quatre

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 夕飯には大澄のリクエスト通り、中華料理店を選んだ。  堅苦しさのないどこか家庭的な雰囲気の店内は、学生やサラリーマンからベビーカーを引いた家族連れまでと、幅広い層の客たちで賑わっていた。  四人掛けの席へ二人は通され、素直に向かい合って腰を降ろした烈己へ大澄は手招きし、横へ座るよう促した。  意味がわからず不思議そうに首を傾げる烈己だったが、素直に大澄の隣へ掛け顔を覗く。 「ここはうるさいから。隣にいないと声が聞こえにくいでしょう」 「あっ、それで世の中のカップル客って隣同士に座ってんの?」 「……いや、それだけが理由じゃないでしょ」 「へ?」 「──いや、もういいから。なに食べますか?」  あまりにも澄んだ瞳の烈己と目が合って、大澄は説明することを早々に辞退した。 「なんでまた敬語なの」 「なんか、癖が、残る」 「変なの」  最後に咳払いで誤魔化す大澄らしからぬ姿に、烈己はケラケラと笑った。 「全身全霊で天然ボケかましてくるアンタに言われたくない」 「アンタってやめない? 年下だし、烈己でいいよ」 「じゃあ──烈己」  突然の至近距離で目線を合わせてきた大澄に、烈己はびくりと肩を揺らした。 「へぇ、名前呼ぶだけでそんな反応するんだ」 「うるさいっ、てか、なんで敬語終わりなの」 「プレイはまた今度ね、烈己」 「もうっ、いいから! メニュー貸して!」  ニヤニヤと悪い笑みを浮かべるサディスト(おとこ)からメニューを奪い、烈己は赤く染まった顔を見られないよう中へ顔を埋めながらメニューを眺めた。 「俺にも見せて」と無理やり肩を押し付けてくる大澄へ必死に烈己は抵抗した。 「ヤダ、俺が先」 「一緒に見ようよ、烈己」 「うるさい、無駄に名前呼ぶな」 「無駄なんかないだろ、名前は呼ばれるためにあるんだから」 「へっ?」  そこでようやく烈己は自ら顔を覗かせ、大きく開いた瞳で大澄を見た。 「なに、俺おかしいこと言った? 人間が生きていく中で大抵の人は自分が名乗るより呼ばれることのが断然多いはずだけど」 「──確かに……そうかも……。けど、それとこれはまた別次元の話! 無駄に呼ぶのと呼ばれるのが仕事な名前の存在はまた別のはなし!」 「呼ばれるのが仕事って……ぷっ、言い方……っ」 「もう、なんだよ、すぐ笑う!」  烈己は恥ずかしくなって大澄の肩を軽く殴るが、大袈裟に痛いと嘆かれる。 「烈己こそ、すぐ怒る」 「大澄さんが笑うから!」 「烈己が可愛いこと言うからだろ?」 「ひゃい?!」 「ぶっ……イテッ! さっきより力強いって」  バシバシと加減なく左腕を殴られ続け、大澄は顔を歪めながら烈己の乱暴な手へ指を絡めてすぐに大人しくさせた。 「ほら、喧嘩はあとで、何食べるの?」  顔のすぐそばで諭すように囁かれ、烈己は陳腐な脳味噌の回路がガタガタをエラーを起こして異常事態を知らせる警告音が耳から漏れ聞こえた気がした。  服から覗くすべての肌を赤く染めた烈己に、初めて出会った時にはなかった腹の奥にある熱を大澄は知った。  こんな感情が、感覚が、自分にあることをもう長い間忘れていたし、それを呼び起こすのが目の前のどこか幼いこの跳ねっ返りかと思うと、相変わらず拗らせているなと自負するほかなかった。 「ニヤニヤ禁止、その笑い方ダメ」  恥ずかしさから肩をすくめて視線を逸らす烈己を揶揄うように大澄は顔を覗き込む。 「なんでダメなの? 教えて」 「馬鹿、大澄さんの意地悪」  桜色の肌へ揺れるまつ毛の影を落とし、烈己は潤む瞳を必死に隠して目の前の狼から逃げた。  あの夜抱きしめ合った時と同じ香りがすぐそばまで来ていて、烈己は握られた指をピクリと揺らした。  大澄はあの時、どんな顔をしていたんだろうかと烈己はふっと気になって、喉元へ逃していた視線を少しだけあげようとした次の瞬間── 「お客サン! 御飯食べるノ?! 食べナイノ?! ワタシさっきからズットココで待ってたヨ!!」 「※●◇%★◎〜ッ! 食べますっ! ごめんなさいっ!!」  待ち疲れた女性店員の存在にようやく気付いた烈己は慌てふためき、必死にメニューを見るが、視界の隅で口元に弧を描いている性格の悪い狼に気付くと、一瞥と共に強烈な肘鉄をお見舞いしてやった。
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