大家除霊伝

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大家除霊伝

 マンションを経営している座間(ざま)さん(六十代女性)の武勇伝である。  座間さんの所有するマンションは、ファミリー向けの2LDK。一フロアあたり三部屋の四階建て……つまりは計十二世帯が住めるようになっており、一階の角部屋には座間さん自身が入居している。  築三年。いまだ新品同様のこのマンションだが、実は少し前まで、入居者からのクレームにたびたび悩まされていた。  男児の幽霊が出るのだという。  年のころは六~七歳。イガグリ頭に白いランニングシャツ、短パンに古雑巾と見紛(みまご)うばかりのボロボロのズックという、昭和の小学生のようないでたちだが、なぜか酒飲みのような赤ら顔をしている。鼻の下はてらてらと洟で光っており、歯抜けの目立つ口はいつも半開き。浮腫(むく)んだ(まぶた)の下に、ショボショボした小さい目がついている。  お世辞にも、愛くるしい容姿とは言えない。  この不気味な男児が、マンション中に出る。  夜中に階段や廊下をパタパタペタペタと走り回るなんてことは日常茶飯事。会社員の男性は夜の自転車置き場にぼうっと突っ立っているのを目撃し、ある主婦は買い物の帰り、乗ろうとしたエレベーターから勢いよく飛び出してくるのに行き逢って度肝を抜かれた。当時中学生だったある少女など、エントランスの郵便ポストの狭い隙間へ頭を突っこんでもそもそごそごそ音を立てているのを見てしまい、泣きながら家に逃げ込むということまであった。  共用部分のみならず、男児は各部屋にも現れた。  拭いたばかりのフローリングに、壁に、天井に、泥まみれの足跡がつく。鏡に映った自分のすぐ後ろを、スーッとイガグリ頭が通過してゆく。猫は虚空に向けて威嚇を繰り返し、蓋を閉めておいたはずの調味料が床にばらまかれ、電子機器のスイッチが不可解なタイミングで点いたり切れたりする。窓の内側にはもみじのような手形が無数に付着し、失せ物は長らく開けてもいない収納の奥から見つかり、昼寝でもしようものなら、腹の上でドスンドスンと飛び跳ねられる。  座間さんは入居者たちのそんなクレームと同時に、「ここは事故物件ではないのか」という疑問をぶつけられるようになった。  だが、そんなはずはない。前述のとおりマンションは新築だし、その前は豪農だった座間さんの一族が代々暮らしていた屋敷の庭と、土蔵があった場所なのである。孤独死や自殺はもちろん、恐ろしげな謂れだってひとつもない。  にもかかわらず、男児は出た。  座間さん自身も、その姿を見たことこそないものの、足音や洟をすする音は日常的に耳にしていたし、不可解な場所に残る手形や足形を消したことは数知れない。マンションの完成から数年経っても状況はいっかな改善せず、致命的な事件こそ起きなかったが、怪談じみた体験談は増える一方だった。  お祓いもした。しかし坊主を呼ぼうと神主を呼ぼうと、何の成果も得られなかった。  座間さんは次第に焦りはじめた。まだ退去者こそ出ていないけれど、このまま噂が広がるに任せていては、人が寄り付かなくなってしまう。せっかく思い描いていた悠々自適の老後もふいになりかねない。  そして――座間さんはついに、自ら立ち上がったのである。  座間さんが選んだ対抗策は、とにかく怒鳴りつけることだった。  以前、駅のキオスクで買った怪談本に、幽霊を怒鳴りつけることで退散させたというエピソードが載っていたことを思い出したからである。いわく、幽霊とはしょせん死者――生命力を失った存在である。生命のエネルギーという点においては、生きている人間のほうがずっと強い。恐れることなく、気迫をもって立ち向かえば、幽霊は生者に勝てないのだ、と。  入居者から男児が出たという報が入るや否や、座間さんは即座に現場へ駆けつけると、ブリキのバケツを(ホウキ)の柄で叩きながら虚空へ怒鳴り散らした。 「くぅるぅぅぅあぁぁぁ! いいぃぃ加減にせぇこのくそがきゃぁぁぁあああ!!」 「でぇてぇけぇぇえええ! ぶちくろっすぞこりゃああぁぁぁ!!」 