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いつものように買い物をしてから徳香の部屋に向かう。徳香が鍵を開けて中に入ると、コートを脱いですぐにエアコンのスイッチを入れた。
「やっぱり夜は寒いよね。暖まるまでちょっと待っ……!」
そう言いかけた時だった。背後から信久に抱きしめられたのだ。突然のことに驚きと戸惑いを隠せず、徳香は言葉を失う。
「の、信久……?」
急にどうしたんだろう……。もしかしてそんなに辛かった? そうよ、私だってそうだったじゃない……。
徳香は信久を慰めるように、彼の手に自分の手を重ねる。冷たい手。早く暖まればいいのに……だがその時、徳香の耳に思いがけない言葉が届いたのだ。
「……徳香が好きなんだ……」
徳香の思考回路が停止し、体が硬直する。しかし信久の腕の力は更に強くなる。
「ずっと徳香が好きだった……」
「えっ……ちょ、ちょっと待って……! いきなりどうしたの? それに……信久は長崎さんのことが好きだったんじゃ……」
必死にもがいて腕から逃れるが、今度は壁際に追い詰められてしまう。互いの呼吸がわかるほどの距離感に、徳香の心臓は早鐘のように打ち始める。
「徳香と初めて話した時は、本当に長崎さんが好きだった。それは嘘じゃない。でも少しずつ徳香のことを知っていって、君に惹かれていることに気付いたんだ……」
「えっ……だ、だって……リハビリは……?」
「徳香に触れるための口実が欲しかった……ごめん……」
「そんな……」
長崎さんと付き合った時に困らないように……そう思っていたから私だって協力してきた。なのにいきなりそれが嘘だったと言われたら、どこか裏切られたような気持ちになる。
「徳香が好きなんだ……だから気付いて欲しかった」
信久が眉根を寄せ、苦しげな表情で徳香を見つめている。その時になってようやく徳香はその意味を理解した。
今まで何度かこの顔で私を見た理由。それは私のことが好きだったから……?
「で……でも……私たちは友達じゃないの? 信久だってずっとそう言ってきたよね?」
「それは……徳香がそれを望んでいたからだよ。徳香のそばにいるために、そう振る舞うしかなかったんだ……」
信久はいつものように優しく微笑む。
「ごめんね、混乱してるよね……。でも今日徳香が笹原さんと楽しそうに話しているのを見てさ……たとえフラれたとしても、きっといつまでも好きだった記憶はなくならないんだろうなって思ったんだ。それに比べて、俺はどんなに徳香にアプローチをしたって友達以上にはなれない……」
「だ、だって……!」
「俺ね、徳香のそばにいてわかったことがあるんだ」
「……わかったこと?」
「そう。徳香にとって、友達と恋人は別の感情で、友達から恋人になることはないんだ」
彼の指が愛おしげに徳香の頬に指を触れていく。何故かその仕草が切なくて、涙が溢れてくる。
「たとえて言うならね、徳香の中には友達と恋愛対象との間に境界線があって、徳香はそこに立って、出会った人を友達か恋愛対象かに分けてるんだ。しかもその境界線にある壁はすごく高くて、一度友達側になったら越えることはまず無理なんだよ」
信久の言葉に、徳香は反論出来なかった。彼が言っていることはほぼその通りだったからだ。
友達は友達、好きな人とは違う。それが徳香の考え方だった。
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