60人が本棚に入れています
本棚に追加
うわ、しまった!
僕は曲がりかけた廊下を慌てて戻った。
廊下の壁に背をつけて、息を潜める。
「あの…私…、入学式で見た時からずっと好きで…」
「うん、ありがとう。でもごめんね」
他人の告白シーンなんて見たくない。
ましてや…。
「で、でも、彼女、いないんでしょ?」
「彼女はいない、けど?」
だから何?と続きそうな声音。彼はたぶん今、完璧なお断りスマイルを浮かべている。
幼馴染みの彼はとてもとても綺麗で、だからこそお断りスマイルが出るともう誰も近付けない。
案の定、相手は何も言えなくなったらしく、軽い足音が遠ざかって行くのが聞こえた。
僕は詰めていた息を細く吐いた。彼も行ってしまってから動こう。そう思った時、
「!」
肩にポンと大きな手が乗せられた。
「どこから聞いてた?」
長身の彼が、背をかがめて僕を覗き込む。
彫りの深い切長の瞳が僕を捉えた。
生まれた時からずっと一緒にいるのに、彼に見つめられると息が止まる。
「…たぶん、最初から…」
ごめん、と頭を下げると、謝らなくていい、と彼が僕の頭を撫でた。
「嫌なものを見せたな。こっちこそ悪かった」
「ううん、不可抗力だよ。それに…、慣れてる…し」
今時は告白も対面ではしない事が多いのだというけれど、彼は誰とでも連絡先を交換するタイプではないので、直接呼び出すしかない。その高いハードルを越えてでも想いを伝えたい女の子は後を絶たない。
俯く僕の頬を彼の大きな手がするりと辿り、顎を軽く持ち上げられる。
「なら、どうして泣きそうな顔をしてる?」
チラリと上目に見た彼は、この上なく優しい顔をしていた。
彼のこんな表情を見られるのは僕だけだ。そう思うと胸が熱くなる。
僕は静かに頭を振った。
「平気…だよ?」
「ならいいけど」
その言葉と同時にぐいと引き寄せられて抱きしめられた。
「だ、誰かに見られたら…」
「オレは構わないよ」
耳元でそう囁かれて一気に体温が上がった。心臓がうるさいほど鳴り始める。僕は彼のブレザーを掴んだ。
「僕は…怖い」
「そっか…、だよな」
名残惜しそうに背を撫でて、彼が腕を解いた。
僕だって本当は、ずっと彼の腕の中にいたかった。
「そんな顔するなよ。いくらオレでも理性が切れるぞ」
片頬を上げて笑う彼が、とんでもなく格好良い。
この人が、僕の恋人。
でも大っぴらに僕のものだとは言えない。
表向きは仲の良い幼馴染み同士でいるしかない。
だから…彼女たちの告白を止める事はできない。
「…彼女はいない…って言ってた、ね」
「うん?」
甘えた事を言おうとしてる。
「…じゃあ、付き合ってる人は、って訊かれたら…?」
彼が僕を傷つけるはずがない、という前提の甘えた質問。
彼は僕をじっと見て、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前はオレに、なんて答えて欲しい?」
たまらなく魅力的な表情でそう訊かれて、僕は答えに詰まった。
「いる、でも、いない、でも、ノーコメントでも、オレはどれでも構わない」
どうする?と目で問われて、僕は視線を泳がせた。
いる、と言えば相手は誰なのか探られる。
ノーコメントもあまり変わらない気がする。
でも。
いない、と言われるのは、やっぱり悲しい。
ベストな選択が分からない。
途方に暮れた僕の背中を彼がぽんぽんと叩いた。
「悪い。困らせたな。お前は何も心配しなくていい。それにほら、さっきので最後かもしれないし」
「…そんな訳ないじゃん」
僕は少し無理をして笑ってみせた。
彼はもう笑っていなかった。日本人にしては淡い色の長めの前髪が目元に影を落として、益々シャープな印象を醸している。
彼が、僕の目を真っ直ぐに射抜いた。
強い瞳に見つめられて、呼吸も上手くできない。
「明日、予定ある?」
低く問われて、僕は首を横に振った。
今日は金曜日。
「泊まりに来れる?」
視界が揺れるほど心臓がどくどくと脈打っている。
僕はようやく小さく頷いた。
彼の顔が見られない。
「じゃ、帰ろうか」
そう言った彼が、僕の背中をぽんぽんと叩いた。
そのまま肩を抱かれてゆっくりと歩き出す。
夕方の光が、2人の影を長く伸ばしていた。
了
最初のコメントを投稿しよう!