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番外編 『レックスの帰還・後編』
長い、とてつもなく長い旅を終えた頃、ようやく目の前の景色のスピードが緩やかになった。
よく目を凝らすと、バセット家から小さな女の子を挟んで金髪の少年と黒髪の少年が出てくるのが見えた。
三人は仲良く手を繋いで(あくまでも傍から見れば、の話だ)丘をどんどん下っていく。道中で女の子が奇声を上げて暴れ出したけど、少年二人は慌てた様子もなく女の子をロープで縛り上げて担いで丘を下っていく。
「絶対にアリスとノアとキリだ!」
そんな三人を見てレックスが笑うと、景色はまた飛び、途中で森をルンルンと駆け回るアリスや、パパベアとママベアにお祝いの魚を与えているノア達が見えた。
そしてとても天気の良い穏やかな日、アリスの何とも言えない叫び声が聞こえてきてレックスは思わずバセット家に駆け寄った。
窓の外から中を覗くと、アリスのお産の真っ最中だった。アリスはパンを齧りながらノアとハンナを困らせている。
しばらくすると元気な男の子が生まれた。それを見て思わずレックスは笑みを漏らす。
「ノエル!」
思わず声を上げたレックスはバセット家の庭から、ノエルが生まれたお祝いを夜遅くまでしているバセット家を見守っていたのだが、それが落ち着いた頃、ふと誰かが屋敷から出てきた。ノアだ。
ノアは屋敷から出てくるなり大きく息を吸い込んで月を見上げているが、時折グスと鼻をすする音が聞こえてくる。
「ノエルか。うん、良い名前。アリスと僕とキリ。それからミアさんにレオ、カイ、ノエル」
何かを確かめるようにノアが呟くと、ノアは俯いてまた鼻をすする。
「家族って……増えるんだな……ようやく僕にも家族が出来たんだな……」
「……ノア……」
何だか見てはいけない物を見てしまった気がして、レックスはその場をそっと離れた。いつも飄々としているノアだが、本当は皆が思っているほど強くも悪魔でも無いのかもしれない。
そんな事を考えながらレックスが丘に戻ると、また景色が流れていく。
それまで景色が流れて行くのを見ていたレックスは、どこからともなく現れた暗黒の雲と稲光に怯えていた。
バセット領の成り立ちからずっとここでこうやって見守ってきたが、こんなにも天気が荒れ果てたのは後にも先にも今回が初めてだ。
と、その時。
「ぎゃぉぉぉぉぉん!!!!!」
「ひっ!」
突然の大地を揺さぶるほどの聞き覚えのある叫び声に思わずレックスは耳を塞いだ。ふと見ると、バセット家には森から出てきたであろう動物たちが、一体何事かと言わんばかりに屋敷の中をずぶ濡れになって覗き込んでいる。
「もしかして、アミナス?」
レックスは丘を駆け下りて動物たちの隙間を縫って窓に近寄って中を覗き込む。
「やっぱり!」
今しがた生まれたばかりのアミナスは、アリスの胸に張り付いて、ノアが引っ張ってもハンナが引っ張っても剥がれない。そのうちアリスが「痛い痛い!」と叫び声を上げて、ノエルの時とは違う意味で部屋の中はてんやわんやしていた。
そんな光景をレックスは笑い声を上げて見ていたのだが、しばらくしすると今度は屋敷からキリが裏口から出ていくのが見えた。
レックスがその後を追うと、キリは庭の端っこで何かをしている。
「何やってるんだろう?」
どうせキリからレックスの姿は見えないのでレックスが後ろからキリの手元を覗き込むと、キリは庭の隅にあった小さな木の苗に水をやって何故か手を合わせている。
「無事に生まれました。アリスも子どもも無事でした。どうか、あの小さな赤ん坊が元気で健やかに育ちますように。そしてアリスに似ていつまでも自由でいられますように」
それだけ言ってキリはそっとその場を離れた。小さな苗の隣には幾分大きくなったクスノキが3本植わっている。きっとこれはノエルとレオとカイの分なのだろう。
「キリはこんな事を願ってたんだ……」
レックスは苗に近寄って賢者の石を握りしめた。すると、コデマリの花が脳裏に思い浮かぶ。
「キリ、大丈夫だよ。アミナスもノエルも元気で自由だよ。君が毎日手を焼くぐらい。でもね、二人とも凄く家族思いだよ。アリスとノアと君ににそっくりだよ」
成長したアミナスとノエルを思い浮かべながら言うと、雨がピタリと止んで晴れ間が見えた。
それからも景色は流れ、レックスは目を細めて丘の上からノエル達の成長を見守っていた。
ノエルが初めて歩いた日、アミナスのおむつが取れた日、ノエルとレオとカイがアミナスの寝相の悪さにイライラしている日、アミナスが一人で森に入ってしまって動物たちにお世話されていた日、色んな日をレックスは見送った。
「早く会いたいな……ディノに、皆に……」
そう願ったその時、レックスが握っていた賢者の石がピシリと音を立てた。
ハッとして石を見ると、石が2つに割れて中から青い煙のような物が立ち上っていく。次第にそれは空にゆっくりと溶けていき、キラキラと光る粉になってレックスに降り注いだ。
