『ユアン・バレンシアの衝撃・後編』+それぞれの未来

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『ユアン・バレンシアの衝撃・後編』+それぞれの未来

 屋敷に入ると、そこにはオロオロした様子のアーサーとグレースが居た。 「よぉ」  アーサーと会うのは、エリザベスの子供を寄越せと言って迫った以来だ。あの時の憎しみに満ちたアーサーの目は、ユアンの胸に深く深く突き刺さっている。  それを悟られないようにユアンがアーサーに声をかけると、アーサーはふとこちらを見て、何故か泣きそうな顔をして駆け寄ってきてユアンを強く抱きしめてくる。  この予想外すぎる展開にユアンが呆気に取られていると、アーサーは早口である一室を指さして言う。 「ユアン! 記憶が戻ったそうだな! それは良かった! 今の君にならエルシーの奇行を止められるかもしれない!」 「はあ? あんた、俺の事恨んでないのかよ?」 「恨む? ああ、リズの事か? 恨むなんてとんでもない! むしろ感謝しているよ。君が記憶を失ってから実に様々な事があったんだ。そこのハリーがグレースに手を貸していた事も、そのハリーと君が手を組んでいた事も、リズを君が守ろうとしてくれていた事も全てね。その御礼を言えぬまま君の記憶は無くなっていて、エルシーはエルシーでずっと君の記憶が戻るのを待っているし……本当に良かった! 君の記憶が戻って。エルシー、ほら、ユアンが来たよ!」  そう言ってアーサーはユアンの言葉も待たずに部屋の中に声をかけた。 「ちょ、ちょっと待てよ! なんでエルシーが俺の記憶の心配――うぉ!」 「もうひとりのぱぱだ!」 「……おま……あの時の幽霊か!?」  足に軽い衝撃があってふと足元を見下ろすと、そこにはどこかで見たような少女がこちらを見上げて笑っている。そう、AMINASだ。  そんなユアンの台詞にエルシーは少しだけ考えて話し出した。 「幽霊、それは死んだ者が成仏出来ずに現世に姿を現すこと。もしくは死者の霊。誰しもに見える訳ではないので、その存在は概念と言えよう」 「怖いわ! ああ、でもやっぱあの時のだな」  確かにノアとキリの言う通り、まだ三歳やそこらの子どもが突然こんな事を言い出すなんて、それはもう恐怖でしかない。  流石に引きつって一歩後ろに下がったユアンの足を、エルシーはそれでも離さない。 「なんかね、エルシーってばずっとパパの事待ってたみたいなんだ」  そんなエルシーを抱き上げたアリスが言うと、それを聞いてユアンは首を傾げた。その間にもキリがいそいそとユアンの背中におんぶ紐を縛り付けている。 「なんでだよ?」 「分かんない。目とかが使えなくて困ってたら助けてくれたって。意味わかる?」 「ああ、あの時の事か。こいつが地下通路で迷子になってた時、俺がノアの所にこいつを連れてってやっただろ? 多分、その時の事言ってんだろ――って、何やってんだよ!?」 「おんぶ紐をつけているのです。面倒見の良いあなたはシェリーとエルシーをいつもこうやって連れて歩いていましたから。エルシーがあなたを待っていたのも、そろそろお散歩の時間だったからです」 「はあ!? どいつもこいつも、俺の事何だと思って……ああ、いや、どうせ俺が進んでやってたんだろ? はぁ……それじゃあちょっと行ってくる……」  ハリーに言われた通り、きっとエルシーの事も記憶の無いユアンが率先して面倒を見ていたのだろう。もしかしたらユアンには自分でも気づかぬうちに心の奥底に子供の面倒を見たいという欲でもあったのかもしれない。  そんな事を考えながらハリーを従えてトボトボと屋敷を出たユアンの背中に、アリスの声が聞こえてくる。 「あ、ちょ、パパ!」  ユアンはちょっとしたキリの冗談を真に受けてお腹にシェリーを、背中にエルシーを貼り付けて屋敷を出て行ってしまった。  けれど、止めようとした所を強くノアに掴まれてしまう。 「兄さま?」 「いいんだよ、アリス。記憶が戻ったユアンは、多分アーロの家から去ろうとする。それを引き止めてくれるのは子どもたちしかいない。そう思わない?」 「そっか……そうだよね! よ~し、パパは今からメイリングに行くって言ってたから、帰ってきたら皆もパパ引き止め大作戦手伝ってね!」  アリスが言うと、ノエル達はコクリと頷いた。そんな中、レオがキリを見上げて言う。 「パパさんをこの領地に留めるために多少の嘘は許されますか?」 「ええ。先程俺がしたように、うまく誘導してください。ノエルもレックスもそれが出来るでしょう。アミナスが余計な事を言いそうな時はカイ、すぐに口封じをするように」 「わかりました」  カイが頭を下げたその時、突然肩がずしりと重くなった。誰かがカイの肩に手を置いたのだ。誰だと思って顔を上げると、そこにはニヤニヤ笑うリアンが居る。 「へぇ、何か面白そうな事になってるじゃん」 「リー君! もしかして誰かから連絡いった? ライラは?」 「うん、ディノからね。どうせあんたはこれをお祝いっていう言い訳にしてバーベキューするだろうから、ってさ。ライラは出版関連の仕事終わらせたら来るって」  言いながらリアンは先程ディノから一斉に送られてきたメッセージをアリスに見せた。  それを見たアリスはポンと手を打って、キラキラした顔をしてノアを見上げる。 「兄さま、良い?」 「構わないよ。それじゃあ僕たちもお義父さんお帰りなさいパーティの準備しよっか」  いち早くやってきたリアンに続いて、きっと他の仲間たちもゾロゾロとやってくるだろう。実際の所、皆ユアンの記憶が戻るのを待っていたのだ。  そう、誰よりも勇敢でその身を犠牲にして世界を救おうとした、もう一人の英雄が戻ってくる事を。    一方、お腹と背中に子どもたちを抱いていたユアンは流石にハリーにエルシーを預けて、アーロから預けられていたという妖精手帳を使ってまずはメイリングの広場に向かった。  メイリングに辿り着くと、広場は休日でも無いのに人々でごった返していて、そこら中に露天が出ている。 「今日は何かの祭りか?」  思わずユアンが言うとハリーは首を横に振った。 「じゃあなんでこんな賑わって――」 「父さんと叔父さんが色々な政策を実行したからですよ」 「!? だ、誰だお前」  突然の背後から聞こえてきた声にユアンが思わず振り返ると、そこには見たこともない青年が立っている。 「誰とは失礼な。私です、カールですよ」 「カール……随分若返ったんだな……」 「ええ、まぁ」  ユアンの声にカールは苦笑いを浮かべてシェリーとエルシーの頭を撫でた。 「ソラからの加護で、あの時最前線で戦った者たちの時が正しく戻ったのです。