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芹澤さんの家に着くとすぐに花ちゃんのお風呂の準備をして、マメトコにエサをあげる役目の花ちゃんは犬用のミルクを器用にトレーに注ぎ入れ、すぐに自分の口に運ぶのを防ぐ役目を僕がする。違うトレーには缶詰めをあげて、それも口に入れようとするのをすぐに防いだ。
「遅くなるなら出かける前にご飯あげたら良かったかな」
「犬はそういうの駄目。リーダーが食べてから犬」
「そうなんだ」
「花にエサをあげる役目をしてもらってるのも、マメトコが花を見下さないようにする為なんだよ」
「へー、同じテーブルで食べる人もいるくらいなのにね」
「ふん」
鼻で笑う芹澤さんはとてもブラックな表情だ。彼からすればそんな飼い主は勉強不足で失格なんだ。
一度芹澤さんは病院に入院している犬や猫を診て、それからまた部屋に戻ってくると花ちゃんのパジャマや寝る時だけの夜用オムツを準備した。
僕も用意していた自分のスウェットをバックの中から引っ張り出す。
「準備してたんじゃん」
「まさか今日使うなんて、ね?」
「一緒に居ようと思ったのは誠司を見かけたから?」
「…っ、気付いてたの?」
芹澤さんの端正な顔を見上げ、さっき見た光景がまた脳裏に蘇ってくる。でも、痛みは少ない。
酷い別れ方をしたからか、自分でも深い傷だと思っていたのに結構浅い。
「あんな場面見ちゃったからな……」
「あんな場面?」
「文也が現れた時の誠司さんの顔。いつもと同じ笑顔で、それ、見たくなかったなー」
「あー、焦ってくれた方がね」
「わかる?そうなの、焦らないし、いつものように笑ってんだもん。それって僕、浮気相手にもなってないじゃん?」
言ってるそばから顔が歪むのを感じても、情けないとは思うものの泣くほどでもない。
もうあの人の為に泣いて愚痴るのも終わりだ、そう気付くと手が止まった。
「やっぱり枯れ落ちたのかも」
「あ?何が?」
「昨日聞こえたんだよ。風に混じって、こう枯れ葉みたいな音?かな」
「へー、幻聴?」
「そうかも。自分の頭の中で終わったんだね」
数ヶ月の片想いを昨日今日で割り切れるものでもないのかもしれない。でも浅くてすぐに治りそうな爪痕だけ残し消えた誠司さんが、自分の中で過去になったのは確かなようだ。
花ちゃんと芹澤さんが最初にお風呂に入って、次に自分も済ませるともう21時を過ぎていた。花ちゃんを抱っこしながら寝室に三人で入ると、セミダブルに三人は結構キツくて何度も落ちそうになった。
天井には蓄光ステッカーの光る星が青白く浮かび上がってる。毎日これを見て芹澤さんも花ちゃんも寝ているのかと思うと羨ましくなった。
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