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「やっぱりここに居た」
いつものラウンジバー、カウンターの端から2番目、いつもと同じ席。
飲んでいる酒も同じ、レミーマルタン、ロック。
ロニーは光線の加減によってはオレンジ色にも見える髪を揺らし、遠慮無くギィの隣の席に陣取ると、マティーニを注文した。
「意外性の欠片もない。ほんと、面白味のない男だな。居場所が分からなくてもここに来れば会えるし、30分も一緒に居れば食の好みも分かる。レミーマルタンにピスタチオ、たまにドライフルーツ。もっと肉を食え、野菜を食え」
「……にぎやかな。昼間に食ってるよ」
ギィは淡い青灰色の瞳を細め、呆れたように破顔した。
普段あまり表情を変えない男が、いきなり無防備に笑ったりするのがたちが悪いのだ。この笑顔が好き過ぎて、一向に慣れない自分をごまかすために、ロニーはバーテンダーからそっと差し出されたカクテルグラスに口をつけた。
「いつ飲んでもサリーのマティーニは最高だね」
「ありがとうございます」
線の細い身体に黒の上下を纏ったサリーは、たおやかな微笑みを浮かべた。女性に間違われることも多いやさしげな雰囲気の彼は、バーテンダーとしての腕も一流で人気が高い。そして、相手がギィのように静謐を好む客だとその存在を空気のように消すし、ロニーのように会話を楽しみたい客だとあっさりと加わる。ただし決して出過ぎることはない。
「サリー、次はマンハッタン」
「そろそろやめておけ。前の店でどれだけ飲んできた」
ギィは、サリーに何やら手振りで合図をした。
そういうところも、ロニーは気に入らない。どんなにロニーが大人ぶろうとしても、相手は余裕たっぷりで子ども扱いだ。年齢差は6つ。当たり前だがどうやってもその差は縮まらない。
「せっかくの休みなんだ、飲まずにいられるか」
そううそぶくと、ロニーはカクテルグラスを大きく傾けて、底の方に残ったマティーニをひとしずくでも口の中に入れようとした。
勿論、こんなみっともないことをするのはギィの前でだけだった。大人ぶっても空振りばかりなので、最近は必要以上に子供っぽく甘えることにしている。何をしてもまるで動じないのは承知の上でだ。
「酔ってるな」
「酔ってちゃいけねえのかよ」
「非番ではあるが、呼び出しがあるかも知れないぞ」
「あんたも同じだろうが」
ロニーとギィは市警の特殊班に所属している。事案によっては同じチームで動くこともある。特殊班というと秘密めいているが決してそんなことはなく、レスキューだったり兇悪犯に対峙したり、要は困ったときのなんでも屋なのだ。
誇りをもって仕事に当たってはいるものの、理不尽な目に遭うことだってある。
そういうとき、ロニーはいつもギィのところに来た。
愚痴を言ったりするわけじゃない。ただそばにいるだけだ。たわいもない無駄口を一方的にロニーがまくし立て、ギィは聞いているのかいないのか、静かに酒を飲んだり本を読んだりしている。その距離感にロニーの心は凪いで、精神的安寧が保たれる。
ギィがロニーのことをどう思っているのかは分からない。拒絶されたり追い払われたりすることはないので、嫌われてはいないだろうけれど、深く考えるとつらくなるのでいつも途中で思考を止める。
「どうぞ」
そのとき、ロニーの前に、ミントグリーンのカクテルが差し出された。
サリーに目をやると、「アレクサンダーです」と言う。目顔で、ギィからだ、と教えてくれた。
「はあ? こんな甘いの飲めるか」
わざと強い口調で反発するロニーに、ギィはからかうように声を掛けた。
「今日は何日だ? ロニー」
「サーティーン! あいにく金曜日じゃないけどな」
そう答えれば、ギィは左手首にはめたタグホイヤーの腕時計を見せてくる。
「惜しいな。さっき日付が変わったんだ。2月14日は何の日だ?」
思わず、ひゅっと息を飲んだ。
まさか、まさかそんなはず。
驚いて頭の中が真っ白になり、うまい返しも何も浮かばない。
バレンタインだからなんだ。チョコレートみたいな味のカクテルがなんだ。だいたいこれアルコール度数が結構高いって知ってるのかギィ。
ぐるぐると渦巻く言葉は行き場をなくし、反対にロニーの頬は徐々に真っ赤になっていく。
どうしていいか分からなくなったロニーはグラスを手にすると、アレクサンダーを一口すすって悲鳴を上げた。
「あっまい!」
眉根を寄せて舌を出したロニーの表情に、ギィは遠慮無く声を立てて笑う。
「笑い過ぎだろ」
拳で脇腹を小突きながらも、臆病なロニーは「どういう意味?」と尋ねることが出来なかった。
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