私もようやく父さんよりも年下に戻ることが出来ました」 「そうか! 良かったじゃねぇか。これで安心してレヴェナと……そういやあいつ、どうしてんだ? 無事なんだよな?」  レヴェナと言えば、それこそユアンが地下に引っ込んだ時からほとんどの時間を共に行動していた仲間だ。 「もちろんです。ほら、来ましたよ」 「え?」  カールに言われて振り返ると、そこには大きなお腹を重そうに抱えたレヴェナが駆け足でこっちにやってくるのが見えた。その後ろから焦ったような顔でメイド達が追いかけてくる。 「レヴェナ! そんな体で走るものではありませんよ!」  思わずカールが声をかけると、レヴェナはハッとして苦笑いを浮かべて、今度はゆっくりと歩き出す。 「お前ら、もしかして」 「ええ、一昨年結婚しました。レヴェナのお腹に居るのは次の王子か姫です」 「! そうか! レヴェナ! やったじゃねぇか!」  レヴェナがずっと幼い頃からカールを慕っていたのを知っているユアンが思わずレヴェナに声かけると、レヴェナは嬉しそうに満面の笑顔を浮かべて親指を立ててきた。そんなレヴェナを見てユアンは愕然として言う。 「まさかとは思うが、レヴェナはアリスと何か絡みあんのか?」 「絡みどころか、今は愛溢れる星の会の役員ですよ」 「名前からしてもうヤバい匂いしかしねぇんだが、まぁいい。とにかくめでたいな。それでアンソニー達はどうした?」 「父さんは執務室ですが、もうじき出かける予定です。会うのなら早く行った方がいいかと」 「ああ、分かった。ありがとな。それから、末永く幸せに」 「ええ、あなたも」  カールはそう言ってすっかり記憶が戻っているユアンを見送り、レヴェナと頷きあうとすぐさま仲間たちに一斉にメッセージを送った。 「楽しみだわ! 愛溢れる星の会の腕の見せどころね!」 「本当ですね。ですがレヴェナ、どうか走らないでください。そしてはしゃがないでください。どこか出かける時は必ず誰かをつけてそれから――」 「分かってるわ! どこかに出かける時にはあなたについてきてもらう! それでいい?」  あまりにも心配性なカールにレヴェナが言うと、カールは満足気に頷いてレヴェナの手を取り、ついてきたメイド達に事情を話して妖精手帳を使って移動した。   「それにしてもあのメイリングとは思えないほどの発展ぶりだな」  ユアンは広場を抜けて城下町を歩きながら言った。  以前の城下町はほとんどの店が閉店していて、通路には物乞いがズラリと座っていたかと思うと、そんな物乞いたちを存在しないとでも言いたげに豪華な衣装を着た貴族たちがオピリア片手に闊歩していたものだが、今はどうだ。 「あれたべたい! おいしいにおいしてる!」 「ああ? どれだよ」 「あれ!」 「はぁ、もう仕方ねぇな。ハリー、金持ってるか?」  ユアンが尋ねると、ハリーはハッとしてユアンを見下ろしてきた。 「なんだよ?」 「いや、金とかもういらないんだよ」 「……は?」 「あの水晶でさ、食材に困らなくなって世界はガラリと変わったんだ。特にメイリングはそれを一番に始めて大成功した国でもあるんだよね」 「どういう事だ?」 「それは――」 「ここに居たのね。カールから聞いたわ! シェリーもエルシーも来ていたの」 「ん? 今度は誰だ?」  怪訝な顔をしたユアンに突然声をかけてきたのは見知らぬ女性だ。思わず首を傾げたユアンとは違い、何故かハリーは親しげに話し出す。 「ヤエ! あれ? アンソニーと執務室に居るって聞いたけど」 「ええ。あの人もすぐ来ると思うけど、どうしても先にユアンにお礼を言いたくて。初めまして、ユアン・バレンシア。私は八重子・メイリング。あなたがアンソニー達をずっと支えてくれていた事を皆からよく聞いているわ。あなたが居なければ私は、あの人達は、この星はきっと無くなっていた。どれほど感謝してもしきれない……本当に、ありがとう」  八重子はそう言ってユアンに深々と頭を下げた。そんな八重子を見てユアンはようやく納得したように頷いた。 「あんたが八重子か。別に俺は何もしちゃいない。あいつらの飯の準備してたぐらいだよ」  ユアンが苦笑いしながら言うと、八重子はズイっと怖い顔をしてユアンを覗き込んでくる。 「それが一番重要ばい! あん人達、夢中になったら食事なんてすぐに忘れてしまうんやけん! あん人たちが今も元気にしとっとは、全部おうちんおかげやわ。ありがとう」 「お、おう。アンソニーがよく言ってた国の言葉ってやつか。でもあんたもよく決断したな。恨んでる訳でもないのに家族を残してくるのは……辛かったよな」  アーロを庇った時に脳裏を過ぎったのはアリスと孫たちの顔だった。「絶対に泣くだろうな」「ずっと引きずるんだろうな」そんな事を、徐々に消えていく体を見ながら考えていた。こんな事になるなら、正体がアリス達にバレなければ良かったのに、と。  視線を伏せたユアンを見て、八重子は微笑んでユアンの肩を叩いた。 「大丈夫。妖精王ん計らいで、一年に一度、うち達揃うてあちらに行くる事になっとーと。今でも年に一度あちらに皆で行って、二泊して戻ってくるんばい。おうちが守った世界は、ほんなこて素晴らしか世界になったとよ」 「そっか……そうか。はは、心配してたんだ。こっちに戻ってきても心ん中にしこり残したままじゃ、一生幸せになんてなれないんじゃないかって。あんたも、あいつらも」  八重子の言葉を聞いてユアンが安心したように微笑むと、それを聞いて突然八重子がユアンに抱きついてきた。 「ほんなこて良か人ね! こん人が悪役ばしとったやなんて信じられん! こがん人にこそ加護があるべきばい! そう思わん!?」 「こらこらヤエ、ユアンが窒息死してしまうよ」 「アンソニー!」  ようやくやってきたアンソニーの声に八重子は慌ててユアンを放して乱れた服装を整えてやると、そんな八重子を見てアンソニーもハリーも苦笑いを浮かべる。 「やぁ、ユアン。記憶が無事に戻ったそうだね」 「ああ。迷惑かけたな」 「迷惑なんて何も。むしろ君は今からカールとレヴェナの子を楽しみしていたよ。会う度にレヴェナのお腹に話しかけたりしてね」  記憶を失くした子どもユアンはそれはもう愛らしく、バセット領のみならずどこへ行っても皆に愛されていた。 「悪かったな、戻っちまって。案外記憶戻らない方が良かったかもな」  別に嫌味ではないが、あまりにも自分のキャラとかけ離れすぎていて思わずそんな事を言ったユアンにアンソニーとハリーと八重子は顔を見合わせて笑う。 「それは違う。君の人となりを皆は知っていたから君は愛されていたんだよ。確かに記憶の無い君も可愛かったけれど、僕たちが待っていたのは今の君だ。