狂い、

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狂おしいほど好きな人はお客さんが帰った後もずっと話を聞いてくれた。 アペロールばかりじゃ飽きるだろうと、ジンとライムやシロップをシェイクしてギムレットを作ってくれる。 さっぱりとして重い、ジンの香りも初めての経験で最初は慣れない味でも徐々に打ち解けてくる。 「それで、その子犬は今何処にいるの?」 「病院に連れて行きました」 今朝起きた事を話してはカクテルを飲む、途中で出してくれた野菜スティックも食べながら、もう誰もいない店内で誠司さんを独り占めしている。 信じられないくらい緊張する時間を過ごしているはずなのに、目の前にあるギムレットが僕の思考を鈍らせていく。 まるでそれが本当の狙いみたいに。 「病院に連れて行ったなら安心だよ。きっと大丈夫、子犬なら里親もすぐに見つかるよ」 「子犬……ずっと震えてて、いつ会社に置いてったのか分からないけど、こんなに寒いのに置き去りにされて……なんかもう人って嫌だなって」 「陸くん」 「ん?」 「大丈夫、助けたんだから」 誠司さんは本当に優しくて、こんな風に話せるとは思ってなかったから尚更その言葉が嬉しかった。きっと帰る時間のはずなのに、こうやって酔っ払いにまで付き合ってくれて。 お酒の力を借りるって結構大事なのかも、特に口下手でお世辞にも華がない僕みたいな人間には。 「陸くんみたいな子、タイプだよ」 「え……」 「大丈夫安心してよ、怖がらせるつもりは無かったんだ」 魅力的な笑みに困惑する僕をクスクス笑いながら、カウンターから移動して僕の隣に腰をかける。 黒のウエストコートはもう身に付けていなくて、白のワイシャツのボタンはいつも上まできっちり閉じられているのに今は首元が開いていた。 「……怖がってなんかないです」 「そ?怖がってるように見えた」 左手の綺麗な指はピアノのようにテーブルを鳴らし、僕の視線がそこに向くとその手が止まる。 「怖がってない、か。……だと、思った」 「─── ッ?」 とても甘い声だった。 いつもの誠司さんじゃなく、追い詰めるような甘さのある声。 ワントーン低い声が酔った僕を包み込む。 「いつも見てたよね……俺のこと」 バレないはずがない。 あんなに見詰め、そして恋をしているんだから。分からないはずがない、きっと全部見えていた。 青い照明の中で誠司さんを見れば無造作に崩した髪が凄く色っぽく、長い脚を組んで楽しそうに笑い表情がまたスッと変わり妖艶になる。 「キスでもしてみる?」 呆然としたまま見惚れている僕を誠司さんは微笑み近付き、迫る彼から凄くいい香りがして動けない。  
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