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ぐねぐねと折れ曲がった迷路のような書体で「ふれあい化腸玄謬全ひろば」と記された看板が、広々とした公園の一角に置かれていた。
私は看板に目を通した後、その隣を足早にくぐり抜けた。
白い柵で囲われたいくつかの区画と、それらの内側に陣取る様々な生物の姿が目に入ってくる。
半透明の翼を広げる鷲。四つの目と十本の腕を持つ蜥蜴。鹿に似た角を生やした鯰。金色に淡く発光するハムスター。
生物達はぴくりとも動かず、声も発さず、周りを囲む人間達にべたべたと無遠慮に触られるがままになっている。
私は一番手前の区画に足を踏み入れ、透き通った翼を広げる鷲のそばに立った。手を伸ばして翼の先にそっと触れてみると、ガラスのように固く冷たい感覚があった。遠くを見据える瞳は無機質な光を放ち、生命の気配すら感じさせないほど澄んでいる。
作り物だから当たり前ではあった。
ここにいる生物は……生きてはいないのだから正確には生物とは言えないかもしれないけれど、ともかくどれも精巧に作られた模型だ。
姿形はそれぞれ異なっているけれど、これらの造形物は全て同一のもの、「化腸玄謬全」を模している。
化腸玄謬全は、雉鴫子厳によって生み出された。
子厳が書いた小説作品において、それは繰り返し登場する。形態を自在に変化させる超常的な存在として描かれ、鷲、蜥蜴、鯰、ハムスター等々、様々な生物の形をとって作中に現れる。変化は必ずしも完全ではなく、時には元の生物にない特徴を伴うこともあった。
私は目の前にある半透明の翼を、緩やかな手つきで撫でる。本来のそれとは異なる羽を持つこの鷲も、いつかの長編に登場した化腸玄謬全の一形態だった。
化腸玄謬全に限らず、子厳の作品には厳めしい字面の造語が山ほど出てくる。話の筋も入り組んで難解なものが多く、世間に広く受け入れられた作家とは言い難いけれど、癖の強い作風を愛し、熱狂的に支持する読者も一定数いるようだった。
この「ふれあい化腸玄謬全ひろば」というイベントは、そういう熱心な読者達の手によって成立したという。
作中で描写された化腸玄謬全の、多様な形態の数々を、現実の素材を使って再現する。その試みの成果は今、それなりの数の人々に囲まれ、「作中に出てきた通りだ」と叫ぶ興奮の声や、「描写の解釈が甘い」とぶつぶつ言う批評の声を、そこかしこで引き出している。
私には詳しい経緯は分からないけれど、子厳を慕うあまりにこんなマニアックな展示を実現させた物好きな人々に対して、賞賛と呆れの念が湧き上がる気分だった。
私は鷲の区画を後にして、多眼多腕の蜥蜴の元へと移動した。蜥蜴は全ての腕を天へ伸ばすように掲げ、叫び声を上げるかのように口をがばりと開いている。
この化腸玄謬全が出てきた話はどれだったかな、と首をひねる。私は子厳の作品をいくつも読んだけれど、輝く瞳で模型を眺める周囲の人々のような、熱心な読者ではない。
小難しい造語や言い回しを多用する文体も、唐突な飛躍を繰り返す話の展開も、それほど好みではなかったけれど、読まないと当の子厳が拗ねるので、仕方なく一通り目を通していた。
私と子厳は親しい友人だった、と言い切ってしまっても、きっと彼女は怒らないだろうと思う。照れ隠しに顔をしかめて、鬼瓦みたいな表情にはなるかもしれないけれど。
子厳は人付き合いを嫌っていて、鄙びた土地の片隅にある小さな住居で、多くの時間を独りで過ごしていた。私は数少ない、というよりほとんど唯一の友人として、度々彼女の家を訪れていた。
私は子厳の本名も知っているけれど、他の人に口外したことはない。彼女は自分の名前を、字も音も平凡でつまらないと嫌っていた。私は彼女の希望を汲んで、どんな時も筆名で呼ぶことにしていた。
赤茶けた色で塗装された蜥蜴の腕に触れる。そっと撫でようとすると、氷面に触れたように手の平がつるつると滑っていった。滑る皮膚を持った多眼多腕の蜥蜴。最後に出版された短編集に出てきた化腸玄謬全だ、と私は不意に思い出し、満足と寂寥とを一度に味わった。
子厳は筆の速い作家だったけれど、近頃は一つの新作も世に出ていない。一年前に「フィヨルドを見に行く」と言い残して消息を絶ち、以来連絡が取れなくなってしまった。
蜥蜴から手を離して、私は小さく息を吐いた。すぐそばで蜥蜴を触っている人が、涙声で「さようなら、ありがとう」と呟いている。きっとあの人は、子厳はもう戻ってこないと考えているのだろう。
在りし日の彼女を頭に思い浮かべると、私も体の芯が微かに軋む。
それでも私は、涙ぐむ人のように悲観してはいない。
子厳が唐突に家を空け、数週間ほど音信不通になったことが、以前にも何度かあった。感傷的で繊細な彼女には、時にあらゆるしがらみを断って、遠い場所で独りになる時間が必要なのだろう。本人に聞いたわけではないけれど、私は勝手にそう解釈している。
そして彼女が孤独を望む時間は、永久に続くものではないとも思う。
「化腸玄謬全のモデルは君だよ」
かつて子厳は私に、照れたように渋面を作ってそう言った。
作中において化腸玄謬全は、おどろおどろしい異形の姿で現れ、人間には理解しがたい言動を行うこともある。けれど人に害をなすことはなく、時に親しげな言葉を発したり、苦境にある者を手助けしたり、差し迫った危険から庇護したりと、友好的な存在として繰り返し描かれる。
そういう化腸玄謬全の元となったのが、私なのだと彼女は言った。
遠回しではあるけれど、「君は友人だ」と伝えてくれた気がして、私は面映ゆくも嬉しかった。まあ、どうせモデルにするのなら、もっと親しみやすい名前をつけてほしかったけれど。
彼女もいつかは、また友人に会いたいと思う日があるだろう。私は彼女の残した作品でも読みながら、これからもその時を待ち続ける。あんまり長く待たせないでよ、と私は心中で苦笑した。
子厳があの小さな家に帰ってきたら、このイベントの話をしよう。きっと不機嫌な顔をして喜ぶだろうから。
淡い未来図を頭の中で描きながら、私は多彩な化腸玄謬全の模型が置かれた区画を順に回り、それぞれの姿や感触を脳裏に刻み込んでいった。
空に茜色が混じり始める頃、私は「ふれあい化腸玄謬全ひろば」の会場を離れ、帰路についた。
慣れない人間の足で歩いたせいか、家に戻る頃にはほとんど日が沈んでいた。私は全身から力を抜き、どろどろと体の形を変じていった。
背眼、腹腕、エラ角と、元通りの体を順に作っていく。首筋の発光管に軽く力を込めると、辺りに柔らかい金色の光が満ちた。
私は今日見た鷲の模型を思い浮かべながら、半透明の翼をゆっくりと作り出していった。翼の形成はあまり得意ではないけれど、子厳から連絡があったらどこへでも飛んでいけるように、近頃はなるべく練習するようにしている。
人間の形態もそれほど慣れていないけれど、今日は中々上手くいったように思う。少なくとも、周囲の人間達に不審な目で見られることはなかった。
子厳が戻ったら人間の姿を使って、今日のような催し物に二人で出かけるのもいいかもしれない。
そんな他愛もない想像にエラ角を揺らしつつ、私は発光管をきらきらと星のように輝かせた。
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