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和田が警察に連行されたのを見送った後、     「事情聴取、この子と一緒に私が行くわ」 「お店お願いね」 と小林に伝え、その子と二人で警察へ向かった。  警察に着くと、連れてきたその子とは違う小部屋に案内され、警察に連絡するまでの経緯を説明した。 「防犯カメラの映像を、お借りしに伺う事になるかと思いますので、また連絡させていただきます」 と、話の最後に警察官が頭を下げた。 「あの子…、どうなりますか?」 と、香が尋ねると、 「どうやら、祖父母がいるようです」 「今連絡を取ってこちらに向かっているようなので、大丈夫ですよ」 と、警察官に言われた。  香は、少し考えて、 「その方達が来るまで、待っていても良いでしょうか?」 と聞くと、警察官も少し考えて、 「お待ちになるようなら、受付前の椅子で待っていていただけますか?」 と答えた。  それに対し香は頷いた。  受付前に行くと、受付近くに警察官が立っていた。  その先にある、薄暗いいくつか並んだ椅子にあの子が座っていた。  香は、その子から少し離れた場所の椅子に腰を下ろした。  時計の針の音だけが響いていた。  しばらくして、 「ユウキ〜!」 と誰かが呼ぶ声がした。  玄関に目をやると、老夫婦が泣きながら走ってきた。  そして、あの子に抱きついた。 『あの子、ユウキって名前だったんだ…』  抱き合ってる姿を見つめながら、香は、頭の中でそう思っていた。  そして、警察官から説明を受けた老夫婦は、香の所に来て、 「助けていただき、ありがとうございました…」 と、泣きながらお礼を述べた。 「いえいえ、一緒に居られる家族がいるなら良かったです」 と、香が老夫婦に伝えると、老夫婦は黙ってしまった。  香が首を傾げていると、祖母の方が言いづらそうに、 「あの男は、私らの息子です」 「昔っから喧嘩っ早くて、私らも殴られた事もありまして…」 と、話すと、また言葉に詰まりながら、 「高校を卒業してから音信不通だったのが、ユウキが生まれてから会いに来て…」 「その頃は夫婦仲も良さそうで、子供にも優しくみえていたんですがね…」 「嫁にも手を上げていたらしく、耐えられず、嫁は家を飛び出したんです…」 と香に話した。 「お嫁さんが、お子さんを置いてったんですか??」 と香が思わず聞くと、祖母は大きく首を振り、 「いえいえ!嫁は連れて行きたかったのに、息子が子供を置いていかないと、二人ともただじゃおかないと脅したようで…」 「嫁は去る前、泣きながら私らにもこの子にも謝ってました」 と、そこまで話して、一つ深いため息を吐いた。 「息子が仕事で留守の時だけ、ユウキに会いには行ってたんですが…、私らの痕跡があるとユウキに危害を加えるようだったので、あまり会いに行けず…」 「これから私らの所に来ても、息子はユウキを探してやって来きます…」 「だから、養子に出したいと、今警察の方に相談したんです…」 「ユウキを助けたい…」 と、言葉にした途端、祖母の目から涙が流れた。  香は、気になっていた事を思い出した。 「そういえば、あの子は話せないのですか?」 と。  祖母は少し考えて、 「小さい頃は喋ってました…」 「いつから話せなくなったのか、分からないんです…」 と答えた。  香は、ユウキを見つめた。  話を聞いて、香は、自分が睡眠薬を飲もうと迷った頃を思い出した。  あの頃の香は、自分の意志で現実から逃げたくて薬を飲もうとしていた。  なら、ユウキは…?  ユウキが口を聞かなくなったのは、現実から逃げられない自分を守るため…?  幼い子がそんな思いをするなんて…。  そして、色を失ったような瞳が香は気になった。  香は、心が傷んだ。  そして、なぜかユウキと葵が笑い合う姿が目に浮かんだ。 「葵なら…この子とどう向き合うんだろう…」 なぜか、そう考えていた。  この子を守ってあげたい。  もしかしたら、この子が私や葵を支えてくれる日だって来るかもしれない。  出会うべくして出会ったのかも…。 と、考え始めていた。  少しの沈黙の後、香は祖母の顔を見つめて、 「その養子縁組…、預かるという形で、私が引き取らせていただく事は可能でしょうか?」 と問いかけた。  二人は予想外だったようで、目を丸くして口を開けたまま少し黙ってしまった。  そして戸惑いながら、 「ユウキは話せませんし…、そちらにご迷惑かける事に…」 と、今度は祖父が答えた。 「ユウキさんは、今いくつですか?」 と香が問いかけると、祖父が、 「高校に行ってれば、一年生です」 「中学もまともに行ってないと思います…」 と、うつむきながら言いづらそうに答えた。  その返答を聞き、 「では…、私の方で、三年間預からせていただけませんか?」 「そして、ユウキさんが18歳になったら、本人の判断に任せるのは、どうでしょう?」 と、香は提案した。  提案を聞き、互いを見つめる祖父母。  少し二人で話をしたあと、祖父が、 「よろしくお願いします」 と頭を下げた。  それから、警察官へ再度相談をしに行き、和田がユウキと祖父母の元へ行かないように、接近禁止命令を出してもらった。  そして、警察と市の管轄の人と連携して、3年間名前を変えて香と生活ができるように、月曜日に市役所へ祖父母と行って、手続きをする事になった。  話を終えて、香がユウキを見ると、椅子の上で丸まって眠っていた。  「ユウキさん、今日このまま私が連れ帰っても良いですか?」 と、祖父母に問いかけると、 「…ありがたいです」 「今ユウキを見るのが辛くて…」 「よろしくお願いします…」 と言い、祖父母は頭を下げた。  香は、 「わかりました」 と伝えた。  香はユウキの体を優しく叩いて起こした。 「ユウキ、今日から私があなたの保護者よ」 「一緒に私のお家に帰ってくれるかな?」 と問いかけると、ユウキは頷き立ち上がった。  そして、泣きながら見送る祖父母に背を向け、うちに向かうタクシーに乗り込んだ。
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