いか――特大の稲光が視界を真っ白に塗り潰し、ひときわ大きな衝撃が、乱堂家を揺さぶった。
そして静かになった。
嘘のように嵐はやんでいた。
夜の間に水位は引きはじめ、朝一番で到着した救助隊によって、乱堂さん達一家は全員無事に救出された。
ウメだけは、どこを探しても見つからなかった。
「じいちゃん、死ぬまでずっと、口癖みたいに言ってたんです。『ウメが嵐を止めてくれたんだ。あいつは雷と一緒にやって来て、雷と一緒に帰っていったんだ』って。単なる偶然だとは思うんですけど、俺らもまあ、じいちゃんがそう思うならそれでいいかなって」
乱堂さんの祖父は、昨年亡くなった。
前日までひどい荒天だったにもかかわらず、葬儀の当日は、からりと晴れたそうだ。
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雷獣
落雷とともに天から降ってくるとされる、異形の獣。近世の文献において多く言及されており、広く存在を知られていたことがわかる。その正体のひとつとして、ハクビシンが挙げられることが多い。
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