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姐さんは和泉さんに縋り付く愛人の視線に合わせる様に、床に膝をつく。
黒地に真っ赤な花の描かれた着物が極妻感を顕示する。
「和泉に愛されたいんだったら良い子にしてな。ヤクザの男に抱かれたかったら、ガタガタ言うんじゃないよ」
姐さんは蛇の様な目で、真っ赤な紅のひかれた唇を少しだけ開けて愛人に告げた。
一瞬にして空気が変わる。愛人は返す言葉も無く、耳障りな泣き喚いていた声すらも漏れない。
そして和泉さんは「雅ごめんね」と甘えた口調で言って、口元を緩ませる。
姐さんは和泉さんを睨み付け「店に戻る」と言った。
和泉さんと愛人を部屋に残したまま、立ち去ろうとする姐さんは母親の様だった。
「千尋。悪いけど店まで送って行って」
姐さんの視界にようやく映り込んだ俺にそう告げて、後ろを振り返る事なくリビングを出て行く。
和泉さんの方に目をやると小さく頷かれて、俺はすぐに姐さんの後を追う。
着物を着た姐さんの後ろ姿を見ながら、俺は思わず口を開いた。
「良いんですか? 2人残したままで。和泉さん連れて帰らなきゃまたあの2人……」
「良いんだよ。和泉はどっちにしろ、あの子を置いたままは離れない。落ち着いて別れ話でも出来るまでそばに居るはずだから」
「……だってそれじゃあ姐さんが……」
「姐さんって呼ばないでよ。極道の女丸出しだろ。店では独身で通っているんだから」
姐さんは俺の方を少し見て笑い、草履に足を通す。俺は姐さんの横をすり抜けて、玄関の扉を開ける。
「……あっ。すみません。いやその雅さんは……いいんですか? あのままで……」
「良いも何も和泉がそうするのなら、あたしは受け入れるまでだよ」
先に外に出た姐さんの後ろ姿に俺は問いかける。
「……でもさすがに……」
言葉を濁す俺に姐さんは足を止め、振り向いて笑みをこぼす。
「はは。千尋は意外と真面目なんだね。そんなんじゃこの世界やって行けないよ」
「いや……俺は真面目なんかじゃないです。適当に女遊びしてますし……ただ……本当に良いんですか? 」
「……惚れたもん負けだね。和泉はヒモ体質だからさ」
和泉さんと若いうちから結婚をしている姐さんは、水商売をしながら金のない和泉さんを支えて来た。徐々に出世した和泉さんは姐さんに店を持たせ、金銭面から管理している風俗、水商売関係の女の穴埋めなど、姐さんが影で支えていた。
あんな場面に立ち会っても、表情一つ変えずに自分の夫と愛人を2人残して行く。
愛なのか意地なのか、それとも本妻の余裕なのか……姐さんの考えは分からない。
俺は車の後部座席に姐さんを乗せて、エンジンをかける。間違っても助手席になど乗せてはならない。
上下関係がある事はもちろん、兄貴分の女に手を出したなどと勘違いでも思われたら命が危ない。
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