cinq

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 フォンダンショコラを美味しそうに頬張る烈己を大澄はやや引き攣った笑顔で眺めた。 「店出た時はお腹いっぱいって嘆いてたのに……」 「甘いものは別腹」 「いや、同じ胃だよね〜」  烈己の胃袋に半ば感心しながら大澄はコーヒーを啜った。フォーク片手にじっととこちらを眺めている烈己に気付き目配せする。 「どうしたの?」 「ううん……大澄さんの話。もっと聞きたいなと思って……」 「俺の? なに?」 「普段何してるのかとか?」 「働いてる」 「そんなのわかってるよ、ざっくりすぎる!」 「保育士してる」 「えっ! ウソ!」 「うん、嘘」 「ちょっと! 息吐くみたいに嘘つくのやめてよ」 「じゃあ、漁師──ってもう……、そうやってすぐ拳作るのやめてくれません?」  恨めしい顔で睨む烈己に、大澄は両手を上げて降参する。 「薬剤師だよ」  嘘つきが放つ三度目の正直へ、オートフォーカスのレンズみたいに烈己は何度も瞳を動かせて、真相の焦点を合わせる。 「よく動く目だなぁ」 「ほんとのほんと?」 「本当だよ、おチビちゃん」  嘘くさい笑顔と共に、ポンと頭の上へ手を乗せられ、秒でその手を荒く払う。 「もう、マジで粗野……」  手をさすりながら嘆く大澄をツンと無視して、烈己は再びフォンダンショコラを口に含んだ。 「あの、さ。思ったままのこと聞くけど……嫌だったらやめるから、言って?」  フォークを皿へ置いた烈己は視線をそちらには向けず大澄へ伺う。 「どうぞ?」 「……お兄さんの写真展にあった写真の中で、河原で絵を描いてた人……。あれは大澄さんだった?」 「めざといね、正解」 「絵を描くのは……趣味?」 「……いや。こんなでも元画家だよ」 「画家……」  ようやくそこで烈己は大澄の顔を見るが、大澄は正面を向いていて目が合うことはなかった。 「もう絵はやめたの?」  その質問に対しての返事は頷きひとつだった。 「やめたのは……三年前?」  一瞬、大澄の瞳がなにかを見つめるようにして固まったが、再び大澄は静かに頷いた。 「……そっか……」    気が済んだのか、コーヒーカップを持ち上げる烈己に大澄は「それだけでいいの?」とこちらを向いた。 「うん、今はそれだけでいい。大澄さんがもし話したくなる時が来たら話して?」 「それってこれからも一緒にいましょうってこと?」 「え……? あ、えっと……。大澄さんが良ければ……だけど」  珍しく笑顔も浮かべずにこちらを伺う大澄に狼狽えながら、烈己は視線を泳がせカップを置いた。その頬はすでに熱を帯びている。 「烈己は……いいの? 俺で」 「……大澄さんこそ……」 「俺は……初めて会った時にも言ったけど、オススメ物件じゃないよ。それでも大丈夫?」 「自分のこと、そんな風に言わないで」  浮かれていたはずの瞳が、今度は辛そうに歪み大澄を見つめる。 「君が優しくて心の綺麗な子だってことは最初から知ってる。その分傷付きやすくて、繊細なことも──君はきっと俺といるとたくさん傷付いて、たくさん泣くよ。温かい家族も俺には作れないかもしれない」 「そんなのっ……、大澄さん一人で決めつけないでよっ」  強く、大きく揺れた瞳が大澄の口を黙らせた。 「家族って一人で作るもんじゃないから! αがいてΩがいて、二人ではじめて成り立つのっ、αだからって一人で家族が作れるほど万能じゃないんだからねっ!」  強い瞳と声に諭されて、大澄の真っ直ぐ閉じていた口元から自然と優しい笑みが溢れた。  どんどんと心へ矢を放つ烈己から手を握られ、大澄は完全降伏する。 「やっぱり、烈己には敵わないな……」 「褒め言葉として受け取るから」 「褒め言葉だよ……、どんな呪いも苦しみも、烈己となら追い払えそうな気がする……」 「そうだよ。俺100年も眠るつもりないからね」 「覚えてたの? 眠り姫の話」 「覚えてるよ。第一印象最悪なαのこと、思い切りぶっ飛ばしてやったもん。忘れるわけない」 「確かに。あんな経験、一生のうち一回あるかないかだな」  お互い、あまりにも強烈で濃厚なる出会いの一日を鮮明に思い出してしまって二人は肩を揺らし笑い合う。 「烈己。これからもどうぞよろしくお願いします」 「コチラコソ……ヨロ、シク……」  かくかくと赤い肌がお辞儀と一緒に何度も揺れる。 「可愛いな、食べてやろうか」 「ヒィッ!」  眠り姫ならぬ赤すぎんちゃんは、背筋をまっすぐ伸ばして、舌舐めずりする危険な狼から頭を仰け反らせた。
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