139人が本棚に入れています
本棚に追加
和泉さんから連絡がきて「ちょっと来て」と呼び出され、愛人宅に行った。
ヒールのサンダルに和泉さんの靴。そして錦糸の華やかな草履。嫌な予感しかしない。
愛人宅のリビングのドアを開ける。姐さんと愛人が金剛力士像の様に和泉さんを挟んで向かい合っていた。
怒りの表情を顕わにした阿形像の愛人と、怒りを内に秘めた表情の吽形像の姐さんといったところだろう。
「和泉さん。この人と私どっちを選ぶの? 奥さんって言ったって、クラブのママでしょ? 他の男に色目使ってお金を稼いでいるのよ? 私の方が和泉さんのこと大事にできるし私の方が和泉さんのことを愛してる」
阿形が怒り顔を引っ提げたまま泣き喚く。女の怒り狂った泣き顔ほど下半身が萎えるものは無い。
和泉さんは人形のように無表情のまま、下を向き無言を貫き通す。何一つ口は開かない。
女の愚痴や揉め事には貝のように口を閉ざす。それはヤクザも一般人も変わらない男の常套手段だ。そこに呼び出された俺はもう貝にすらなれない。俺の存在などミジンコ以下だ。
愛人と姐さんは睨み合い、和泉さんは俺だけを情熱的に見てくる。
「今すぐ何とかしろ」と和泉さんの瞳が訴えかけてくる。ミジンコの俺が金剛力士像に何ができると言うのだ。ここに来て、俺を視界に入れたのはあんただけだと俺は訴え返す。
「ねぇ。和泉さん聞いてるの? いい加減ハッキリしてよ! 私を愛しているのよね? 」
愛人が和泉さんの服に掴みかかり、人形のような和泉さんを揺さぶる。
手首には包帯が巻かれていた。まだ血が滲んでいる。
愛人の荒げた声のあと静寂が続く。空気だけはピリついていて、今すぐにでも窓を開けて空気を入れ替えたい。今ここで空気清浄機を回したら、永遠に「強」のまま弱まることはないだろう。
何も言わない和泉さんの態度がますます愛人をヒートアップさせ「何か言ってよ」と泣きじゃくる。
雪女のような目で愛人を見下ろす姐さんが、愛人に一歩近付く。
手を上げたら、ここから髪の掴み合いでも始まるだろう。取っ組み合いでも始まれば俺はようやく出番になると感じ、貝以上の存在価値が持てそうだった。
最初のコメントを投稿しよう!