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呼び出し音の後に聞こえてきたのは相変わらず愛想の欠片も無い声。
「はい、せりざわ動物病院」
「あの、今朝伺った広野と申します」
「広野?」
「捨て犬の……」
「あー、なに?」
なに?って、一般的に獣医ってあんなものなのかと思っていたけど、絶対この人だけだ。
「様子を聞きたくて電話しました」
「ぐっすり寝てる」
「そう……ですか」
「もういい?」
「え?あの、はい」
すぐに切られてスマホを見ながらまた愕然とした。子犬と同じような対応をしろとは言わないけど、もっとこう色々あるだろうって。
いくらお金を払ってないにしても、あまりにも素気ない。何だか疲れがどっと出てロッカーで着替えをして会社を出ると、一人では一度も入ったことのない誠司さんのバーの前に着いていた。
文也が一緒じゃないと入らない店、でも今日は色々あり過ぎて一目でいいから誠司さんに会いたかった。
緊張もあるけど疲れがそれを上回る。お酒も飲みたい、一人でバーに来てる人もたくさんいるのをこの数ヶ月見てきてた。
そっとドアを開けて足元だけが照らされた階段を降りる。
漸く聴こえてくるジャズ、またドアを開けて広がるのは海の底。
店内はそれなりに人がいた。僕の存在に気付いた数人はこちらに視線を向けて、すぐに手元のカクテルや相手との会話に戻ってく。
此処には僕を気にする人間なんていない、安心していい場所だ。
カウンターに立ち僕を見ていた誠司さんは、目が合うといつものように優しく微笑んだ。
手で案内されたカウンターの席に座り、言葉が出なくて文也の存在が大きかったことを思い知る。
「今日は一人なんだ?いつものでいい?」
「…はい」
たったこれだけの会話なのにそれでも今日の嫌な事が流れていくようだ。子犬の震えが未だに残る手を擦り合わせ、氷の音と共にすぐに出てきたアペロールスプリッツにため息がもれる。
誠司さんをチラッと見て彼が微笑むのを確認すると、アペロールの丸いグラスに触れて喉を潤し、空腹に落ちたアルコールはじんわり広がり熱くなる。飲みやすいお酒、好きな人が作ったお酒、文也がいつも座ってるカウンターチェアに目を向けまた一口飲む。
話し相手がいないと飲むペースも早くて、誠司さんは無くなる前に次を聞いてくれるから尚更早く酔っていく。
「大丈夫?」
「は…い」
「大丈夫じゃないみたいだね」
誠司さんとこんなに近いのに緊張もしなくて、カウンターから見詰めてくる瞳に向かって微笑んだ。
「今日は疲れちゃいました」
「見てると分かるよ。どうした?」
誠司さんの綺麗な唇に視線を落とし、そこから紡ぐ言葉がどれもキラキラしてるみたいだなって。完全に酔ったなと分かるのに、この雰囲気に呑み込まれたい自分もいた。
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