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「今すぐ帰って来なさい!」
鼓膜がなんらかのダメージを食らうかと思うほど、江の絶叫は凄まじかった。
「──やだ」
「ヤダじゃないっ! ダメダメッ! お父さんは許しませんよ!」
「今冗談はいいからぁ」
「誰が冗談だ! 俺は真剣だわ!!」
江が普段は出さないような低い怒り声を、腹の底から発していた。
「……俺も真剣。俺が誘って、俺が無理矢理お願いした」
「ナニソレ、どんな萌え案件だよ!」
「萌えって何! やっぱ冗談じゃんかよって、今はつまんない喧嘩してる場合じゃないんだってば!」
「つまんないだぁ?!」
「もう! 江に電話した俺がバカだった! もう切るね!」
「やだやだやだやだ待って、烈己!」
「──はい、なに?」
「……本当に後悔しないの? その男で良いの?」
江がようやくいつもの冷静な声色で話し始める。
「あの男がいいの! 俺は本当に大澄さんが好きなの、わかんないけど大好きになっちゃったの!」
「うう、可愛い……けど、複雑!」
「もお〜、時間だけがどんどんなくなるんですけどぉ〜」
「……烈己に考える時間を与えるとか、マジやり手だよねぇ」
「やり手言うな」
「……そっか、本当に好きになっちゃってたか……、そっか」
「ねえ、江、今は俺の詳細な恋愛相談してる暇はないんですけどぉ〜」
「……もういいじゃん、真っ裸で待ってれば」
「突然扱いが雑になった! なんなの、処女じゃない俺にはもう興味ないの?!」
「潜って待つ布団くらいあんだろ」
「ああっ!」
「ったく、浮かれやがって」
江は最後に舌打ちまでおまけしてきた。
「……諦めたら今度はキレんの? 今日の江、しんどいな……」
「それはこっちのセリフだわ、いきなり電話で何を聞いてくるかと思ったら」
「だって俺、江しか頼れる人いないもん……」
「可愛い……けど許さんっ、あーもう、そいつの写真撮ってこい! 拝んでやるから」
「じゃあ江さん! ありがとうございましたっ、このへんで失礼しますっ」
烈己はもう自分のタイミングでここを脱するほかないと思い、携帯画面に指を触れかける。
「烈己烈己烈己ッ」
「──はい……なんでしょう」
「赤飯炊いてお父さん待ってるからね」
「──馬鹿ッッ!!」
脱いだ服の上へ携帯を投げつけて、烈己は肩で大きく息を吐いた。
「……ああ、でも、大きい声出したら少し落ち着いたかも……」
烈己はシャワーに打たれながら、視界に入ったシャンプー容器に目を止めた。
「どこのなんだろ? シャンプーとかどこのも一緒とか言いそうなのに、見た感じなんか高そう……」
少しだけシャンプーを手に出して、烈己は徐ろに匂いを嗅いでみた。
「ひゃっ、この匂い大澄さんの髪のにおいだっ、えっ、どこのやつ? 使ってみたい〜、けど今は使えないよ〜。あっ、ボトルの写真撮ろうかな?」
勿体無いと思いながらシャンプーを洗い流してドアに手を掛けた途端、脱衣所の扉が開く音がして烈己は体が飛び上がった。
「烈己」
「ひゃい!」
「……………………」
「笑うな!」
「……ぅぐ、なんでわかった……じゃなくて、歯ブラシ買って来たから置いとく。あと、替えの下着、テキトーに買ったからサイズ合わなかったらごめん」
「あ、ありがとうっ」
すぐに扉が閉まって大澄の気配が遠退くのがわかった。
「すごい……痒いところに手が届く……。じゃなくて、えっもう二十分経ったの? マジでっ?」
江との時間をやや後悔しながら烈己は再びシャワーへ向き合った。
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