それに、何かの拍子に可愛かった頃の事もうっかり思い出すんじゃないかと僕は思っているよ」 「そうだよ、あんたはどんだけ憎まれ口叩いても、性根が真っ直ぐだからそんな事言って今更憎まれようとしたって無駄無駄。まぁ、思い出したら地獄だろうけどね。恥ずかしくて」 「ハリー、どうしてそんな意地悪言うの。大丈夫よ、ユアン。思い出しても少し恥ずかしいぐらいよ!」 「どっちにしても恥ずかしいんじゃねぇか! まぁでもお前らの元気な顔が見られて安心した。悪かったな、執務中に」 「いや、それは構わないけど、今からどこへ行くんだい?」 「一応、レヴィウスの連中にも謝っとかないとな。あそこに戦争の火種持ち込んだのは俺だし」 「それは作戦だったんだから仕方ないじゃないか。まぁでもラルフ王達もきっと君の記憶が戻った事を知ったら喜ぶんじゃないかな。何よりもラルフ王の所の長男も次男も君に凄く懐いているし」 「……また子どもか……」 「ははは! 帰る頃には君の後ろに子どもたちの長蛇の列が出来ているんじゃないか?」 「え、縁起でもない事言うのは止めろ! じゃあな! 行くぞ、ハリー」 「はいはい。それじゃ、また」 「ああ、また」 「ええ、また後で」  八重子はそこまで言ってハッとして口を噤んでユアンを見下ろしたが、どうやらユアンには聞こえていなかったようでホッと胸を撫で下ろした。  二人は手を繋いで妖精手帳を使って消えたユアン達を見送ると、互いに頷き合ってすぐさまラルフ達にメッセージを送り、城に戻ってバセット領に向かう準備を始めた。   「ここも大分様変わりしたんだな」 「そりゃもう、あの戦争からもう五年だもん。っと、シェリーのおむつそろそろかも」  レヴィウスに到着したハリーがシェリーのおむつを覗きこんで言うと、それを聞いたユアンがキョロキョロと辺りを見渡しだした。 「何探してんの?」 「なにって、どっか替えられる場所だよ。とは言ってもこんな街中でそんなとこねぇよな」 「あるよ。ほら、あれ」  ハリーが指さした先には、黄色の屋根をしたこぢんまりとした小さな家のようなものが立っている。 「あれ? 普通の民家だろ?」 「ううん。あれはママさん会が作ったベビールームなんだ」 「ベビールーム?」 「そう。観光地とか人口の多い所には等間隔であの施設が並んでるんだよ。あそこは転移妖精が管理しててね、旅行とかに行く前に近所のベビールームに荷物を置いてチケットを受け取っておくと、今までみたいに大きな荷物を持ち運ばなくても行った先でチケット見せたら最寄りのベビールームに置いておいたおむつとかミルクを任意の数だけ転送してくれるんだ」 「め、めちゃくちゃ便利じゃねぇか!」 「うん。めちゃくちゃ便利だよ。これのおかげで旅行者が増えたんだ。だから皆、赤ちゃん居ても身軽でしょ?」 「……確かに」  周りを見渡せば幼い赤ん坊を連れた家族が沢山居るが、その誰もベビーカーか抱っこ紐しか持っていない。大きなリュックや手提げを持っている人など、誰一人としていなかった。  どうやら世の中はユアンが思っている以上に発展しているようだ。 「暗い顔してる奴、一人もいねぇのな」 「今のところはね。そもそも食事に困らないって言うのはやっぱり大きかったみたいだよ。後はお金」 「金?」 「うん。さっき説明しそびれたけど、実は――」 「二人とも、遅い。こんな所で油打ってないで早く来て。セオドラとディランが君を待ってる」 「こ、今度は誰だよ!?」  何だかどこかで見たことのあるような無いような美青年にユアンがたじろぐと、青年はピクリとも表情を変えずに言った。 「セイだよ」 「嘘だろ!? なんでそんなキラキラしてんだ! どっかの王子様か!?」 「まぁ、一応はレヴィウスの第三王子だけど」  淡々と言うセイにユアンは腕を組んで頷く。 「そういやそうだったな。で、セオドラとディランって?」 「レヴィウス待望だった王子様達。これがもうしっかりしてるんだな~」  にこやかにハリーが言うと、セイは何故か少しだけユアンを睨む。 「でもユアンにはベタベタに甘える。ちなみに僕には怖がって近寄って来ない」 「だろうな。お前、何考えてるか分かんねぇから。動物とか子どもってそうじゃね?」 「それは暗に自分は素直だって言ってる?」  ハリーの言葉にユアンは苦虫を潰したような顔をして言った。 「前言撤回だ。俺は素直じゃない」 「はいはい。それは皆知ってるよ。で、セイさんだけ?」 「うん。とにかく早く来て。皆、待ってる」  それだけ言ってセイはスタスタと歩き出した。 「なぁ、あいつめちゃくちゃ人気あるだろ?」  足早に通りを歩くセイについて行きながらポツリとユアンが言うと、ハリーは苦笑いしながら言う。 「そりゃ騎士団長であの容姿だから。ノアと似てるけど、雰囲気が違いすぎるよ」 「確かに。ノアも人気あるんだろうが、あいつはアリス一筋すぎるもんな」 「ちょっと引くぐらいね」  ノアはいつだってアリス至上主義だ。それはもう周りどころか全世界の人間が知っている。 「ノアの嫁への愛は異常。怖いし重い」 「お前の淡白さも異常だよ!」  一体どこから聞いていたのか、振り返りもせずにそんな事を言うセイに思わずユアンは言い返す。そうこうしているうちにレヴィウス城に到着した。  到着するなり門の前に居た騎士たちはセイに頭を下げ、続いてユアンを見て目を細める。 「またユアンはお腹にシェリーくっつけて! おまけに今日はエルシーも一緒か! はい、これお前のお気に入りの飴な。エルシーも食べられるだろ?」 「ありがとう!」 「……おお、サンキュ」  何が何だか分からないが、どうやら記憶を失う前のユアンはレヴィウス城にもしょっちゅう来ていたようだ。  貰った飴をポケットに入れてセイの後について城に入ると、そこにはラルフとオルトが二人して立っていた。 「ユアン! 記憶が戻ったそうだな」 「あなたが記憶を失くしてもう五年です。その間に世界は随分様変わりをしたのですよ」 「……だから誰だ……」  ユアンはあまりにも親しい態度の二人に面食らいつつ頷くと、そんなユアンを見てセイが言う。 「兄さんたち、ユアンはこの五年の記憶が逆に抜けてる。その態度は混乱すると思う」 「そうか、そうだな。まずは礼を言わなければ。ユアン、前々回の戦争の時、お前がエリス達にアメリアの秘密を漏らしてくれたそうだな。それから、奴隷として売られた人たちの保護に努めてくれたと聞いている。心から感謝している。ありがとう」 「いや、俺は作戦に従っただけだし、保護というより飯の支度とか世話してただけだぞ。それはアンソニーやアルファ達に言ってやってくれ」 「ははは! アーロの言う通りだな。