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──有言実行。
大澄の脳裏にはその四文字だけが光った。
食器用洗剤を含ませたスポンジをギュッと握り、白い泡を睨む。
食事が済んで大澄が食器を洗ってる間に烈己は顔を洗い、今は歯を磨いていた。
気がつくと烈己が立つ洗面所の鏡に大澄が映っていて、烈己は慌てて歯ブラシを濯いだ。
「すぐ終わるから待って、あとうがいするだ、け……」
烈己は話しながら大澄が手に持つ箱へなんとなく目が行き驚愕した。歯ブラシが烈己の手から滑り落ち、洗面器がカランと鳴る。
「なにっ、何持ってんの?!」
「コンドーム」
「──はぁっ?! へっ、いや、あの、ええっ?! 朝、まだ朝だよ! いや、てゆうかあの、昨日が初めてだったんだけどっ」
「うん、知ってる」
「えっえっえっ?! なんで?」
「食べたらまた抱き合おうって、約束」
「約束、したかなぁ〜〜? てか、抱き合うという言葉の認識に大きな齟齬がある気がします」
「ねぇ、もうズボン脱いでも良い?」
「ダメダメダメ!!」
烈己の真剣な問題提起にまったく耳を貸す気はないらしい大澄は、モジモジしながらズボンを脱ごうとしはじめたので、烈己は必死な形相で食い止める。
「なんでぇ?! 今さっきまですごい紳士だったじゃん! 昨日だってすごい優しかったじゃん! なんでそんな急にキャラ変すんの?!」
「だからさっき頭のネジが抜けたの、もうダメなの、お願い烈己」
「急に甘えんなっ、てか俺まだ痛いしできないよ〜っ、さっき話したばっかじゃん」
「じゃあ、最後まではしないから」
「────俺こんなにも大澄さんの言葉信用できないの初めてかもしんない……」
烈己の眉が絶望で下がった。
「信じて烈己、俺は烈己を大切にしたいと心から思ってる。……ホラ、思うのは自由だろ?」
「ホラ〜、もう言葉が安っぽいもん〜っ」
烈己はさんざん嫌だと嘆いてみせたが、もちろん愛する男を完全に拒絶することなどできるわけがないのだ。
結局烈己は口達者なαに言いくるめられて、しぶしぶベッドへ連れて行かれた。
服を着たまま二人は抱き合って横になった。
大澄は仰向けになって胸の前で烈己を正面から包み、存在を確かめるように愛しげに抱きしめたり、下から何度も口付けたり、髪をすいたりと、スローで優しい愛撫をくりかえし、服に隠れた素肌に直接触れることはしなかった。
照れながらも烈己は大澄の優しい手にはやくも酔いしれ、肩へ両手を回して自らも抱きついた。顔のそばで大好きな大澄の甘い香りがして、烈己はそれを胸いっぱいに吸って、幸せそうに顔を埋める。
すっかり烈己は飼われた猫みたいに無防備な姿でうっとりしていた。
「大澄さん……だいすき……」
「うん、俺も」
「…………大澄さん……」
「なに?」
「……あの、ね、ずっと話せてなかったけど……俺、生まれた時から母子家庭で、それで、その母親も三年前に他界したんだ……」
大澄は烈己の花のような甘い香りに酔って閉じかけていた瞳を大きく開き、烈己を見た。
「三年……前……」
「そう……、大澄さんのお兄さんも、だよね?」
「──覚えてたの」
「うん、あの話しした時、俺のお母さんと同じだって思ったから……、あっ、こんな話今することじゃなかったよね、ごめんなさい! 俺本当空気読めないよね……」
「……構わないよ。烈己が話したいと思った時に話せばいいんだ」
「……ありがとう。あの……それで、ね、俺たち一応お見合いじゃない? けど、俺はその、天涯孤独のΩでさ……そういうの嫌がる人もやっぱいるじゃない? だから、大澄さんのご両親は……あの……」
話し辛そうに烈己は必死に言葉を紡いだ。
なぜならば、父親が誰かもわからないΩを手放しで受け入れるような優しい世界は、どこにも存在しないのが現実だからだ。
そのせいで何度も烈己は傷付き、泣き、恋すらちゃんと出来ずにいた。
「俺の両親はΩにはなんの差別思考もないよ、それにもしあったとしても俺は烈己といる。烈己が苦しい思いをするなら分籍したって良い」
「そんなのだめ! 大切な大澄さんの家族なんだから!」
烈己は突然顔を上げ、悲壮に揺れる瞳で大澄を見た。
「……烈己、いくら血の繋がった家族でも別々の意思を持つ人間だ。分かり合えない時はあるよ」
「わかり、あえない……時? なんで……?」
「烈己、泣かないで。これはあくまで最悪の場合の例え話だから、だからそんな悲しまないで、お願い」
「だって……、大澄さん、本気の目をしたから……、本当のこと、話してる時の顔してた……から、俺……」
大澄は泣きじゃくる烈己を包み込むようにして抱き寄せ、その震える頭へと優しく口付ける。
「烈己は本当に不思議な力を持つ子だな……」
「……大澄さん……、辛いことがあったら俺に話してね? いつでもいい……大澄さんが話したくなったらいつでもいいから俺に全部苦しいの吐き出して……」
「うん、わかった。ありがとう、烈己」
「ほんとだよ? 我慢したら許さないからね」
「許さないとどうなるの?」
大澄はまたいつもの意地悪い笑みを浮かべ、弧を描いた瞳で烈己を見た。それに気付いた烈己がむっと赤い頬を膨らませる。
「目の前で大号泣してやる!」
「……うわぁ、全然笑えないガチの殺傷力のやつきた……」
すでに多少の傷を負ったらしく、大澄の首がガクリと枕へ落ちた。
「ふふ、大澄さんてば可愛い」
「年上男性を弄ぶのはやめてくださるっ?」
「なにそれ変な喋り方っ」
烈己の頬は未だ赤く、涙で濡れたままだったが、その笑顔は心から咲いた眩しく明るいものだった。
「烈己がいれば、大抵のことはなんとでもなる気がするよ」
「やったぁ、褒められた」
烈己は微笑みなから大澄の胸に顔を寄せ、その手を握り締めた。
「ほら、また」
「俺もおんなじ。大澄さんがいれば大抵のことはなんでもなる気がする、荊だって跳ね除けるよ」
「そっか……ならもう無敵だな」
「うん、無敵」
「──じゃあ、この話は終わりってことで、次の課題に進もう」
「……あ! 俺すごい眠くなってきたかも……」
「ほぉ……」
大澄は胡散臭い細い目をして、腕の中で狸寝入りを始めようとする烈己を眺めた。
「やっ、ちょっと……どこに手入れてんのっ」
「寝てていいよ、どうぞどうぞ」
「もっ、寝てられるわけないだろっ、馬鹿っ……尻を揉むなぁっ」
烈己は狼からの甘い口付けに唇を塞がれ、あっという間に煙に巻かれた。
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