知らなかった彼のこと

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 雪乃はグラスの中の氷をストローでかき混ぜる。その動きを眺めながら、徳香は信久を頭に思い描く。 「松重さんがいつから徳香を好きだったかはわからないけど、好きな人がいる人を好きになるのは複雑だよね。それは徳香だって知ってるでしょ? でも長崎さんを好きな人だから、徳香も警戒しないでそばにいたんじゃない?」 「うん……そうかも」 「松重さんもそう考えて、徳香への気持ちを隠して、長崎さんが好きだなんて嘘をついたんじゃないかなぁ。そうすれば徳香を独占出来るし、悪い虫がつくのも防げる」 「あはは。悪い虫って……」 「覚えてないの? この間の飲み会でタイミングよく現れたのを」  そう言われ、徳香はゆっくりと記憶を手繰り寄せる。あの男の人がしつこくて正直困っていた。体に触れられ、そろそろ限界と思った時に信久はスマートに助けてくれたのだ。  あの時は信久が現れたことに安堵して、なんの疑いも持たなかった。でもよく考えたら、確かにタイミングが良すぎた気もする。 「あれってわざと……?」 「だと思うよ。まぁどちらにせよ、松重さんはようやく気持ちを伝えたんだね。ところで返事はしたの?」 「……微妙。というか、私達は友達でしょって言ったら、友達でしかいられないならもう私の前から消えるって……」 「ん? 微妙って? それって返事したことになるんじゃないの?」  すると徳香が動揺し始め、恥ずかしそうに目を逸らす。これな何かあったと雪乃は悟った。 「まだ何か隠してる。どうせ私しか聞いてないし、洗いざらい喋っちゃえ」  雪乃に促され、戸惑いながらも口を開く。 「……信久がね、私は友達から恋愛には発展しないタイプだから、その壁を自分から越えるって言って……」 「うん、うん」 「……その……しちゃった……」  雪乃は目を見張る。そこまでは想定していなかった。 「まさか……」 「うん……そのまさかなんだよね……」 「……それはまた大胆な」 「だよね……私もそう思う」 「で、松重さんの言う通り、気持ちは変わったの?」  徳香は頬を赤く染めながら小さく頷く。 「じゃあそれを伝えないとね。松重さんは徳香からの返事を待ってるはずだから」 「でもさ……この間まで笹原さんが好きって言ってたのに、今は……信久好きだなんて……そんなのっておかしくない? なんか自分の気持ちが……なんて言うか、ちょっと無責任な感じがして受け入れ難いんだよね」 「そうかな? 私はそうは思わないよ。きっと笹原さんより松重さんの方が良い男だったと気付いただけじゃない? 近くにいすぎてわからなかっただけだよ。それとも……かなりの床上手だったとか?」  すると突然、徳香が両手で顔を隠してテーブルに突っ伏した。 「……あら、そんなに上手だったんだ?」 「……内緒」 「はいはい。じゃあそのことも松重さんに伝えてあげな。絶対に喜ぶから」 「……今からでも遅くないかな?」 「むしろ待ってると思うよ。そのために徳香を抱いたんでしょ?」  雪乃の言葉に、徳香は少し勇気をもらえた。  そうよ、壁を越えるために体を繋げたんだもの。じゃないとあの夜の意味がなくなってしまう。  次のサークルには来るだろうか。その時にちゃんと気持ちを伝えよう。信久がいなくなるなんて耐えられないよ……。あなたが大切だっていうことを伝えたいの。
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