0. 西の都の百薬長者

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 木々の間を抜けて近道をしながら走っている間、獣王たちのものと思しき声は絶え間なく鳴り響いていたが、私がその場にたどり着いた時にはもう虫一匹の声さえ聞こえないほどに静まり返っていた。  いつもなら聞こえるはずの獣王族たちの雷鳴のような寝息すらも一切なく、動かなくなった彼らの骸がそこら中に転がり、死臭が辺りに充満していた。恐らく全滅だ。  彼らの殆どが体をバラバラに切り刻まれていたものの、血は一滴も零れていない。  まるで何か魔法のようなもので焼き切られたような傷の断面を見ると、彼らを殺めた者たちの正体はすぐにわかった。  魔族狩りを生業とする者たちの中でも幼少期から特殊な教育・訓練を施され、人工的に再現された古の退魔の力を自在に操る戦いのエキスパート、"勇者"の称号を与えられた人間たちだ。  私が洞窟からここまで来る間に決着はついたらしく、勇者たちの姿はどこにもない。  私は薬のレシピを誰にも教えていなかったため、彼らはこれまで身体能力向上のために獣王族の鬣に散々世話になってきたことを露も知らずに彼らを全滅させてしまったのだろう。    獣王族は、かつては魔族の中でも四大貴族の一つに数えられ、暴虐の限りを尽くしてきた人類の大敵だった。  だが、勇者が量産される時代が到来してからはすっかり没落し、山奥でひっそりと暮らしているだけで、こちらから手を出さない限りは無害な存在と化していた。  そんな彼らがこうやって皆殺しにされてしまった様を見て、私は何だか哀しくなってきてしまった。    「私が人間のために獅子牡丹なんかを作っていなければ、寝起きでももう少し善戦できたのかな……」  伝承に語り継がれるかつての本物の勇者は、正々堂々とした戦いを好む生粋の騎士だった。今を生きる勇者たちが夜を苦手とする獣王たちに奇襲をかけて殺戮を行なうような連中だという事実を知れば、かつての勇者はどう思うのだろうか?    「はぁはぁ……」  走った直後の心音が収まってくると、少し離れた岩陰で誰かが息をする音が微かに聞こえてきた。  「誰っ?」  その息は、途切れ途切れで今にも絶えてしまいそうなほど弱々しい。  私は警戒心を抱きながらも近付いて岩陰を覗き込んだ。  「大丈夫? って、あなた……まだ子どもじゃない」     そこにいたのは、今にも命の灯火が尽きてしまいそうな獣王族の子どもだった。  金の鬣は鶏のとさかのように頭頂部だけが長く逆立っていて、背丈などを見るに、人間で例えるならおそらく五歳程度の男の子だ。  胸の真ん中に剣で刺されたような穴が空いていて、息をするたびにそこから空気が漏れ出している。  魔族は本来人類の敵だが、私には彼を見殺しにすることはできなかった。  「今すぐ助けるから安心して!」  私は荷物を背から下ろして数種類の薬草をその場で調合すると、彼の傷口に塗り込んで応急処置を始めた。  獣王族が絶滅すれば商売道具の鬣が手に入らなくなるからではない。  目の前の消えてしまいそうな命をただ救いたかったから、私は治療をすることにしたのだ。  獣王族の少年は朦朧とする意識の中、不思議そうな眼差しで私の顔を見ていた。  きっと、彼にとって人間は家族や同胞を奪った憎き存在で、その事実はこれから先も揺るがない。だから、私のような人間の存在はさぞ不可解なことだろう。  もし彼が瀕死の窮地を乗り越えて生きられたとしたら、人間に復讐するかもしれない。だとしても、やはり今の私にはこれ以外の選択肢を取ることは考えられなかった。      
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