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おじいちゃんの思い出
「おじいちゃんを探してるんです」
沼津さん(二十代女性)は、そう話を切り出した。
物心ついた頃。彼女の家には父と母、そして「おじいちゃん」がいた。
家は平屋の一戸建て。今どき木造で、梅雨時には雨漏り、冬には隙間風に悩まされた。
父はかつて金属部品の工場を持っていたが、沼津さんが生まれるのと前後して倒産。大量の借金を抱えていた。母は体が弱く、沼津さんが四歳のときに重病に罹って生死の境を彷徨った。なんとか一命はとりとめたもののの、長く苦しいリハビリを課せられることとなった。
そんな環境だったから、幼い沼津さんの面倒を見てくれたのは、もっぱら「おじいちゃん」だった。
関西訛りの特徴的な、明るい老人だった。沼津さんの話にもよく耳を傾けてくれ、なにかにつけて冗談を言っては、家族みなを笑わせた。顔は皺くちゃだが足腰は頑健で、公園で遊び疲れてぐずる沼津さんを、よく肩車して連れて帰ってくれた。
小学校に上がる頃になると、沼津さんはよくいじめられるようになった。家が貧しく、いつも同じ服を着ていたことや、みんなが持っているゲームを彼女だけ買ってもらえなかったことが原因だった。
「おじいちゃん」は、そんな沼津さんをよく慰めてくれた。けれど決して溺愛することはせず、沼津さんが妬ましさのあまり同級生のアクセサリーを盗んでしまったときは厳しく、優しく、彼女を教え諭した。
「貧乏がなんぼのもんや。そんなこと、これっぽちも恥ずかしくあらへん。せやけどな、人の倫ィ外れくさったのを、貧乏のせいにするようになったら、人間、終いや。たとえなにがあろうと、お天道サンに顔向けできんことだけはしたらアカンで」
そのときの「おじいちゃん」の悲しげな瞳や、毅然とした中にも温かみのある口調は、今でも沼津さんの心に深く残っている。
「もしもおじいちゃんがいなかったら、私、きっと荒んだ人間になっていたと思います。父も、母も、辛いときはよく、おじいちゃんに励ましてもらっていました。みんな、あの人が大好きだったんです。家計がどんなに苦しいときでも、おじいちゃんの晩のおかずとビールだけはきちんと用意したりして」
懐かしさにひたっていた沼津さんの眉が、ふいにひそめられた。
「でも、三年前……」
「おじいちゃん」はある日、忽然と家族の前から消えた。
奇妙なことだが、はじめの数日間は、家族の誰として「おじいちゃん」がいないことを疑問にすら思わなかった。奇妙な喪失感を抱えた一家はやがて、敬愛する老人がいなくなってしまったことを「思い出し」、そして……。
輪をかけて奇妙な事実が、いくつも明らかになりはじめた。
沼津さんがずっと「おじいちゃん」と呼んでいた老人は、沼津さんの祖父ではなかった。父方の祖父は沼津さんが生まれる前にこの世を去っていた。母型の祖父は健在だが、遠く離れた鹿児島に住んでおり、東京で沼津さんと同居した事実はなかった。そもそもどちらの家系にも、関西出身の人間はひとりもいなかった。
一家が暮らした家に「おじいちゃん」の痕跡は残っていなかった。彼を写した写真は一枚も残っておらず、専用の箸や茶碗を用意した形跡もなかった。極めつけは寝室で、沼津さんの子供部屋と父母が寝起きする仏間を除くと、家にあるのはがらくただらけの物置だけだった。「おじいちゃん」はいったい、どこで寝起きをしていたのか? そして二十年以上もの間、なぜそれを疑問に思わなかったのか?
不可解なことだらけだったが、それでも家族の思いはひとつだった。
「おじいちゃん」を探したい。
たとえ血の繋がらない他人だとしても構わなかった。「おじいちゃん」は沼津さん一家にとって、誰よりも大切な人であった。
だがここでも、沼津さん達は思わぬ壁にぶつかることとなった。
顔が――思い出せないのである。
皴深い顔や、つるつるの禿頭、目鼻の形。そうした細かい部分は印象に残っているものの、総体としてどういう顔をしていたかとなると、まるで霞がかかったように思い出せない。
名前も、どこの誰かも、顔すらも思い出せない人間を探そうなど、土台無理な話だ。結局、沼津さん一家は三年経った今でも、手がかりひとつつかめずにいるのだという。
「でも、やっぱり諦められないんです。たとえ、おじいちゃんが生きている人じゃなかったとしても、私たちの大切な人なのは変わりません。不思議なお話を集めている作家の先生なら、なにか、いいお知恵をお持ちなんじゃないかと思ったんですけど……」
そう、縋るような目を向けてくる沼津さんだったが、あいにく筆者に人探しのアドバイスなどできようはずがない。
「そうですか……」
と、肩を落とす沼津さんを見るに忍びなく、話題を変えるつもりでここ最近の暮らしぶりを尋ねたところ、思いがけず彼女の顔が華やいだ。
なんでも、父はようやく借金を完済。母も元気を取り戻し、女性登山サークルに入って里山登山などを楽しんでいるらしい。そして沼津さんは来月、職場で知り合った男性と結婚する。
それを聞いて、筆者は随分と救われた気持ちになった。
素直な気持ちでお祝いの言葉を口にすると、
「ありがとうございます。三年くらい前から、なにもかもうまくいきはじめて」
沼津さんは、そう言ってはにかんだ。
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ぬらりひょん
様々な絵巻に、老人の姿で描かれている妖怪。鳥山石燕『画図百鬼夜行』にもその姿が見える。
上記の資料にはこの妖怪の特徴に関する記述は見られないが、戦後の妖怪図鑑などにおいて「知らぬ間に民家に上がり込み、あたかも家長のように振舞う」という特徴が付与され、現在も多くの資料に引用されている。
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