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二段ベッド
佐渡さん(三十代男性)が、高校の寮で暮らしていた頃の話。
彼が住んでいたのはふたり部屋で、八神さんというルームメイトがいた。
寝床は、壁際にしつらえられた二段ベッド。佐渡さんが下、八神さんが上の段を使っていた。
八神さんとはそこそこ気も合い、快適な同居生活を送っていた佐渡さんだったが、一点だけ、気になることがあった。
八神さんの寝相である。
佐渡さんは眠りの浅い性質で、就寝中にふと目を覚ますことがたびたびあった。そんなとき視線を上にやると、必ずといっていいくらい、八神さんの脚がだらりと垂れ下がっているの見えたのだという。
最初のうちこそ「またやってら」と内心で面白がっていたものの、じきに佐渡さんはそこから目を逸らすようになった。脛毛もじゃもじゃのむくつけき男の脚など、そう何度も見たいものではない。
そんな同居人の脚がごくありふれた日常のひとコマとなった、ある夜のこと。
いつものように佐渡さんは目を覚まし、いつものように二段ベットの上段から脚が垂れ下がっているのに気付いた。いつものことだとスルーし、二度寝しようとしたところで……強烈な違和感に襲われた。
例の脚を、もう一度まじまじと見る。
豆電球の光に浮かび上がったそれは、見慣れた同居人の脚ではなかった。絹のようにすべすべとした表面を持ち、艶めかしい曲線を描く、女の脚であった。
佐渡さんは混乱して、何度も自分の目をこすった。だが、どれほど目を凝らしても、それが男の脚とは思えない。
もしや、自分の気づかぬうちに女を連れ込んでいたのか。そんな疑念すら浮かんだ。
佐渡さんは狐につままれたような気持ちで身を起こし、そろそろと手を伸ばした。それが幻覚でないことを確かめたかったからだが、下心がまったくなかったかといえば嘘になる。
佐渡さんの指先が色白の脹脛に触れようとした瞬間、女の脚はするすると上に移動し、佐渡さんの視界から消えた。
ぎょっとして佐渡さんが手を引っ込めると同時に、ガラガラガラガラーッ!! という、すさまじい金属音が耳を打つ。佐渡さんはたまらず飛びあがった。
音のしたほうに目をやれば、金属のヤカンが床に転がっている。
見覚えのあるレトロな形状。寮の炊事場に置いてあるヤカンと同じものに見えた。
ことここに至って、佐渡さんは、これが八神さんのイタズラであると確信した。途端にむらむらと怒りが湧き上がってくる。
これはきつく文句を言ってやらねば気が済まぬと、佐渡さんはベッドの下段から半身を乗り出し、上段に向かって声をかけようとした。
「おい……」
山羊がいた。
ベッド上段の柵から一匹の雄山羊が頭を突き出し、歯を剥き出してにやにや嘲笑っていた。
「え……」
佐渡さんが絶句する。そんな彼めがけて、山羊は異様に長い首を伸ばしてきた。佐渡さんのすぐ目の前で停止した山羊は、特徴的な横長の瞳孔で彼を見つめると、
「エエエエエエエエエッ!!」
と、けたたましい声で笑った。
佐渡さんは肝を潰して下段に引っこみ、頭から布団をかぶって、そのまま朝までまんじりとしなかった。
翌朝。
ベッドの上段を佐渡さんが覗いてみると、八神さんが極めて寝相よく熟睡していた。艶めかしい脚の女や雄山羊の痕跡など、どこにもいない。
ただ炊事場のヤカンだけは、昨夜と変わらぬ場所に転がっていた。
それから卒業まで、佐渡さんはベッドの上段から垂れ下がる脚を見ても、決して詳細を確かめようとはしなかった。
八神さんとは今でも交流が続いており、年に一度は会って飲む仲だが、この話をしたことはない。
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さがり
岡山県に伝わる怪異。樹上からぶら下がる馬の首という姿で現れ、夜道を歩く人を驚かせるという。その名の通り馬の足がぶら下がる「馬の足」、日用品が下がる「薬缶吊る」や「茶袋」など、類似の怪異は少なくない。
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