お前は学生の頃から自分の手柄を頑なに受け入れようとしないと言っていたが、どうやらその言葉に偽りは無かったようだ」 「アーロか……アーロな……」  学生の頃をふと思い出したユアンは、大きなため息をついた。 「アーロとエリザベスはそれはもう嬉しそうにお前をあちこちに引っ張り回していたが、まるで本当の親子みたいだったぞ」 「それは俺であって俺じゃねぇ! なんなんだ、この世界は……混沌としてんな……」 「混沌としてるのは君だけ。世界は超発展をした。ちなみに僕も結婚する」 「へぇ、おめでとさん」  腕組をしたセイが言うと、その言葉に驚いたのは何故かラルフとオルトだ。 「な、な、なに!? ど、どこの誰とだ!」 「そ、そ、そんな浮ついた話は一切聞いていないのだが!?」 「妖精王の何番目かのお姫さまって言ってた気がするけど、それは別にどうでもいい。鈍臭くて不器用で面白い人。たまにこの僕が声出して笑っちゃう」 「そ、それは凄いな」 「ああ……いや、そうではない! どうして既に結婚なんだ! せめて相談ぐらいしろ!」 「この年になって恋愛相談なんて家族にいちいちしない。自分の事は自分で決められる。それにセオドラとディランが生まれたからもう心配する事は何も無い」  何かに納得するかのように頷くセイにラルフとオルトはまだ白い目を向けているが、ユアンは同意したように頷く。 「なるほどな。王位継承から外れたら結婚しようと思ってたのか。お前、やっぱあいつの兄貴だわ」 「それは褒めてない」 「褒めてんだろ。あいつの良い所は頭が回るとこだ。それ以外はクソミソだけどな」  鼻で笑ってユアンが言うと、セイは珍しく眉を潜める。 「僕はそこまでは思ってない。あんなでも弟」  アリス一筋で何を考えているのかさっぱり分からないノアだが、セイにとっては唯一の腹違いではない弟だ。そういう意味では似ている所もあるかもしれないが、反面教師にもなっている。ああはなるまい、と。  セイの言葉にユアンはおかしそうに肩を揺らして言った。 「悪かったって。どうやらレヴィウスも安泰なようだ。良かったよ、俺はあんた達に、この国に酷いことを沢山してきたからな。恨まれてても文句は言えねぇ」  むしろ恨んでいて欲しかった。そうすればこの思い出してしまった罪悪感も少しは消えたのではないか。  そうは思うが、たとえ記憶を失くしていてもこの五年間の間に自分が築き上げてきた事を無駄だったとは思わない。  そんなユアンにラルフが厳しい顔を向けてくる。 「馬鹿言うな。誰が恨んでいるものか。戦争のきっかけなど、いつだって些細な事だ。その裏には誰かの思惑がいつだって潜んでいる。それらを炙り出すための戦争だった。もちろんだからと言って戦争を正当化したりはしない。世界はもう、戦争を求めてはいない。何よりもお前もその罰は十分に受けたはずだ。そして今、その記憶が戻った事も含めてがお前への罰なのだろうと私は思う。ソラは忘れたままで居る事を許さなかった。それだけの事だ」 「……そうだな。俺の罰は思い出すことだったんだろうな。こんな思いをしながらこれから生きていくのか」  ラルフの言葉にユアンが神妙な顔をしていると、背後から何かが突然襲いかかってきた。 「うぉっ!?」 「ユアン来てた! 父さまたちだけズルい!」 「うわ! エルシーがいる……シェリーもだ。またユアンだけじゃない……」 「せおどらとでぃらん! あそぶ! おりる!」 「ん! ん!」 「こらエルシー! 蹴らないで、下ろすから! 痛い痛い!」  部屋に弾丸のように飛び込んできたセオドラとディランを見つけてエルシーがハリーの背中で暴れ出した。それを見てシェリーまで下ろせとせがんでくる。 「シェリーが生まれるまではこの子達がお前を独り占めしていたんだ。だからか少しこの二人に当たりがキツくてな」  そう言ってラルフがハリーからエルシーを下ろしてやると、エルシーは一直線にセオドラとディランに向かっていく。 「仲良くするんだぞ! それで、これからどこへ行くんだ?」 「そろそろ戻る。こいつらが居たら何も出来ないしな」  執務室で追いかけっこを初めてしまった子どもたちを見てユアンが言うと、ラルフは笑顔で頷いた。 「そうか。ではこのままこの子たちも連れて行ってやってくれ。二人とも、バセット領に行くか?」 「いいの!? ノエル達いる? 今って長期休暇だよね!?」 「アミナスもいるけどね~」 「……ああ、そっか……」  バセット領と聞いて目を輝かせたセオドラとディランだったが、続くハリーの言葉にがっくりと項垂れた。 「なんだよ、アミナスは苦手か?」 「苦手。だって、森の中を引きずられるもん。父さま、乗馬服に着替えてくるよ」 「ああ、そうしなさい。ではユアン、ハリー、すまないがこの子たちをバセット家まで送ってやってくれ」 「ああ。ほら、さっさと着替えて来いよ」  ユアンが言うと、二人は目を丸くしてユアンを凝視して頷くと部屋から走り去って行く。 「ユアンの口調に戸惑ってる」 「悪かったな。これからはこんな口調だ。ほら、お前らもそろそろ帰んぞ。ちっ、結局シェリーのオムツ替えられなかったじゃねぇか。もういい、ここで替えるか。おい場所借りんぞ。あとお前らはあっち向いとけ」  そう言ってユアンはラルフの執務室でいそいそとオムツを替え始める。 「ったく、これ以上放置したら尻がカブれる所だ。ん? なんだ、これ……すげぇ。全然漏れねぇと思ってたらこうなってんのか……これ、吸水スライムか?」  おしめに代わるオムツという商品を初めて見て感動したユアンは、いつまでもオムツをしげしげと眺めた。これは画期的である。 「時代が変わりすぎてんな……俺、ついていけるかな……」  記憶が無くなってしまった事で時代の変化に一人ついていけないユアンが言うと、それを聞いてオルトが笑う。 「大丈夫ですよ。記憶を無くしても体は覚えています、きっと」 「だといいがな」  ようやくオムツを観察し終わったユアンは、手早くシェリーにオムツを装着してまた抱き上げた。そこへちょうどセオドラとディランが着替えて戻ってくる。 「揃ったな? それじゃあ行くぞ。ほら、早く全員手繋げ」  相変わらずのユアンの言葉に子どもたちは既に順応したように手を繋ぐ。 「じゃあな。夕方になったら迎えに来てやってくれ」 「ああ。ありがとう、ユアン」 「ありがとうございます、ユアン」 「ありがと」  三人はそう言ってユアンに深々と頭を下げた。このお礼には色んな意味合いを含んでいる。それに気付いたのか、そんな三人を見てユアンは戸惑ったような困ったような顔をして言った。 「このタイミングでそんな事言うのはズルいだろ、ったく。じゃな」  そう言ってユアンは、三人に背を向けて子どもたちを連れてバセット領に戻った。  アリスはエリザベスと手を繋いだまま、ただ過ぎゆく時間だけを感じていた。