狂い、

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でも文也は諦めていない様子だ。どんなに睨みつけてもニヤニヤとして目が垂れっぱなし。 コソコソと言い合う僕らにナッツをくれた誠司さんは、すっかり常連になった僕らを見ながら頬杖をついた。 「なに?面白い話でもしてる?」 「いやね、噂聞いたんですけど」 「ちょっと、文也」 いい加減にしてくれ、そう思ってカウンターチェアをぐいっと引っ張る。 「おっと、陸に怒られちゃった」 「陸さん?名前、陸って言うの?」 魅力的な瞳が僕に向いて言葉が出てこなくなる。 「そうですよ。広野 陸(ひろの りく)って言います。コイツの名前覚えてやって下さいよー」 照明が青じゃなかったら真っ赤になっているのがバレていたはず。 チラッと誠司さんを見れば、そんな僕を見透かすように目を細めて微笑んでた。 「噂なんですけど」 でも、文也が話し始めたことでまた僕は隣に座る文也に視線を向ける。 「マスターはゲイだって本当ですか?」 その言葉に僕は諦めの吐息を落とした。 「ああ、その噂ね」 誠司さんは文也を見つめ、にっこりと笑って見せる。 「ゲイじゃなくバイセクシャルだよ」 隠す必要もない、そんな感じだった。 「男も女もどっちでも愛せる。もちろん、俺にも理想ってのがあるけどね」 僕はこの時どんな顔をしていたんだろう? 茫然とした表情か、それとも泣き顔に近い表情か、それとも、希望を見つけて狂った顔か。 言い切った誠司さんに僕と文也は固まっていた。そんな僕らを見て彼はおかしそうにクスクス笑う。 「すみません、モスコミュール」 女性の声に誠司さんは笑うのをやめ、いつものポーカーフェイスに戻ると僕はアペロールを一気に飲み干した。 べつに期待したとかじゃない。 ただ、片想いを続けていた僕にとっては、この世界に居場所があるんだと、そう思ったんだ。    
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