「僕がこれからどこに行こうとも、君はもう僕の一部で、世界のどこにでも君は居る。そういう事?」
誰にとも無くレックスが呟くと、空気が不自然に歪んでいく。少しだけ寂しい気もするけれど、賢者の石に蓄えられた知識は全ての生物に等しく備わっているべきものだ。誰かが独り占めして良いものではない。
レックスは、歪む世界に思わず目を閉じた――。
「ックス! レックス!」
「……ん?」
懐かしい声がしてレックスがゆっくりとまぶたを上げると、目の前にディノとアミナスが心配そうにこちらを見下ろしているのが見えた。
「起きた! ディノ、やっぱり今日だったんだよ!」
「ああ! ノアとソラに感謝しなければ! 寸分の狂いもなくレックスは人間になっている!」
「人間……に?」
レックスはまだぼんやりする頭を軽く振って起き上がると、それよりも先にディノに抱え上げられてしまった。
「そうだ! お前を構成する組織は人間の物と何も変わらない! これからは汗もかくし成長する!」
「本当に?」
「本当だとも!」
「ところでここ……どこ?」
辺りを見渡すと、そこはどこか薄暗い洞穴の中だ。そんなレックスにアミナスが涙で顔をぐちゃぐちゃにして早口で話してくれる。
「あのね、私達そろそろレックスが戻るだろうって思って毎日バセット領と森の中を皆で徘徊してたの! そしたら今日ね、何か夢の中で突然レックスが出てきて、今日戻るよって言うから!」
「えっとー……そうなの? ディノ」
「うむ……アミナスはそう言っているが、誰も同じ夢を見ていないから何とも言えん。だが、アミナスの勘は当たっていたようで、さきほど偵察していたスキピオから連絡が入ってな。どうもお前がこの洞穴で寝ているのをルンルンが見つけてくれたようだ」
「ルンルンが……そっか、ありがとう、ルンルン」
若い頃のルンルンはそれこそアリスと森を駆けずり回っていたようだが、随分と年老いたルンルンは、今回の戦争には参加しなかった。最近では歩くのもゆっくりで、目も耳も遠くなって日がなお昼寝をしているルンルンだが、それでもレックスをずっと探してくれていたらしい。それは他の動物達も妖精たちもだ。
それをディノが教えてくれた。
レックスはアミナス達と友人になってまだ年月はそんなに経っていない。それでも、皆でレックスの事を探し、待っていてくれた。それに気付いた途端、レックスの目から涙がこぼれた。
「皆、ありがとう……僕、戻って来られたんだね」
「当然だよ! 父さまはお願いは破らないもん! うぅ……でっぐずぅ(レックス)……バグッ(ハグッ)!」
アミナスは言うよりも先にレックスに飛びついた。その反動でレックスはアミナスを受け止めたまま後ろに転がったが、それでもアミナスはレックスから離れなかった。
戦争が終わってアミナスは大好きなチョコレート菓子断ちをしていた。早くレックスが帰って来るように、願掛けをしたのだ。ところがレックスは戦争が終わっても戻らず、一週間経っても二週間経ってもどこにも現れなかった。
「大変だったのだぞ。アミナスがレックスが戻らないと大暴れしてな」
「そんなに?」
ディノの言葉を引き継ぐように、洞窟の入り口から3つの足音が聞こえてきたかと思うと、続いて懐かしい声が聞こえてきた。
「そうそう。あの怪獣っぷりには流石の母さまも驚いてたよ」
「ノエル! レオとカイも!」
「レックス! おかえり!」
「おかえりなさい、レックス」
「随分時間がかかりましたね。一体どこで何をしていたのです?」
「ご、ごめん」
まさかバセット領の成り立ちを見ていたとは言えずにレックスが仰向けに倒れたまま苦笑いを浮かべると、そんなレックスを見てノエルがアミナスを無理やり剥がしてくれた。
「アミナス、そんなレックス抱きしめたら本当に死んじゃうよ。もうレックスは石じゃないんだから。違うんだよね?」
確認するようにノエルがディノを見上げると、ディノは嬉しそうに頷く。そんなディノの反応を見てアミナスは青ざめてレックスの上から飛び降りる。
「そ、そっか……ごめんなさい。嬉しくてつい……」
「全然平気。僕も嬉しいから。アミナス、ノエル、レオ、カイ、ディノ」
そう言ってレックスは全員の顔を見渡した。
そこには懐かしい家族と心友達、それから可愛いアミナスがソワソワした様子でレックスの次の言葉を待っている。
そんな様子がおかしくて、ついレックスは声を出して笑うと満面の笑みで言った。
「皆、ただいま。それから、これからもよろしく」
レックスの言葉に顔を輝かせて皆はさっきノエルが言った忠告も無視して次々に飛びかかってくる。
レックスはやっぱり仰向けに倒れながら、それでもずっと笑っていた。心の中で何度も何度も「ただいま」を繰り返しながら。
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