バセット領では既に皆、ユアンの帰りを待たずに先にバーベキューを始めてしまっている。こうして待っているのはアリスとエリザベスだけだ。 「食べに行かなくていいの? アリス」 「……うん。もうちょっと待ってる」 「そう。大丈夫よ。ユアンはアーロが必ず連れて帰ってくるわ」 「……うん」  そうだといい。せめてもう一度ユアンに会いたい。アリスはそんな事を考えながらどんどん伸びていく自分の影を見下ろした。この影も共に戦った仲間だ。それがもう随分昔のことのように思える。 「パパ、私の事思い出したの後悔してないかな?」 「どうして?」 「だって、私こんなだもん……」  人とは違う。小さい頃からそう言われてきたアリスだ。キャロラインやライラのように良い淑女ではない。それはちゃんと自覚している。そんなアリスを常識人のユアンが本当はどう思っているかを考えると不安でしかない。 「馬鹿ね。そんな事ある訳ないでしょ? どんな娘でも思い出さなければ良かっただなんて絶対にあの人は思わないわ」 「そうかな」 「そうよ。アリスからしたら確かに複雑ではあるわよね。私とユアンの間に恋愛感情なんて少しも無かったもの。でもね、アリス。今の私達の繋がりはあなたが繋いでいるのよ。あなたが居るから、私もユアンも互いに愛情を持っていられるの。そしてその繋がりがアーロとユアンの間も繋いだの。あなたが居なければ私達はバラバラだったわ、きっとずっと」 「……うん」  愛情には色んな形がある。それを体現したかのようなエリザベスとユアンとアーロの関係は、アリスから見てもとても不思議だ。  けれど、この三人の関係はそれがベストなのだと言う事も流石に理解している。 アリスは頷いてエリザベスに抱きつくと、エリザベスはそんなアリスを強く抱きしめてくれた。それはずっと焦がれていた母親の温もりだ。ハンナとはやはりどこか少しだけ違う不思議な感じにアリスの胸が詰まる。  どれぐらいそこで二人で抱き合っていたのか、突然領地の入り口が光り、そこからアーロとアーロに担がれたユアンとシェリーが姿を現した。  ユアンはアーロに担がれたままアーサー渾身の垂れ幕に引きつっている。 「な、なんだこれ!?」  ユアンはバセット領の入り口にデカデカと掲げられた血文字を見て息を呑んだ。 「アーサーさんが書いたんだ」 「よ、読めねぇんだけど」 「ユアン、おかえりなさい、だな」 「はあ?」  一体何がなんだか分からないが、とりあえずあちこちから良い匂いがしている上にやたらと騒がしいバセット領にユアンが首を傾げていると、そこにアリスが駆け寄ってくる。 「パパ!」 「アリスか。なんだよ、お前。泣いてたのか?」 「ううん! もう大丈夫だよ!」  少年の姿のままのユアンの前にアリスはしゃがみこんで涙を拭うと、いつものように笑顔を浮かべる。そんなアリスを見てユアンは怪訝な顔をして言った。 「そうか? 誰かに何か言われたらすぐ言えよ? お前は口下手だから俺が代わりにちゃんと言い返してやるよ」 「うん!」 「それは別に必要ないんじゃないか? アリスは何か言われたらその場ですぐにボカ! を発動するし、そもそも嫌味が通じないだろう?」 「お前、他人の娘捕まえてバカだみたいに言うの止めてくんねぇか? そりゃアリスは多少ゴリラっ気があるかもしれんが、嫌味が通じないのは心が広い証拠だ。いつまでもしょうもない事をブチブチ言うお前と違ってな」 「俺は別にブチブチなど言わないが。どちらかと言うと、それはお前だろう?」 「それはそうね。昔はユアンの方が文句ばかり言ってた印象だわ」 「それはお前らがあまりにもアンポンタンだったからだよ! お前らは気づかなかったんだろうが、クラスの中でお前らほんっと浮きまくりだったんだからな!」  おまけにそんな二人が監視対象だったユアンも浮いていた。  あまり学園で波風を立てたくなかったユアンだったが、この二人と接触しなければならなかったせいで、気づけばいつの間にか自分もその環の中に入れられていたのは悲しい思い出だ。 「なに? 俺のどこがアンポンタンだ」 「そうよ! 私達は至極真っ当よ!」 「よく言う。どこの世界に口開きゃズレた天気の話しかしない男と月に最低でも一回は教室ぶち壊す女がいるんだよ! 俺が上手く立ち回ってズレた男を孤高の存在、教室爆破女をちょっとお転婆な下級貴族にしてやったの感謝しろよ!?」 「なるほどぉ……パパはアーロとママのリー君的存在だったって事?」  三人の話を聞いてすっかり涙が引っ込んだアリスが言うと、ユアンは真顔で首を振る。 「いや、流石に俺はあそこまでこいつらの世話焼いてねぇけどな。お前、リー君はかなり貴重な人材だぞ? 困らせてばっかじゃなくてちゃんと大事にすんだぞ?」 「うん!」  アリスは笑顔で頷いてユアンに抱きついた。そんなアリスをユアンもしっかりと抱き返してくれる。 「ほら、もう離れろ。それで、これは一体何の騒ぎだ?」 「パパがね、戻ってきたからお祝いだよ! 最後の英雄の帰還だって皆喜んでる!」  それを聞いてユアンは何とも言えない顔をしてアリスを見上げると、フンと鼻を鳴らした。 「最後の英雄な。そんな良いもんじゃねぇんだけどな」  結局ユアンは自分の好きに生きただけだ。アンソニー達の計画に乗ったのもスチュアート家から逃げ出したかっただけだし、アーロを助けたのだってそうしたかったからだ。あの話を今更美談として語られても複雑である。 「パパがどう思ってても、皆は違う。パパの事ずっと待ってた。私も、子どもたちも皆」  アリスが鼻をすすりながら言うと、ユアンは困ったように眉尻を下げて言った。 「そうだな。それはただの俺の感想だ。皆がどう思っていても俺はそれを否定する事は出来ない。少なくとも最後の瞬間、思い出したのはお前の事だったよ、アリス」 「……うん」  その一言にアリスはとうとう泣きながらユアンにしがみついた。そんなアリスとユアンを見て後ろからエリザベスの鼻をすする音が聞こえてくる。アリスには見えないが、きっとそんなエリザベスをアーロが慰めてくれているのだろう。 「パパ、アーロ達の所にいるの辛い?」  アリスがユアンの肩口に顔を埋めながら言うと、ユアンはそっとアーロが抱いているシェリーを指さして言った。 「俺が辛いかどうかは置いておいて、あいつがそこそこデカくなるまではどこにも行かねぇよ。てか、行けないだろ?」 「シェリーってばパパにべったりだもんね」  だがアリスの心配はそこではない。ずっと片思いしていた相手と一緒に暮らすのは、ユアンの気持ち的にはどうなのだろうか?  そんなアリスの心を読んだみたいにユアンは珍しく微笑む。 「困った事にな。それに別に辛かねぇよ。