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onze
カーテンの隙間から差し込む光の眩しさに、大澄は顔を歪めた。
一番はじめに視界に入ってきた天井は見覚えのないもので、一瞬ここがどこなのかピンと来なかったが、顔に掛かった柔らかな髪から甘い香りがして、それが烈己であることはすぐにわかった。
枕にされた腕は少し痺れていたが、ずっとそばに烈己がいてくれたのだと実感する証拠に自然と笑みが溢れる。
朝からよく食べる可愛い恋人のために何か作るかと、烈己が起きないようにそおっと体を引いて、無事、枕への引っ越し作業を成功させた。
深い眠りについたお姫様はちょっとやそっとじゃ起きそうにないほど安定した寝息を繰り返していた。体を離したことを後悔したくなるほど愛らしい寝顔をしていて、長い睫毛やピンク色のほっぺにいたずらしたくなる衝動たちをどうにか説き伏せ、大澄は理性に反抗的な自分の体を奮起させ、なんとかベッドから旅立たせる。
落ちた洋服たちを拾い集め、あとはシャツを着るだけの大澄がふとリビングの仏壇へ目が止めた。
昨夜はそちらへ背を向けて座っていたせいか、そこに仏壇があることに気づけていなかった。大澄は慌ててシャツをかぶり、仏壇の前に座った。
そこに飾られた写真立ての中にいる女性が烈己の母親かと胸を躍らせ視線を動かした途端、一瞬にして大澄の心臓は凍りついた──。
キンと、短い耳鳴りがして大澄を強い目眩が襲う。
心臓が早く打ち始め、息も乱れる。恐怖で歯がカチカチと勝手に震えて音を鳴らした。
「ど……して…………そんな、嘘だ……そんな…………」
ドクドクと異常な速さで流れる血の音が鼓膜から響き、内耳に勢いよく集まった血液たちが今にも破裂しそうな錯覚に陥り、ひどい痛みを覚えた。大澄は奥歯を噛み締め、耳を押さえつけるようにして塞ぐ。
「烈己は────烈己が……あの人の子供だったのか……」
歪む視界の中で写真の彼女が幸せそうに微笑んでいる──その腕の中で抱きしめられているのは今もその面影が残る、安らかな寝息を立てて眠る愛しい彼だろう──。
リビングに置かれた大きな姿見が視界に入り、大澄は息が止まった。
正常な判断がつかず、そこに兄が立っているようなおかしな混乱に陥った。揺れの続く視界の中で兄がこちらを眺めている──何度も見た、あの絶望の眼差しで──。
「花……月…………」
鏡の中の兄の口がうっすらと動いた──。
────裏切り者、と。
大澄は姿見に背を向け、すべてから逃れるように畳に這いつくばって頭を抱えた。血流の音に混じって兄の声が木霊する。震える手が畳に当たってカタカタと音を鳴らす。
「…………俺は、罰を受けたのか……? 兄貴のことを忘れて……一人で幸せになろうとしたから……? これも……運命だったのか…………? 俺は……」
──この世で一番選んではいけないΩを選んだ。
大澄の瞳からはボロボロと涙が一気にこぼれ落ちた。
拭わずに放って流したそれは畳へ幾つものシミを作り、大澄は声も上げずに無表情で見開いた両目からただただ涙を流し続けた。
──誓ったのに……
約束したのに……。
番になろう、家族になろう、ずっと一緒に暮らそうと──。
「許されるはすがない……俺なんか……、俺が──烈己の番になんてなれる訳がない……俺は……」
足元から纏わりついてきた絶望は、大きな黒い渦になって大澄をゆっくりと呑み込んでゆく。見えないそれは重さを持って大澄の全身に巻きついて、体の中まで浸食してゆく。
見えない何かに首元を締め付けられ、うまく息が継げずに大澄はその場に崩れ落ち、畳へ頭をつけ、目を強く瞑ると声を殺して泣き続けた。
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