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井上 俊一 さま(仮名)
以前、私、仁矢田美弥がインタビュー記事を書かせていただいた、井上俊一さまの寄稿です。
井上さんは外航船の機関士を勤めておられます。
参考:「船乗りの誇り! 外航船機関士さんに聞きました ~仁矢田のインタビュー~」
https://estar.jp/novels/25845190
匿名ご希望のため、ここに直接文章を掲載いたします。
【海底に眠る魂に祈りを捧げる】
船乗りにとって、海は死だ。
大洋航行中に海に落ちれば、絶対に助からない。甲板から大海に投げ出され、船に置き去りにされれば、どんな人間も生き残る術はない。数えきれない人間が、今まで海に飲み込まれていった。これだけ技術が発達した今もなお、海は船乗りの命を奪っている。船乗りは海を愛していない。海を怖れている。海を怖れることが、船乗りとしてあるべき姿だ。
2011年の冬、海は普段の穏やかな姿を変え、人間達に襲いかかった。そして、おびただしい数の命が一瞬のうちに消えていった。まさに、海は死だった。
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それは、私が大学生最後の船舶実習を終えた翌日だった。長い実習を終えて落ち着いていたのも束の間、テレビの映像に身も凍りついた。東北の地を津波が襲い、あらゆるものを破壊し尽くしていた。この世のものとは到底思えなかった。
私は小学校の入学前に、阪神大震災に被災した。そして、大学を卒業する間際に東日本大震災を経験した。学業を始める直前、社会に出る直前に、二つの大きな地震にを目の当たりにした。これは何か意味があるように思えてならない。
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震災から一ヶ月も経たない四月、私は人生初めての海外航路へと旅立った。希望に胸を膨らませて始まった航海、しかし、目の前に広がる海を見て、そんな気持ちは一瞬のうちに消え去った。
太平洋には、あまりに多くの木片が浮かんでいた。それは、津波によって破壊した家屋の残骸だった。車やバイク、色んなものが船の横を通り過ぎていく。アメリカに向かう航海は、そんな残骸を避けながらの航海だった。いつか死体を見つけてしまうのではないかと怯えていた。
月日が経つに連れて、木片もなくなり、震災の記憶も薄れつつあった。しかし、東京港から本州を北上する際、福島の近くを航行することを禁止されていた。それは、福島原子力発電所による放射能の影響だった。自分の国なのに航行できない場所がある、仕方がないという言葉では到底納得できないその経験は、今もまだ私の心の奥底で燻っている。
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人間は、すぐに海の怖さを忘れてしまう。いつしか自然の脅威に目を向けなくなる。日本は海に囲まれており、すぐそこに海があるのに、そのことを考えなくなってしまう。そして、自然が人間達を襲いかかる時になって、その怖さを思い出すのだ。
災害は、忘れた頃にやってくる。日本人の誰もが知っている言葉だ。そして、日本人は、この言葉すらすぐに忘れてしまう。この言葉通り、忘れた頃に自然は猛威を振るう。豪雨や地震、噴火に津波、災害は日本人にとってあまりに身近だ。
あの日、海がたくさんの命を奪ったことを、私達は決して忘れてはいけないだろう。多くの生命を産み出す母なる海は、多くの命を奪う強大な力を持っているのだ。海の底には、多くの魂が眠っている。今日もまた、私は船上から、安らかに眠る彼らに祈りを捧げる。私にできることは、それしかない。
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