お前はきっとアーロの事を言ってんだろうが、それはもうとっくの昔に精算した。俺の中ではあいつを庇った時にケジメはつけた。それでいい。ただ、今までみたいなおはようのキスとかそういうのは勘弁してほしいな。別にまだ未練があるとかそういうのじゃなくて、単純に気持ち悪ぃ」 「それは……うん、きつーく言っとく! 最悪ボカ! する」 「ああ、頼むよ。ほら、皆待ってんだろ? 行くぞ、アリス」 「うん。ねぇパパ、手、繋いでもいい?」 「ん? ああ、別に構わねぇけど」  ユアンはそう言って小さな手をアリスに差し出すと、アリスはその手を泣きそうな笑顔で掴んだ。まるであべこべみたいな手のサイズだが、そんなでもアリスは嬉しそうに笑う。 「へへ! 行こ!」  アリスはユアンの手を掴んで走り出した。ユアンは引きずられるように走りながら文句を言ってくるが、それでもアリスは止まらない。  ユアンの手はノエル達と変わらない小さな子どもの手のはずなのに、不思議とアリスには大きく温かく感じた。 「やっと戻って来たみたいよ!」  キャロラインはそう言って領地の入り口を指さした。それに釣られるように仲間たちは一斉にそちらを見て思わず笑みを浮かべる。 「ああやってるとどっちが親か分かんないですね」  アリスの嬉しそうな顔とユアンの困ったような顔はあまりにも対照的でライラが思わず言うと、隣でピザを齧っていたリアンが呆れたように言う。 「全くだよ。まぁでもあいつの気持ちも分かるけどね。僕も母さんが生きてたって分かった時は戸惑いもしたけどやっぱり嬉しかったからさ」  ノアのゲームの強制力とシャルの存在のせいで、亡くなったはずの人たちが何人か生きていた。その事にリアンがどれほど戸惑ったのかは、きっとリアンにしか分からないだろう。  そんなリアンにノアが笑いながら言った。 「リー君は戸惑いながら涙ぐんでたもんね。僕はあの時のリー君の言葉と顔を一生忘れないよ」  てっきり責められるかと思えば、ノアがリアンに言われた事と言えばお礼だった。  あの一言でノアがしてきた事の少しぐらいは許されたのではないかと思えたのだ。 「そういうのは今すぐ忘れて」 「やぁやぁ! 皆、おまたせ!」  そこへ、ようやくアリス達が戻ってきて空いている席に座った。  そんなアリス達を横目にリアンが今度は八重子が即席で作ってくれた味噌汁に手を伸ばしている。 「これ美味いっすよね。やっぱ本場の味は全然違うんすね」  たまにアリスが作ってくれる味噌汁とは何かが違う八重子の味噌汁にオリバーが言うと、八重子は照れくさそうに笑った。 「そ、そう? 味濃ゆうなか? うちん人たちはこれぐらいで良かって言うとばってん」 「えっと……」  八重子の長崎弁に思わずオリバーが首を傾げると、アンソニーがにこやかに言う。 「通訳しようか?」 「いや、大丈夫っす。味も丁度良いっす」 「良かった!」  オリバーに言われて微笑んだ八重子は、目の前にズラリと並ぶ見たことも無い各国の料理に目を輝かせる。 「やっちゃん、どれが好きか教えて。レシピ聞いて帰るけん」 「うん!」 「あ、それじゃあヤエ様、私もこのお味噌汁のレシピ教えて欲しいです。オリバーが好きみたいなんで、家でも作ってあげたい……」  そんな事を言いながら頬を染めたドロシーを見て仲間たちの空気が一気に和む。 「もちろんばい! 後で一緒に作ってみる?」 「いいんですか!? 是非!」  身を乗り出したドロシーに八重子は笑顔で頷く。そんな二人を見てティナとライラも手を上げたのだが――。 「ミアさん、あなたは止めておいてください。代わりに俺が参加してきますから」 「え!? で、でもこれは奥様の集まりなので是非私も参加を……」  ライラ達と同じように手を上げようとしたミアだったが、その手をそっとキリに下ろされてしまった。 「いえ、うちの奥様はほぼ俺なので。あなたは食べる方に専念していてください」 「でも……」 「母さん、俺たちも行ってきますから! 母さんはそこに居てくれるだけで良いんです!」 「そうです。あなたはただそこに居るだけで俺たちを幸せにしてくれるのです。だから今回は俺たちに譲ってください!」  キリと双子達はそう言ってどうにかミアを押し留めた。そんな様子を見てノアが吹き出す。 「それじゃあ僕も習いに行こっかな。何だか懐かしい味がするし」  養護施設に居た時の朝ごはんの味がするな、などと思いながら味噌汁を飲んでいたノアが言うと、八重子は嬉しそうに頷く。 「こがんうちでも誰かん役に立てるとが嬉しかばい! アンソニー、よか?」 「もちろん。皆、ヤエを頼むよ」  嬉しそうな笑みを浮かべた八重子を見てアンソニーも嬉しそうに言うと、ビールを一気に飲み干した。  その隣でニコラもビールをさっきから一気飲みしている。 「ところでビールはほんっとうに最高だよね!」 「ニコラさん、そう言えばうちのビール工場でもちょっとした話題になってますよ」 「え? なんで?」 「あなた、週一ぐらいで顔出してるでしょう? 何だか最近はフレーバービールとかの提案をしていると聞きました」  アランが呆れたように言うと、ニコラは頭をかきながら笑った。 「いや~好きな物って極めたいよね?」 「それは分かりますが、靖子さんまで連れてってるそうじゃないですか」 「うん。やっちゃんはオルゾの海鮮が大好きだからね。焼き牡蠣美味しいんだよね?」 「うん! うち、海鮮ばり好き! 水晶のもうまかばってん、目ん前で採れたん焼いてくるるっさ! 婆ちゃんにも食べさせちゃりたかねぁ」 「やっちゃん、海鮮は流石に持って帰れないから、今度瓶詰めの牡蠣持って帰ってあげようか」 「うん!」 「もうすっかり馴染んでますね……漁師の方たちや人魚の皆さんが靖子さんの事をまるで孫や子どものように思っているみたいですよ」  たまにアランが工場に顔を出すと、大抵がこの二人の話になり、色んな海鮮やおつまみをお土産に、と言って持たされるのだ。 「ニコラはこう見えて子ども好きでね、やっちゃんを休みの度にあちこち連れ回しては遊び回っているんだよ。長年引きこもった反動かもしれないね」 「靖子も嬉しそうやし、お土産話も沢山聞くるんでありがたか事ばい」  自分たちが生きていた時代は常に戦争がつきまとっていた。今のようにお腹一杯ご飯を食べる事もままならず、どこかへ遊びに行くなんて事も出来なかった。特に靖子は物心ついた頃から既に戦争の事しか知らないような年齢だったので、そういう意味では今が一番幸せで楽しいのではないだろうか。  八重子が隣で焼肉を頬張る靖子の頭を撫でながら言うと、そんな二人を見て仲間たちは皆しんみりとした顔をする。二人の事情は皆も知っているからだ。 「そんな暗い顔、今日は無しだよ! 