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その日の空は、朝から分厚い雲に覆われていた。
出勤してからすぐに呼び出されてクレーム処理に追われ瞬く間に時間は過ぎていく。考える暇もなく改善書までなぜか僕が書くはめになって。
誰も読まない書類を書いて課長に提出して、課長は読みもしないで判子を押して、また梱包作業にヘルプに入ってとバタバタして。
一息ついた時にはもうすぐ定時の時間、芹澤さんに会いたくてスマートフォンを取り出せば僕はまた盛大なため息を吐く。
『今日会える?』
誠司さんからの連絡に苛立つ。
この男は文也という可愛い恋人がいながら、友人の僕をまた抱こうとするのか。
これは一度はっきりとさせなきゃいけない、うやむやにしていたら碌な事にならない、と言うか、本当はこんな男と文也は別れればいいとさえ思ってる。
定時には仕事を終える事が出来て、ロッカーで着替えるとムスッとしたまま誠司さんの店へと向かった。
ガツンと言ってやって、あの嘘臭い笑顔を泣き顔にしてやる。
それから芹澤さんの家に行って、昨日の話をしよう。
意気込みやってきた誠司さんの店を前に、以前は緊張していたのに感情さえ無く階段を降りた。
ドアを開けて懐かしい青い照明に包まれると、カウンター席に座る男性客が一人だけで後は空席、店が暇だから呼んだってのもあるのかとそれにも腹が立った。
そして誠司さんはあの残酷な笑顔をまた向けてくる。
「陸くん、久しぶりだね」
それに無言のまま近付けば、カウンター席の客が誠司さんの言葉に素早く振り返った。
「──ッ!!……芹澤、さん」
一瞬開かれた目はすぐに凍りつきそうな冷たい目に変わっていく。
「陸くんに会いたくなって。……芹澤の隣でいい?俺に話があるんだって、大丈夫だよ、芹澤はすぐ帰るから」
どんな表情をしていたのか自分でも分からない。この状況を説明したくても、芹澤さんは冷めた表情のままですぐに立ち上がる。
「もう帰るの?話があったんでしょう?」
「いいや、解決したから」
「そう?ウーロン茶だけだから今日はお金いらないよ」
芹澤さんは目の前に立つと冷たい目で見下ろしてきて、そのまま僕の耳元に唇を寄せて囁く。
「誠司がやってる事と、広野がやってる事、どこが違うんだよ?─── ……二度と俺に近付くな」
通り過ぎて行く芹澤さんはもう振り返ってさえくれなかった。
誤解されたままなんて絶対に嫌なのに、でも僕に向けられた強い嫌悪に足がすくんでしまって一歩も踏み出せない。
追いかけて、僕が好きなのは貴方だと、今日は文也の為に誠司さんに会いに来たんだって言わなきゃと思ってるのに、床にぺたりと座り込んでしまって動けなかった。
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