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ネオン街の色鮮やかな光彩が車内を照らす。憧憬がいつしか窮屈なものになって、いつの間にか日陰者の俺たちは夜の街に同化する。それは決して美しいものではなく、人の闇を喰い物にする魔物にも似ている。
人は心や体の寂しさを埋めるために、夜の街に金を使い対価を得る。それを糧にしてまた前を向けるなら良し。
しかし夢幻から覚めることなく、甘い汁にどっぷりと浸かり、偽りの慈愛に自分を慰め出す様になれば後は崩れゆく時を待つだけ。
そんな人の弱さから生み出された金を俺たちは摂取して、生きている。
今更、この生き方を否定する事も出来ずに、目指すは金と権力を得る事。それは謹厳実直な人々から疎まれる様に、人の道から大きく逸れる事を指す。
バックミラーに映る姐さんは、そんな欲にまみれた街をじっと見ていた。
何度視線を送っても、切り取ったフォトグラフの様に動かない。ただほんの一回だけ。シャッターが動く。
表情は何一つ変えず、声も漏らさない。
真っ赤なネイルをした指先で目の下を拭っていた。表情は何一つ変えない。唇を少しだけ動かして、1滴の涙と哀しみを飲み込んでいた。
その後はまた鋭い瞳で夜の街を忌み嫌うように見ていた。
年齢は20代後半。すっとした鼻筋に少し厚めの唇。人に媚びないキツい目は近寄り難い美人で、声も低く、姐さんが一言発するだけで若い奴は緊張感を持つ。
小さなクラブで数人の女を雇ってママをしている姐さんは、和泉さんと結婚して以来、極道の妻、夜の女として生きている。
白く細長い首筋が艶っぽさを増していて、結い上げた髪は乱れを知らない。姐さんと出会ってから数年。刹那に見せた傷付いた女の姿に俺は心を奪われた。
「ここでいいよ。悪かったね。変な事に巻き込んで」
そう言って姐さんは俺に小遣いを渡して、車から降りて行った。少し顎を上げ、背筋を伸ばす。
普段の姐さんらしい振る舞いは今日に限っては、自分を鼓舞している様で、思わず手を伸ばしまいそうで目を逸らす。
あの日から俺は姐さんを慕っていた。それを表に出す事も匂わす事も、指一本触れることさえも許されない。
誤解を招けば、勝手に愛された姐さんの命も危ない。ヤクザの世界で男女の関係は命に関わる。
組長の女だから。そんな理由で殺される。
不貞行為などはもってのほか。男も女も良くて半殺し。視線一つ姐さんに送る事は出来ない。
何か勘繰られれば、それが1つの破滅に向かう。
車内で2人きりになった時。バックミラーに映る姿。街へと消えて行く姐さんを見送る時だけ、俺は心を解放する。
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