皆、ほらほら一杯食べて! 新しいテントも出てきてるよ!」 「母さま、お肉無くなっちゃった。取ってきてもいい?」 「もちろん! ポリーさんに見つからないようにね!」 「うん! 兄さま、行こ!」 「え? うん、いいけど……」  アミナスに袖を引っ張られて渋々ノエルが立ち上がると、そんな二人にレックスが言った。 「二人とも、今は駄目。ポリーが水晶の近くをウロウロしてる。来て、僕に考えがある。エルシーも連れてきて」 「うん!」 「レックスまで! もう。ほらエルシー、レックス兄ちゃんがついてきてって」  ポリーに見つからないように肉を水晶から出すという使命感に何故か燃えているレックスとアミナスにノエルは苦笑いしつつ四人はいそいそとテーブルを離れていく。 「レックスは最近ああいうちょっとした小狡さを覚えたんだ」 「まぁ、いいんじゃないか? レックスは素直すぎたし、あのままじゃ世界は生きにくいだろ。リゼ、ちくわ焼けたぞ」  言いながらディノと仲良く網の番をしていたオズワルドが焼けたちくわをリーゼロッテの皿に入れてやると、リーゼロッテは嬉しそうに笑顔を浮かべる。 「ありがとう、オズ! はんぶんこしよ」 「いや、それはリゼが食べな。俺のもすぐ焼ける」 「分かった」  リーゼロッテが焼きたてのちくわを頬張りながら目を細める横で、オズワルドとディノはまだ真剣に話し込んでいる。 「そうだろうか。そのうち嘘なんかもつき始めるのではないだろうか」 「嘘の種類にもよるだろ。他人を騙すような陥れるような嘘でないなら、それはレックスにも考えがあっての嘘だ。全ての嘘を良くない事だと思うなよ。それに嘘なんて妖精王ですらしょっちゅうついてるぞ?」 「なんだ! 何故突然我を引き合いに出すのだ!」 「聞こえてたのか」 「まぁな! 我の耳は地獄耳だと有名だからな! ん? なんだ、これは」  祭りの宴だと喜んでいた妖精王の耳に、ふと嘘つきという単語と自分の名前が聞こえてきたので慌てて広場からやってきた妖精王に、オズワルドがふとトングを手渡してくる。 「交代。俺もピザ食べたい」 「お、おう。仕方ないな。さっさと食べろ」  何が何だか分からないがどうやら交代の時間が来たようだと妖精王は素直にそれに従うと、そんな妖精王とオズワルドを見てディノが突然笑い出した。 「妖精王、少しはオズを疑った方がいいな! オズ、お前の方が嘘つきではないか?」 「バレたか。まぁでもこいつはそんな細かい事は気にしない。そうだよな?」 「もちろんだ! たとえ騙されたとしても、我は完璧にちくわを焼き上げるぞ!」  今までこんな風に妖精王と対等に言い合う事を許された生物は居なかった。こんな事になるまではそれで良いと思っていた妖精王だが、ディノとオズワルドという存在を知ってしまえば、もう昔の友人が居ない頃には戻れない。 「オズの言う事は素直に聞くよな、妖精王は」 「うちじゃワガママ言いたい放題なのにネ!」  トングを持って嬉々として食材を網の上でひっくり返している妖精王を見てカインが言うと、同じことを考えていたのかフィルマメントもそんな妖精王を見て呆れたように言った。 「いや、それは母さん、人のこと言えないんじゃ……」 「どういう意味? ルーク」 「別に何も!」  学園に入ったルークは、ようやく普通の人たちとの交流を得て思った。今まで自分の周りに居た人たちは、大なり小なり変わっていたのだと言う事に。 「ルーク、俺の父さんのようになりたくなければ、余計な事は言わない方がいいぞ」  そんなライト家を横目に見ていたライアンが言うと、ルークは神妙な顔をして頷く。 「そうだった。王も学生時代は大変だったって聞いてるし、俺たちも気をつけないとな」 「そうだ。俺は先生方に色々昔話をされるが、父さんは今でもキリに怯えているからな!」  ルイスの学生時代を知っている教師陣は、こぞってライアンにルイスとキャロラインの事を聞かせてくれるが、ライアンにとってそれはとても嬉しい事でもあった。 完璧だと思っていた両親の少しだけ抜けた話や今の二人に至るまでの話は、両親とライアンの距離をとても近づけてくれるからだ。 「それは僕もよく聞くよ。英雄だって今では言われてるけど、先生たちの話を聞いていると父さん達にも学生時代があったんだなって思えるんだ」  ついでに超がつくほどの問題児の集まりだった事もしっかりと聞いているライアンとルークである。 「二人とも、担任がカーター先生じゃなくて良かったね」  二人の話を聞いていたテオが言うと、二人は不思議そうな顔をして首を傾げる。 「カーター先生はアリスの担任だったらしいんだけど、それはもう大変だったんだって」 「それは……そうだろうな」 「ご愁傷さまとしか言えないね……」 「うん、僕もそう思う。アリスの話は今でも皆に人気だけど、僕たちはほら本人を知ってるからさ、先生たちの苦労がありありと分かるよね」 「テオってば、そんな事言ってるけどあなたが一番アリスに懐いていたんでしょ?」 「そうだよ~。キャロライン様が言ってたもん~。昔はテオはライラよりもアリスの方が好きだったって~」 「そ、それは物心つく前の話だよ! まぁ一番苦労してるのはイーサン先生とザカリーさんとスタンリーさんだけどね」  ジャスミンとローズにそんな事を言われて顔を赤くしたテオが話題を変えると、子どもたちは全員が神妙な顔をして頷いた。 「それはほんと、そう」 「だな」 「可哀相に……あの三人は多分、死ぬまでアリスに振り回されるわ」 「見えたもんね~。悲壮な顔した三人の顔~」  ローズは唯一フォルスの学園に通っているが、この三人はアリス工房の裏方でもあるので馴染みが深い。そんな三人の未来は常にアリスがつきまとっている。  子どもたちのそんな会話を聞きながら、シャルルはシャルと静かに飲んでいた。 「はぁ、ようやく一息ですね」 「全くです。最後の英雄の帰還でようやく一区切りしたような気持ちです」 「ところであなたはもうずっとこっちに居るのですか?」 「ええ。まぁ大体はもうこちらに居ますよ。過去での私達は死んだ人間なので、あまり長居はしないようにしているんです。それにこちらの方が色々発展していて過ごしやすいですし」  シャルがそんな事を言って目を細めると、それを見てシャルルも笑った。 「ルイスに聞きました。とうとうあの屋敷を買い取ったのでしょう?」 「ええ。今度は庭にプールを作ろうとアリスと話しているのですよ」 「プール? 何故またそんな物を」 「エルシーがプールで遊びたいと言うので。来年には間に合うようにしなければ」 「溺愛してますねぇ」 「自覚はしていますよ。