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小さいおっさん
九条さん(二十代女性)が大学の研究室で体験した話。
薬学系の学部に在籍していた彼女は、大学院時代、研究室の実験で使うマウスの飼育を任されていた。
飼育には、マウス同士を交配させて次世代のマウスを産ませる……いわゆる繁殖も含まれる。正直、動物の世話など好きではなかったが、それでも真剣に取り組んでいた。うっかりマウスを死なせてしまったり繁殖に失敗したりすれば、実験が滞り、九条さんが責任を問われることになるからだ。
ある朝早くのこと。自分の実験を行うために大学に来た彼女は、実験に取り掛かる前に、飼育室のケージを覗きに行った。こまめにマウスの様子を見に行くのは、半ば彼女の習慣となっていた。
ほとんどのマウスには異常なし。だが、妊娠したマウスを入れていたケージにだけは変化があった。
(あ、生まれたんだ)
十匹近い仔マウスが、母親の乳首に群がっている。赤剥けのマウスはお世辞にもかわいらしいとは言えなかったが、無事に生まれてくれてほっとしたのも事実だった。
だが元気な仔マウス達の中に一匹だけ、ケージの片隅でじっとしているものがいた。こちらに背を向けて横たわり、ぴくっ、ぴくっ、と弱々しく尻尾を動かしている。
(どうしたんだろ。死んじゃうのかな)
九条さんはケージをぐるっと回りこみ、そのマウスをよく観察しようとした。可哀想に思う気持ち三割、死んだら死骸の処理が面倒くさいなあと思う気持ち七割だった。
見ると、マウスにはおっさんの顔がついていた。
(え?)
おっさん、すなわち人間の中年男性の顔が、マウスの乳児の胴体にくっついていたのだ。顔は体と同じく赤剥けで、髪の毛も眉毛もなかったが、二重顎(にじゅうあご)気味でえらの張った顔つきといい、腫れぼったい目といい、くっきりしたほうれい線といい、まごうことなきおっさんの顔であった。
九条さんはジンとしびれたようにその場を動けなくなっていた。頭の大半はパニックで思考停止していたが、一部だけは妙に冷静で、こんなことを考えていた。
(これって、「小さいおっさん」じゃない?)
小さいおっさんとは、都市伝説に語られる、中年男性姿の小人|(妖精?)である。
芸能人にも少なからず目撃証言があり、テレビやインターネットでときおり話題になっている。九条さんも、なにかのトーク番組で、その話を聞いたことがあった。
どうしよう。動画とか撮っておいたほうがいいのかな、と思いながら身を乗り出した九条さんは、文字通り蚊の鳴くような声を聞いた。
ぎょっとしてよくよく観察すると、ネズミボディの小さいおっさんの口がかすかに開閉し、言葉を発している。
「……よんじゅうろく。あきな、じゅうはち。よしのり、ごじゅうなな……」
人の名前と、数字。九条さんにはそう聞こえた。
「ひろし、はちじゅうに……ようこ……にじゅう……よん……」
唖然とする九条さんの前で、小さいおっさんはゼイゼイと喘鳴交じりにそう言い終えると、ピタリと動かなくなった。
九条さんは急に気味が悪くなって、飼育室を逃げ出した。
その日は一日中実験が手につかなかった。夕方、憂鬱な気持ちで飼育室を覗きに行ってみると、小さいおっさんの死骸は母マウスにばらばらに食いちぎられてしまっていた。特に頭部は跡形もなくなっており、普通のマウスじゃなかったと言っても、誰も信じてくれそうにはなかった。
九条さんはばらばらの死骸を掻き集めてゴミ箱に放り込むと、悪い夢を見たということにして、全てを忘れることにした。
再び小さいおっさんのことを思い出したのは、それから一年ほど後。彼女の指導教官だった教授が、夜の大学で心臓発作を起こし、亡くなったことがきっかけだった。
指導教官の名前は、神野良則。享年五七歳。
(よしのり、ごじゅうなな……?)
なにか予感めいたものを感じて、彼女はここ最近、大学で起きた事故について調べてみた。
探しものはすぐに見つかった。その年の春、新入生歓迎コンパで女生徒がひとり、急性アルコール中毒で亡くなっていたのだ。名前は、山辺明菜。十八歳だった。
それからさらに数ヶ月ほどして、近隣に暮らしていたホームレスが大学構内に入り込み、夜の間に凍死した状態で発見されるという事件が起きた。ホームレスの名前はわからなかったが、八十過ぎの老人であることだけは知ることができた。
予感は確信に変わった。
九条さんは――逃げた。大学に退学届けを叩きつけ、学位も資格も投げ捨てて、故郷の実家へと戻ったのだ。
「それでよかったんだと思います。アレは――小さいおっさんは、大学で起きる死を予言してた。だから、あの大学を離れるべきだったんです」
取材を行った喫茶店で、九条さんは、まるで自分に言い聞かせるようにそう言った。
「あたしはもう大学と縁を切りました。だから大丈夫。大丈夫……ですよね?」
懇願するような口調に、筆者は答える術をもたなかった。
九条さんの下の名前は、陽子。
今年、二十四歳を迎える。
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件
牛の体に人の頭部を持つ予言獣。牛から生まれ、誕生と同時に予言を遺して死ぬとされている。近世から現代にかけてたびたびその予言にまつわる噂が流れ、豊作や疫病のみならず、日露戦争の勃発や第二次世界大戦の終結を予言したとも言われる。
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