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「良かったね、陸」そう文也は僕の耳元で囁いたが、でもそれに返す言葉が見つからなくて少し笑って見せる。
文也の表情から凄く楽しんでる様子で、僕たちはアペロールスプリッツをもう一杯注文して帰ることにした。
帰る道すがらはしゃぐ文也と色んな話をした。ノンケの文也が誠司さんの告白を聞いてここまで喜ぶとは思ってなくて、何度も良かったじゃんて体当たりされては道をよろけそうになる。
「思い切って告っちゃえよ」
「勘弁してよ、バイセクシャルだって分かったからすぐに行けるほど上手に生きてないんだから」
「そんな悠長な事を言ってると誰かに取られちまうよ」
「うるさいな」
性格が違う文也は今日の話で僕が誠司さんに告るのは決定事項だと思っているようだ。
「それに、告ったら……もう飲みに行けなくなるよ」
「陸、本当にさ、いつまでも片想いしてると誰かのものになっちゃうよ、あの人」
思いの外深刻な声に文也を見れば、声と同じように真剣な瞳とぶつかった。
「僕は言わないよ……片想いでいい」
「そっか、ごめんごめん」
文也はまたいつもの表情になってピリッとしていた空気がまた戻る。
僕の為にごめんね、そう呟いたのはきっと文也には聞こえていない。
ボロアパートに着くと今日一日がやっと終わる。誠司さんを見た夜は明日からの仕事が憂鬱になのは日課だが、今日は特にドキドキしてなかなか動き出せない。
男性も女性も愛せると言った誠司さん、それがとても羨ましくも思える。
自分とは違う、何にも言わずに過ごしてきただけに、彼のようにちゃんと自分で自分の事をサラッと言えるのは凄いことだ。
お風呂を済ませ、安いベッドに潜り込むと爪先の冷たさにまた目を開ける。
季節は冬、冷たい風が流れていく音をいつまでも聞いていた。
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