いけないとは思うのですが、エルシーはまぁ、言わば私の戦友でもあるのでつい聞いてしまうのですよ」  苦笑いを浮かべてそんな事を言うシャルに、シャルルがワインのおかわりを注いでくれる。 「いいじゃないですか、それで。あなた達は世界の理も何もかもを超越した存在で、一番の功労者だったんです。それぐらいのご褒美はエルシーにも必要でしょう」 「では、これからも存分に甘やかしましょうか」  そう言ってグラスを持ち上げると、シャルルは何も言わずそのグラスを自分のグラスを当ててくる。こんな風にシャルルと二人で話をするのは、意外な事にこれが初めてだった。  シャルルとシャルがお洒落なバーのような雰囲気を醸し出している中、反対側では居酒屋のように賑やかだった。 「アリス! それは俺が焼いていたんだぞ!」 「名前無かったもん! キャロライン様だけじゃなくて、肉まで独り占めする気ですか!?」 「な、何故そこでキャロが出てくるのだ! 大体肉を独り占めしているのはお前だろうが!」 「二人ともお肉は私が持ってきてあげるから、そんな事で喧嘩をしないでちょうだい」  さっきから網とトングを取り合いしているルイスとアリスにキャロラインが言うと、そこへようやく食材を持ち帰ってきたノアがルイスとアリスの間に無理やり割り込んだ。 「はい、ストップ。追加持ってきたよ。あとルイス、近い」  そう言ってノアはルイスを無理やり押しのけると、アリスの頭をグリグリと撫でた。 「お、お前という奴は、仮にも王に何という……」 「王は王でも木偶の王だもんね、あんたは。ライラ、新しい野菜とウィンナーも来たよ。よく残ってたね」 「本当? 私、あの辛いウィンナーがいいわ」  ノアが持って帰ってきた食材を見てライラが言うと、ノアはにこやかに頷いてすぐさま辛いウィンナーを焼き網の上に乗せてくれた。 「出来たてだってさ。一生懸命皆で腸詰めしてたよ」  ノアが笑いながら言うと、それを聞いてリアンは途端に申し訳無さそうな顔をする。 「何か悪いよね、僕たちだけ働かずに飲んで食べてるだけなんて」 「前ならともかく、皆好きでやってるんだよ。それにちゃっかり出来たて焼いて食べてたし、そのお裾分けってぐらいだからそんな気にしないの」 「そう? それじゃあ遠慮なく……あ! 魚介もあるじゃん! 僕、サーザエ!」 「そう言うと思って多めに持ってきたんだ。オリバーはエビ焼く?」 「あ、お願いするっす。ドロシーの分もお願いしていいっすか?」 「もちろん。そう言えばドロシーは?」 「メイが新しい髪飾りが欲しいとかで、サーシャとドロシーと一緒にテント見てくるって行っちゃったんすよ」 「ああ、なるほど。アクセサリーとか服とかのテントも出てるもんね。そういうの欲しがる女の子が居るって変な感じ」  ノアがそう言って笑うと、それを聞いていたキリが呆れたように言った。 「ノア様、それは違います。多分、アミナスやエルシーやアニーを女の子の基準にしてはいけません」 「そうかな?」 「そうです。俺たちは幼い頃からあのゴリラを見て育ったので不思議に思いますが、恐らく大半の女性は年頃になる前からああいったドレスやアクセサリーが好きです。そういう意味では、ドンが一番一般的な女性に近いかもしれません」 「ふはっ! お前ら、何真剣な顔して話してんのかと思ったら! そうだよ、大抵の女子は物心ついたら大体可愛いドレスとか着て喜んでんぞ」 「マジですか……」 「ああ。うちは男しか居ないけど、姪っ子でさえそうだったんだからそうだろ。キャロラインに聞いてみろよ。あれこそ淑女代表だぞ?」  そう言ってカインがまだ喧嘩しているアリスとルイスの仲裁をしているキャロラインを指差すと、ノアは肩を竦めて微笑む。 「それも個性だから。色んな子が居ていいよ。ただ、僕には不思議ってだけ。それにアリスだって花や植物なんかは好きだったよ。ねぇ? キリ」 「ええ。食べられるかどうかが基準でしたけどね」 「……それは言っちゃ駄目だよ」  結局、アリスが幼い頃から興味を持っていたのは食に関してのみだ。せっかくアリスのフォローをしようとしたけれど、いつもの如くキリによってそれは阻まれてしまった。  そこへ、ようやく喧嘩を終えて戦利品をたんまりもぎ取ったアリスがやってきた。 「何の話してるの? 兄さま」 「うん? アリスはいくつになっても可愛いねって話だよ」  シレっとそんな事を言って笑顔を浮かべるノアを見て、仲間たちは思わず顔を見合わせる。 「いやいや、そんな話してたか?」 「してない。全っ然してない」 「二人とも、シッすよ!」 「ノア様はたとえどんな話でもああやってお嬢様に聞かれると、必ずああ答えるのです。なぜなら、お嬢様が話に入ると途端にややこしくなるので」 「なるほど。納得」  言いながらリアンは焼き立てのウィンナーに齧り付いて目を細める。 「さて! たっべるぞ~! あ、アミナス達成功したみたいだよ!」  アリスが席に座って広場を指差すと、アミナスとノエルが必死の形相でこちらに向かって走ってくるのが見えた。そのはるか後方に、エルシーを抱いたレックスがチラチラとこちらを伺いながらポリーの相手をしている。 「なかなか良いコンビじゃない」 「ね! まるで小さい頃の私達みたい」  子どもたちを見ながらアリスが言うと、途端にノアとキリは白い目をアリスに向けてくる。 「いや、僕たちは君のとばっちりを食らってよく叱られたんだけどね?」 「全くです。勝手に過去を美談のように捏造しないでいただけますか?」 「まったまた~! 何だかんだ言いながらスリル溢れる毎日だったでしょ?」 「あれをスリルって言葉で片付けてもいいのかな?」 「スリルと言うより、常に死と隣り合わせでした。あと、それは過去に限りません。今もです」 「それはキリの言う通りだね。アリス、良い子だからもうちょっとだけ自重しようね?」  真顔でそんな事を言うキリと相変わらずの笑顔のノアに、アリスはいつものようにニカッと笑って言った。 「まぁいいじゃん! 楽しくやっていこうよ、これからも! ね!」  アリスの言葉はさほど大きな声ではなかったにもかかわらず、広場に響き渡った。 いつも通りのバセット家の日常は今日もこうして過ぎていく。明日になればまた日は昇り、また楽しい一日がやってくる。  アリスはそんな事を考えながら、あちこちで笑い合う仲間たちを見渡して満面の笑みを浮かべた。  明日からの生活に胸が踊る。   そうして毎日は過ぎ去って、いつか振り返った時に皆の思い出が笑顔で溢れていれば、その時ようやくアリスは胸を張って最高に素晴らしい人生だったと言えるのだろう。  その為に、アリスの奮闘はまだまだ続くのだ!
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