思いやりの食い違い(節制の逆位置)

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思いやりの食い違い(節制の逆位置)

「もっしもーし……主様聞こえますかー?」 「はいはい聞こえてるよ、改めてこんにちは」 「はーいこんにちはー、節制の逆位置ですー!」  毎回の事ながら、ここまで距離を取られるのは悲しいものがある。訪問とともに渡される、懐かしい糸電話に口を当てながら私は今日も彼女と会話をする。  彼女は『節制』の逆位置。主な意味は『偏り・不純・贔屓』など、正位置とは相対する存在である。彼女は誰と接する時も糸電話越しにしか会話をしないようで、カード達でさえもまともに彼女と顔を合わせて会話をしたことがないのだという。 「調子はどう?」 「はーい、こちらは変わりませんよー?」 「それなら良かった……ところで前から気になってたんだけど、どうして糸電話越しに会話をするの?」 「何ですかー主様ー?」 「だから……なんで糸電話で会話するのー?」  私の問いかけに、糸電話越しの彼女の声色が少しだけ変わった。いけないことを聞いてしまったのだろうかと怯えつつ、彼女からの回答を待つ。  少し時間が経った後、彼女はようやく口を開いた。 「境界線を守るためでーす!」 「境界線?」 「私には私の境界線がありまーす。そして主様にもありまーす。お互いの境界線を守るには、これが一番いいのですー!」  人はそれぞれパーソナルスペースと呼ばれる、人に踏み入れられると不快感を覚える距離感というものがあり、その広さや長さなどはまちまちだ。彼女のこの行動は、一人一人のスペースを守るのは至難の業であるため、充分だろうと思われる距離で接するようにするためのものらしい。  その結果、糸電話越しの会話をすることが彼女のパーソナルスペースと、相手のパーソナルスペースを守る事が出来る、画期的なアイデアだと思っているらしい。 「そっか、そういう意図があったんだね」 「はーい、なのでこれからも続けますー!」 「……でも、ちょっと寂しいな」  彼女の言う通り、距離感を考えずにズカズカと入られるといい気はしない。  だが、かといって距離を取られすぎてしまうと悲しい気持ちになったりもする。つくづく人は勝手な生き物だとは思うが、一人では生きられないからこそ、そのような思考になるのだろう。 「どうしてですかー?」 「糸電話越しにしか、貴女を知れないなんて寂しいじゃない。もっと色んな話がしたいと思っても、この距離じゃ表情も見えないし……私はもっと近付きたいなと思うよ。もしも貴女が踏み入るのが怖いのなら、私から歩み寄る。これ以上は来ないで欲しいという距離まで、近寄らせてくれない?」  私の言葉に、彼女は糸電話を離した。カランという音を立てて、糸電話が地面に落ち、それと同時に消えてしまった。いつの間にか目の前に来ていた彼女の表情は、何処と無く嬉しそうだ。そっと私の手を握り、彼女は言った。 「これが私の境界線でーす!」 「近……!」 「これから主様には色んな事を相談しますー! 1人だとどうしても決められないのでー……どうぞよろしくお願いしますー!」  後に彼女が、女教皇の逆位置さん並に優柔不断だと知り、別の問題を抱えることになったのだが、この時の事は後悔していない。彼女の本質に触れられた事が、私にとって何よりも嬉しい事だったからだ。
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