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quatre
「はぁーん?」と剣呑な声をした江が長いまつ毛を伏せがちにして烈己をジロリと見た。
「なんで、怒ってんの? ん?」
「あの不感症αに何言われたかもう忘れたの?」
「……忘れて、ないけど」
「でしょ? 俺も忘てない。俺の可愛い烈己を傷付けて泣かせた憎いαのこと」
「そうなんだけど……俺もよくわかんなくて」
烈己は首を傾げながらクリームソーダのアイスを掬って幸せそうに頬張った。
「そんな可愛い顔したって許さないよ、そいつに会わせろ、ちんこを削ぎ落とす」
「おい、ここ喫茶店、やめろ」
美しい顔に反して出た汚い単語に烈己は怯みながらも、周りに聞かれていないかったか目線を慌ただしく泳がせた。
「烈己はその拗らせαが好きなの?」
「好き……? んーーー、まだわかんない、かな」
「嘘つけ、好きだろ、好きに決まってる、オーラが出てんだよ、ときめきオーラが」
「何、そのダサい名前のオーラ、意味わかんねぇ」
「もう捧げたの?」
「さっ!!」
「──まだか、よかった」
謎の安堵のため息をよこして江はようやく目の前のコーヒーに口をつけた。
「簡単に噛ませたらダメだよ、ちゃんと見極めなきゃ。俺たちΩは一瞬で永遠が決めるんだからね」
真剣な声色で強い眼差しが烈己を戒める。
「……わかってる、いくら馬鹿な俺でもわかってるよ」
「行政が見合いに出したってことだから、後ろ暗い過去がある人じゃないんだろうけど、それでも一度は烈己を深く傷付けた男なんだからね」
「江……でもさ」
「でも、なに?」
「江、前に言ったよな、弱い自分のない人なんていないって、それはαも同じだって。……俺さ、少し、ほんの少しだけどあの人の弱い部分、前に見た気がしたんだよね。その時、あの人は俺を激しく突き放したし、俺は傷付いたけど、あれがあの人のすべてじゃないような気がするんだ」
「単に烈己は浮かれていて、相手がよく見えてないだけじゃなくて?」
「ないとは言わない、けどさ……何年かかっても他人の本当の気持ちなんてわかんないものじゃないかな?」
「烈己……」
「だって俺、実のお母さんのことだって最期までわかんなかったんだよ? あの人が何を考えて一人で俺を産んだのか、育てたのか、死ぬ瞬間までも俺はわかんなかったし、今もわかんない。あの世で再会して直接答えてもらわない限りわかりっこないんだ」
母親の話を出されて、江は完全に言葉を失ってしまった。察した烈己が「ごめん、こんな話」と誤魔化すように笑ってみせた。
「江じゃなきゃこんな話できない。江がいてくれて良かった。ありがとう、江」
「なに、花嫁の父への挨拶みたいなのやめてよ」
「ほんとだ、ヤバい、ウケる」
「ヤバいじゃないよ、ほんとに」
無邪気に笑う親友に根負けして、江はいつものように優しくその頭を撫でた。
「ほんと、娘を嫁にやるお父さんの心境わかってきたかも」
「どんなけ気が早いんだよ、江は」
「早くないよー、烈己は案外あっさりと嫁に行くタイプだよ、チョロいもん」
「おい、こら、それ悪口だから」
「違うよぉ〜、スレてない分純粋に相手を好きになるんだよ、烈己みたいなのはぁ。もっと疑って、αは野蛮な狼だと疑え」
「俺の一番身近な狼、秀だもん、それは無理」
「秀だって十分野蛮だよ?」
「え? どのへんが?」
純粋な瞳で首を傾げられ、江は余計なことを口にしたと一瞬で黙り込み、能面のような無機質な顔をした。
「ねぇ、秀のどのへんが野蛮なんだよ、教えてよ、江」
「企業秘密」
「意味わかんねっ、なんだそれっ、惚気かよ」
ぶすくれた顔をした烈己はガシガシとアイスをスプーンでメロンソーダに溶かしてゆく。
透明の緑色だったメロンソーダが白く濁りだして、江はぼんやりとそれを眺めた。
「別々でいたら綺麗な白と緑なのにね、なんで一緒にしちゃったんだろうね」
「ん、なに? クリームソーダの話? そりゃあこうすればさらに美味しいからじゃない?」
「無粋だよ」
「でも美味いよ」
「誘惑に負けたんだ?」
「クリームソーダに思い馳せすぎじゃない? 江」
「確かに」
江がきれいな横顔に何かを含ませながら微笑むのを不思議な気持ちで烈己は盗み見た。そして、やはり人の心は何年寄り添ってもわからないものだと再び実感する。
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