139人が本棚に入れています
本棚に追加
コーヒーを注がれたカップを口に付ける。
マイセンのカップは白地に青が際立っていて、さっきまで着ていた姐さんの着物の様で、馬鹿な想像が思考を緩ませる。
「千尋は特定の女は居ないのかい? 」
赤いリップの落ちた唇が俺に尋ねる。
「そうですね。縛られるのは好きじゃないです」
「ふふ。特定の女が出来たら縛られてもいいって事? 」
「あ……いや。あ……まぁ。そこまで惚れる女でも出来たら」
「そうだね。和泉みたいになるよりは、1人の女になんて縛られない方が良いかもね」
姐さんの声が少し上擦る。溜息まじりに呼吸が聞こえる。
「和泉さんは……姐さんを大切に思っています。あの人を理解して、和泉さんが機嫌を取ろうとするのは姐さんだけですから」
「ふふ。腐れ縁さ。紙切れ1枚たって籍を入れちゃうとなかなか、別れるのも大変でね」
明らかに女の所にいる夫を鼻で笑い、言いたくもない言葉を並べている姐さんに俺のその場凌ぎの言葉は安っぽくて、俺はまたカップを口に運ぶ。
「あっ。来たかな」
助け舟の様にインターホンが鳴る。俺は直ぐに立ち上がる。
「俺が出ます」
玄関に向かってクリーニング屋からスーツを受け取り、リビングに戻る。
「じゃあ俺そろそろ失礼します」
俺は椅子に座る事なく、カップに残ったコーヒーを一気飲みして、ワイシャツやネクタイの入った紙袋を手に取る。
「ご馳走でした。戸締まりちゃんとして下さいね」
俺は頭を下げてマンションを後にする。姐さんの顔はあまり見ない様にした。
もしも泣きつかれたら、本当の事を言ってしまいそうになる。
愛人の事を聞かれたら、全てぶちまけて2人を引き裂いてしまいそうになる。
人に特別な感情何で持つもんじゃない。心揺さぶられ、平常心を保てなくなる。
ヤクザにとって愛なんてものは何の役にも立たず、マイナス要素しかない。
ヤクザはヤクザらしく、悪者は悪者らしく、いつだってヒーローに倒されて、捨て台詞を吐いて逃げていく。
恋だ愛だなんて言えるのは、ヒーローと助けられたヒロインのものだ。
玄関を出ると俺は直ぐにタバコを吸い出した。興奮状態にあるときに「深呼吸をする」と落ち着くと言うが、タバコもこれに近い。
タバコを吸い込むと、舌の上に苦みが広がって、肺まで煙を吸い込んだら吐き出すだけ。
最近タバコの量がやけに多い。
最初のコメントを投稿しよう!