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運転手がいないわけ
志賀昌子さん(四十代女性)・詩織さん(十代女性)の、親子二世代が体験した話。
当初は詩織さんひとりの体験談を聞くだけの予定だったのだが、聞き取りの場で、思いがけず母親の昌子さんからも話をうかがうことができた。
しかも、そのふたつの話は、どうやらつながっているようであった。
まずは、娘の詩織さんから聞いた話。
詩織さんは去年から高校に通っている。中学までは部活動に入っていなかった詩織さんだが、現在は吹奏楽部に入学し、練習漬けの日々を送っているそうだ。自然と下校時間も遅くなりがちで、帰宅するころにはすっかり日が暮れていることも少なくない。
詩織さんはバス通学だが、最寄りのバス停から自宅までが遠く、たっぷりニ十分は歩かなくてはならない。その帰り道というのが車通りも少なければ街灯もまばらな、実に心細い道だという。
ある初夏の日、詩織さんは例によって、部活で帰りが遅くなってしまった。
ひたひたと夜の迫る家路を足早に進んでいると、ふと前方に明かりが見えた。
赤いテールランプと、広い車内を照らす蛍光灯の光。
路肩に一台のバスが停まり、アイドリングしているのだった。中には、まばらに乗客の姿が見える。
だが……そんな場所にバス停などない。よしんばあったとしても、乗客を乗せたまま、こんなに長々と停車しているのはおかしいだろう。
バス自体も見覚えのない車種だった。バスの種類になど詳しくないが、普段、登校に使っているバスとは明らかに型が違う。電光掲示板には、見知ったJRの駅名が目的地として掲げられているので、同じ市内で使われているバスではあるのだろうが……。
横を通り過ぎざま、脇腹の乗車口から車内を覗いてみたところ、詩織さんの違和感はさらに強まった。
バスの中に掲示された広告ポスター。
病院や旅行ツアー、生命保険のものはまあいいとして、ヒーローショーのポスターに描かされた特撮ヒーローの姿が、どうも今年のものではないように感じる。その横に描かれたアニメキャラにも見覚えがない。
確証はないが、なんだか古い――ような気がする。
そう思って、改めて車内を観察してみると、明らかにおかしいところが見つかった。整理券発行口の隣にあるべき、交通系ICカードのタッチ部が存在しないのだ。
今どきICカードの使えないバスなんて……?
気づけば詩織さんは足を止め、しげしげとバス内を覗いていた。
そのときだ。詩織さんが、粘りつくような視線を感じたのは。
はっと気づいて見回すと――バスの乗客たちがみな、詩織さん側のガラスにべったりとへばりつき、ぎらつく眼差しで彼女を見下ろしていた。
人数は六、七人ほどだったろうか。どの顔も灰色にくすんで、まるで死人のようだった。
詩織さんは恐ろしくなり、慌ててその場から逃げ出した。
去り際、ちらりと後ろを振り向くと――。
そのバスには、運転手が乗っていなかった。
ああ、だからバスを動かせなかったんだ――と、妙に納得したという。
……以上が、詩織さんの体験である。
聞き取りを終えた筆者は礼を述べ、腰を浮かせかけたのだが、そこで突然、横でお茶を淹れてくれていた昌子さんが割りこんできた。そして、そのバスは何色だったか、停まっていた場所はどこかと、詩織さんを問い詰めはじめたのだ。
以下は、困惑する我々に昌子さんが話してくれた、ご自身の体験談である。
今からおよそ二十数年前――昌子さんが、詩織さんと同じ高校生だった頃。彼女は今と同じ家に住み、詩織さんと同じくバス通学をしていた。
違うのは、彼女が通っていた高校は、娘の学校と反対方向にあったこと。そして、最寄りのバス停が今ほど遠くなかったということである。自宅から徒歩七、八分ほどのところにS(仮名)という停留所があり、そこからバスに乗ることができたのだ。
ある冬の朝。学校行事の関係で早朝に登校しなければならなくなった昌子さんは、普段より一時間早いバスに乗るため、Sのバス停にむかった。真冬の早朝であるから、周囲はまだ真っ暗だ。
バス停に着いてみると、三、四人ほどがバスを待っていた。背広姿のサラリーマンに、地味な服装の主婦らしき女性。昌子さんが彼らの後ろに並んで待っていると、じきに一台のバスがやってきて、静かに止まった。
腕時計を見た昌子さんは、かすかに首をかしげた。時刻表よりも十分ほど早い到着だったからだ。……とはいえ、バスのダイヤは乱れるもの。それほど深くは気にしなかった。
脇腹の乗車口が開き、サラリーマンが乗りこんでゆく。同時に、車体前方の降車口からは、数名の乗客がぞろぞろ降りはじめた。乗車列の最後尾に並んでいた昌子さんも、前の主婦に続いてバスに乗りこもうとした――そのとき。紺色の制服を着た運転手が、他の乗客の後ろについて、降車口から降りてくるのが見えた。
えっ?
思わず足が止まる。
ぽかんと見つめる昌子さんの視線に気づいたそぶりも見せず、運転手はうつむき加減に歩き続け、そのまま夜明け前の暗闇へ消えていった。
当然ながら、バスは動かない。ドアを開け放ったまま、目の前でアイドリングを続けているだけだ。
闇の向こうに目を凝らしても、運転手は帰ってきそうもない。
これ……乗って大丈夫なの?
困惑していると、降車待ちをしている乗客たちに目が行った。
三~四人ほどが降車口にたまっているのだが、不思議と誰も降りようとしない。運転手を待っているのか、とも思ったが、彼らの視線は運転手の消えた方ではなく、バスの脇腹に開いた乗車口と――……そこに片足をかけたまま固まっている、昌子さんへと向いている。
無気力な中にかすかな苛立ちと、淡い期待をにじませた眼差し。
待っている。
私が乗るのを――待っている。
そう感じた昌子さんはにわかに気味が悪くなり、バスを残して足早にそこを立ち去った。ひとつ先の停留所で捕まえた別のバスでは、当然ながら、運転手がすたすた降りていくようなことはなかったという。
「もしかしたらあのバス、今もずっと、同じ場所に停まってるのかもしれないわねえ」
自らの体験談を、昌子さんはそんな言葉で結んだ。
Sというバス停は、地域の過疎化による路線縮小の結果、もはや存在しない。
だが二十数年の時を経て詩織さんが奇妙なバスを見たところと、かつてS停留所があった地点は、どうやら同じ場所のようである。
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七人みさき
瀬戸内海周辺の地域を中心に語られる怪異。みさきとは神や精霊などに対し広く用いられる言葉だが、この場合は人間の死霊を指すものと思われる。
非業の死を遂げた人間が七人ひと組となったもので、行き逢った生者に害を為す。七人みさきが人間をとり殺すと七人組のうちひとりが成仏し、代わりに殺された者が新たな七人みさきとして補充されるのだという。
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