「どぉくぉかくれとっにゃああぁぁ! でゅえてこっやあああぁぁぁ!!」 「なぁめんならぁ! しなっぞらぁぁ! ゆっさんじゃあああぁぁぁ!!」  額に青筋を浮かび上がらせ、唾を飛ばしながら、座間さんは声も枯れよと叫びまくった。叫びがもはや日本語の体を成さなくなったとしても気にしない。気迫で霊を圧倒することだけを考えていた。  突如はじまった大家の狂態に、入居者たちが「どん退き」していたことは想像に難くない。しかし、意外にも効果はあった。連日のように聞こえていた物音が次第に途切れがちになり、男児が目撃される機会も、それに比例して減ってゆく。やがて近所の公園をとぼとぼ歩いている姿を最後に、男児の霊はぷっつりと姿を現さなくなった。  座間さんは勝った。  たったひとり、自分だけの力で怪異に立ち向かい、マンションと住民たちの暮らしを守りきったのである。  そして。  男児の姿が消えた翌月、二〇三号室に暮らすサラリーマンが交通事故で死んだ。車で外回りの営業中、踏切にはまって動けなくなり、車もろとも電車に()かれたのである。  サラリーマン一家の喪も明けぬうち、彼らの向かいの二〇一号室に住んでいた老夫婦の妻が、階段で転んで大腿骨を折った。彼女の入院と時期を同じくして、三〇二号室に住む男性の会社が倒産。実家へ帰るといって、その月のうちに出て行った。  その真上、四〇二号室に住んでいたカップルは夜な夜な(いさか)いを繰り返すようになり、やがて女性のほうが出て行った。数日後、その部屋のベランダから男が飛び降り。風にあおられて斜めに落下した彼は、一〇三号室の専用庭で遊んでいた幼稚園児の女の子に直撃した。ふたりとも即死だった。現場検証のため四階にあがった警察は四〇一号室から漂う異臭に気づき、踏み込んだ先で、浴槽と押し入れに野良猫の死骸がみっしり詰まってぐずぐずに腐っているのを発見した。  父親を亡くした二〇三号室、娘を亡くした一〇三号室の家族が相次いで退去し、精神を病んだ四〇一号室住人の入院が決まる中、先月から家賃を滞納していた三〇一号室の家族が夜逃げ同然にひっそりと姿を消した。妻が入院している間、こたつにカセットコンロを置いて料理をしていたニ〇一号室の老人は、その途中で心筋梗塞を起こし、煮え立った鍋に顔を突っ伏した状態で亡くなっているのが発見された。  もろもろの後始末に奔走し、座間さんがぐったり披露していたある夜、隣の一〇二号室から悲鳴があがった。一家が留守の間にベランダの窓を破ってホームレスが忍びこみ、ドアノブで首を吊って死んでいたのである。直後、真上の二〇二号室で火事が発生。火は早々に消し止められたものの、一酸化中毒で夫婦が死んだ。中学生の娘は、偶然遊びに出ていたおかげで無事だった。四○三号室の家族は出先で海へ飛びこみ、こちらは誰も助からなかった。  間もなく三〇三号室の主婦が浮気を認めた夫を出刃包丁でめった刺しにし、血まみれで廊下をうろうろしているところを、駆けつけた警官に取り押さえられた。  ほぼ同時に、マンションの建っている土地の地盤沈下が判明。その時点でマンションに残るのは座間さんひとりになっていたが、建物が傾きはじめたことから退去を余儀なくされ、今は近くの木造アパートに部屋を借りている。  生き残った住人の多くは、同じ言葉を口にしながら去っていった。  ――これって、祟りじゃないの。 「でも、そんなわけないのよ。幽霊はあたしが追っ払ったんだもの。だからね、事故だの自殺だのは、ぜーんぶただの偶然」  座間さんはそう言い切ると、黒ずんだ顔で笑った。  先日、重度の内臓疾患が見つかり、余命宣告を受けたという。 「だから、誰かに話しておかなくちゃと思って。ちゃーんと書いて、遺しておいてよね。あたしの、幽霊退治の武勇伝」  と、いうわけで。  マンションを経営している座間さんの武勇伝である。 ===== 座敷童(ざしきわらし) 小児の姿をした妖怪。家に憑き、ときたま悪戯めいたことをする。これが憑いている間、その家は栄えるが、出ていってしまうとたちまち没落するのだという。 =====
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